【閑話】カスミソウの邸宅にて(2)

「ああ、やっぱりすごく綺麗だ……」


 うっとりと囁きながら、蕩けた視線が白地の背中を熱っぽくなぞる。腰までスリットが入って大胆に曝け出された聖域に、感嘆の溜め息が零れた。


 熱い吐息を背中に感じ、アイシャはそわそわと落ち着かない様子でしゃんと伸びた美しい背筋をしならせる。別に服装が乱れているわけでもないのに、裸を見られているのと同じくらい恥ずかしく感じるのはどうしてだろう。


「あ、あまり見ないでください」

「ふぅん……わかった、じゃあ――」

「んぁっ!?」


 後ろから伸びた腕に肩を引き寄せられ、無防備な背中に唇が吸いついた。

 肩甲骨に、背骨に、首の付け根に――晒け出された素肌へ、余すところなく唇の雨が降る。触れられた場所から何かが芽吹くような感覚に、腹の奥がムズムズした。


「っぁ、あ……! シオン様、だめ、ですっ……」

「怖いか?」

「ちがっ……! んっ、やぁ……! へん、変です、これっ……くすぐった……ふぁっ!?」


 ぴくぴくと跳ねる肩甲骨が作った背筋の溝に、つぅっと熱い舌が這う。甘美な熱が下から上へ辿った先で、かぷりとうなじに噛みついた。そのままじゅっと吸いつかれ、チリリと皮膚に甘い痛みが走る。


 自分の口からあふれる信じられないほど甘ったるい声が恥ずかしくて、グローブをつけたままの指を唇に添えた。本当は噛みたいところだが、自国の職人が作ってくれたものを粗末にはしたくない。

 それにさっきから腰が溶けそうなほど腹の奥から込み上げるこの感覚は何なのか。答えは背後のシオンが教えてくれた。


「背中、敏感なんだな。いや全身か。ふふふ、可愛い……。”気持ちいい”な、アイシャ?」

「きもち、ぃ……? ぁ、だめ、またっ……! ~~~ッふ、ぅう……!」


 くすぐったいと思っていたのは、どうやら少し違っていたらしい。何せ一度目も二度目も快楽とは無縁の人生だった。痛みばかりを与えられたせいで愛され慣れていない身体は、少しの刺激だろうと過敏に感じ取ってしまう。


 唾液をまとった熱い舌先が肩甲骨の先端を伝った。

 素肌に当たる吐息が皮膚から身体の奥へ染み渡るようで、火が風に煽られるように「気持ちいい」が増えていく。

 たまに当たる前歯もアクセントになって、アイシャを攻め立てた。


「っふ、ぁ……あっ……! も、もう、やめっ……」

「ん、もうちょっとだけ……」


 口では制止しても、本気で抵抗していないことがばれている。本当に嫌がればすぐにでも止めてくれるはずだから。ちゅ、ちゅ、と可愛らしいリップ音が鳴るたび、赤く染まった首がふるふると小刻みに震える。


 すると背後をまさぐるシオンの動きで、舞踏会用に結い上げた銀髪がぱさりと崩れてしまった。肩に落ちたそれを少し乱暴にかき上げる彼の指先が耳裏を掠めただけで、小さく声が漏れる。


(こんなに好き勝手されてるのに、怖くない……シオン様だから?)


 はくはくと浅く短い呼吸を繰り返す喉を逸らして、熱で潤んだ視界の隅に彼を捉える。

 そう言えば、死に戻る前に彼と不義を犯した時も、こうして背中にキスをされた。

 当時は鞭打ちの痕や切り傷だらけで、見るに堪えなかっただろうに。当然快楽などを見出す余裕もなく、ただ「こわい」「たすけて」と泣き溢して彼を求める壊れた人形に、何度も唇を寄せてくれた。


 あの時シオンに拒絶されていたら。

 腹を切り裂かれることはなくても、アイシャは一人で死を選んでいただろう。


 もしかしたら一度目の人生でもずっと、彼は自分を好きでいてくれたのだろうか。

 そう思うのと同時に肩甲骨に軽く歯を立てられ、身体の芯で持て余していた熱が白く弾けた気がした。


「~~~ッ!? っあ、ぁ、んぅっ……!」


 何かが込み上げる感覚にぶるっと小さく震えたと思ったら、しだいに筋肉の収縮が収まって芯が抜けたようになり、背後のシオンへくったりともたれかかってしまう。

 チカチカと視界を明滅させて放心するアイシャに、シオンは甘さだけではないぎらついた情欲を滾らせた目を見開き、ごくりと喉仏を鳴らした。


「アイシャ、今……」

「ふ、ぁ……?」

「……何でもない。今日は疲れただろう? このまま少し休むといい」

「ん……はい……」


 とろんとした目元の髪を指で心地よく梳かれ、後ろから覗き込むようにして火照った頬にキスをされる。

 それから湯浴みの準備を整えたソフィアが寝室を訪れるまで、二人はぴたりとくっついたまま、片時も離れることはなかった。




 ⚜




「あたしも見たかったなー、ドレス姿のアイシャちゃんが社交界で悩殺しまくるところ!」


 いつもの調子で軽口を叩くソフィアに促されて、ドレスを脱いだアイシャは浴槽に足を踏み入れた。


(まだ視界がぽやぽやしてる……。お酒が回ったのかしら。あまり長湯しない方がいいかも)


 そんな感じで色々と疎すぎるアイシャの肩にお湯をかけようと手桶を持ったソフィアは、背後に回ってぎょっと目をひん剥いた。


「あ、ア、アッ、アイシャちゃんんんんンッ!?」

「どうしたの、ソフィア?」

「いくら殿下との復縁が嬉しくても、こっ、婚前交渉なんて!! ルーカス様が泣いちゃうよ!?」

「えぇっ!? な、何のこと!?」


 身に覚えのないことを言われて勢いよく振り向けば、周囲にぱしゃりとお湯が飛ぶ。

 真っ赤になったソフィアが手持ちの鏡を持って飛んできた。


 そこに映し出されたのは、うなじから背中にかけて残る鬱血痕や噛み痕の数々。

 自分一人では咲かせられない赤い花畑に衝撃を受け、アイシャはとっさに湯舟の中で小さくなって身を隠す。


 それは今までその身に受けたどんな傷とも違って、鮮やかで美しく見えた。


「どどどどどうしよう、ニネミア様にご報告すべき!?」

「ち、違うの、これはっ……!」


 しどろもどろになりながら事の詳細を姉同然のソフィアに報告する。そんな苦行のおかげで不名誉な誤解は解けたが「これで終われる殿下って、逆に何なの?」という最大の謎だけが残った。



 一方その頃――。



(ぐああああああああアイシャが尊すぎる!! 何なんだあの純なる生き物は!! 生きててくれてありがとう!! 絶対幸せにするからな!!!)


 プラトニックを拗らせまくったシオンが意味不明に呻き、行き場のない熱を発散するようにカスミソウをポンポン咲かせる。アイシャが湯浴みから戻った頃には足の踏み場もないほどであった。


 母国の「桜の館」にちなんで、聖都のタウンハウスが「カスミソウの邸宅」と呼ばれるようになったのは、それからすぐの話である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る