5. エニグマと作戦会議

5-1

「――つまり、あの怪異にはおじいさまの意識が憑依していて、ベルタさんをおばあさまと勘違いしている、と考えられているわけですね」

「ああ。アレは町の中でも、アタシだけを執拗に狙ってきた。馬鹿げた話だけど、そうとでも考えなきゃ気が収まらないよ」


 俄かには信じがたいような情報の塊を消化不良で反芻して、なんとか呑み込む。

 正直、どこまでこの話を受け入れてよいものか困惑しているというのが、アッシュの素直な感想だった。しかしローズ教授と白楊はさすがにこの手の事件には慣れているらしい。平然とした顔で、話を聞いている。


「……にしてもよ。アンタの爺さんにしては、ちょっと身体がデカすぎるんじゃね?」

「エニグマの性質について〝何故〟を問うことそのものがナンセンスなことは、白楊君もお分かりの通りでしょう。まぁ、その理由についても幾つか推論を立てることはできるけれど、演繹的に対処法を探るほうがよっぽど有意な結果を導くわ」

「ああ、エニグマな。知ってるぜ。熊のゆるキャラだろ」

「語感だけで考えたでしょ……エニグマっていうのは、ウチの組織での怪異を示す用語みたいなものよ。これ、前にも説明しなかったかしら」


 ホログラムの画面を操作する片手間に白楊の小言に答えていた教授は、何かを発見したように「あっ」と声を上げた。


「こちらのエニグマ・データベースでも、アレについての記事を見つけたわ。分類番号〝490246〟――タイトル『フォゲット・ミー・ノット』。一部の情報はロックが掛ってるけど、内容からしてもあの怪異がここら一帯の〝天蓋てんがい〟を支えるヌシであるのは間違いないと思う」


 ローズが今度は両手でホログラムを押し広げるような動作をすると、長方形の画面が大きく車内に映し出された。

 面白がってそれを覗き込んでみて、「うっ」と眉を歪める。画面にはアリの行列みたくびっしりと活字の群れ敷き詰められていて、学校の教科書ですら眩暈がしてしまうアッシュにとっては、天敵のようなモノだった。

 それでも何とか分かってる風な顔をつくろってホログラムを睨みつけるアッシュに対し、白柳は興味無さそうにそれを一瞥する。


「なんか話が複雑になってきたな。ちなみにこの天蓋ってのは何だ?」

「えっ。白楊さん天蓋をご存じないんです。私でも知ってるのに」

「マジかよ負けたぜ。まあ、俺はこっちに来たのは最近なもんでな。そういうこともある」


 この応答に、アッシュは拍子抜けした。

 この手の話は幼い頃から、色々な形で、嫌というほど耳にしていたものだ。ニホンという国が己の故郷よりも田舎であるとは思えないが、それぞれの国にはそれぞれの常識があるということだろうと、勝手に納得する。


「ああ、白楊君にはこの辺りの事情をちゃんと説明したほうが良いわよね。〝天蓋〟というのは、神代に〝編纂へんさんの騎士〟が作り上げた、世界を安定化させるための巨大魔術の名前ね。そして今回は天蓋魔術の柱になっている聖遺物アトリビュートというものを、エニグマが取り込んで柱そのものになっているみたい。まぁこれは別に珍しい事でもないわ」


 ローズが指を振ると、これまで出てきた言葉を説明するホログラムが現れる。


・エニグマ――超自然的・形而上学的特質を持つ物体・生物・現象などの総称。

・天蓋  ――世界を一つにまとめ、現実性を保つための魔術。編纂の騎士によって作られた。

・聖遺物 ――天蓋を維持している、編纂の騎士の遺物。


 アッシュも別にその辺りの事情について特別詳しい訳ではなかったので、この説明を有難く拝見する。


「っつーことは。天蓋ってのはめっちゃ大事なもんな訳だな。ちなみにその〝聖遺物〟ってのが、何らかの要因でイカれちまったら、どうなるんだ?」

「あまり例のないことだから、あまり確かなことは言えないのだけれど……、過去には聖遺物持ちのエニグマが暴走した区域が、丸ごと現実から切り離される重大インシデントがあった。今でも、その場所は地図上の空白になっているわ」


 ――〝現実〟から、切り離される。


 あまりに非現実的かつ空想的な言葉に、息が詰まる。

 それは胸の下に冷たい空白が差したようで。ホログラムで見た真っ白な霧を彷彿とさせた。あるいは、あの霧こそが、その前兆なのではないかという直観が、頭を過る。大変なことになっているということは分かっていたけれど、災害の規模が一介の子供に関わって良い範囲を明らかに超えていて。どんな顔をすればよいのかすら分からなかった。

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