第15話 再愛

 わずかな明かりが照らす桜の木の下に、二人の姿があった。

 祝勝会に訪れた多くの民が花を供えて賑やかになった墓標へ、シオンが一輪のカスミソウを置く。

 隣に膝をついたアイシャも右手を胸に添え、目を閉じる。ルーカスに心の中で戦勝報告と帰還の挨拶を告げた。

 静かな庭園に、ざあざあと桜が風に揺れる音だけが聞こえる。父が喜んでいるように聞こえて、震える唇を噛み締めた。


「シオン様からお花を頂けて、お父様も安心していると思います」

「そうだといいが……。君も、俺の母に桜を供えてくれたな」

「どうして、それを……?」


 アイシャが桜を供えに行ったのは、最初の一回だけ。それから間もなくシオンの意向でリリの墓は封鎖され、立ち入ることができなくなってしまったから。

 驚くアイシャに、シオンは憑き物が取れたような穏やかな顔でこれまでのことを語り始めた。



 リリを死に追いやった真相と、彼女を悼んで泣いてくれた姿を見ていたこと。


 そんな少女を聖妃の呪いから遠ざけるために、わざと冷たい態度を取っていたこと。


 これ以上政争に巻き込まないよう、婚約を破棄するしかなかったこと。



「じゃあ、今までのことは全部、私を守るため……?」



 ――幸せにすることはできないが、君だけは絶対に守る。



 この場所で一番最初に伝えられた言葉の答え合わせに、驚きで見開いた瞳を潤ませる。

 それと同時に、ルーカスが処刑されたその日、牢獄で彼を突き放した拒絶の言葉が思い出された。



 ――シオン様は、ご自身の地固めのために白桜騎士団が欲しかったのでしょう?



「あ……わ、私、ずっとシオン様に利用されていると思っていて、それでっ……!」


 そう思わないと、壊れてしまいそうだった。

 だが真実と一緒に自分の浅慮を知って、後悔と罪悪感に苛まれる。俯いた視線の先で剣の柄に結んだ護り石が揺れた。この石を受け取る資格が自分にあっただろうか。自分ばかりが辛いと彼を責めて、傷つけて。初めてここで顔を合わせる前から今日この時まで、ずっと彼に守られていたというのに。


「お返しします、今すぐ。私はこの石に相応しくない」


 堪らず固くなった結び目を指で引っかいた。だが、指が震えてうまくほどけない。びくともしない結び目に焦りばかりが募る。

 そんなアイシャの手を、シオンの一回り大きな手が制した。


「そのまま持っていてくれ。君をマグノリアの呪いから守るために必要だ。それに……本当に君のためを思うなら、そもそも最初から婚約の話を受けるべきじゃなかったんだ。でも俺はあの日、父上とここへ来た。――君が他の男のものになるのが、どうしても堪えられなかったから」

「え……――ひぁッ!?」


 重ねた手を引き寄せられ、指先に柔らかいものが触れた。それが唇だと認識して、恥ずかしさでぶわっと頬が赤らむ。


「俺は君を傷つけることしかできないくせに、君を諦めることすらできずにいた臆病者だ。君を守るためだと自分自身を偽って、奴らと戦おうともしなかった。本当の気持ちがばれて、また大切なものを奪われてしまうのが怖かったんだ」

「シオン、様……」

「誕生日の花束も、本当はこうして君に直接渡したかった。舞踏会の日の君は目が眩むほど綺麗で、叶う事ならずっと腕の中に閉じ込めて、誰にも見せたくなかった」

「っ、ぁ……!」


 剣を握ってできた肉刺や皮膚の薄い指の付け根など、肉感の薄い唇にくまなく啄まれる。触れられた箇所から溶けてしまいそうなほど熱い。空っぽだった器に何かを勢いよく注ぎ込まれているような感覚になった。こちらを真っ直ぐに見つめる菫色の瞳から目が離せない。このままだと、溢れてしまう――。


「ずっとアイシャが好きだった。誰よりも愛してるんだ。だから今度こそ君と共に戦う――そのために戻って来た」

「あ、い……?」


 それは、アイシャが死ぬ間際まで後悔するほど欲していたもの。今この瞬間、溢れそうなほど注がれているのも、きっと。


(何で急に、こんな……未来が変わったせいなの?)


 大切に思われていることは理解した。自分たちがすれ違っていたことも。

 だがアイシャの知るシオンとは、常に無表情で、アイシャを空気かその辺の壁、もしくは天井のように扱う男だった。目が合うことも言葉を交わすこともない。そもそも花束を持って会いに来たことだけでも奇跡なのに、こんな展開は想定外だ。


「こ、困ります、急にそんなことを言われても、私っ……」

「今まで伝えられなかった分、これからは言葉と行動で尽くしたい。伝えないとおかしくなってしまいそうなくらい、アイシャに溺れてる。初めて君を見た時から、ずっと」

「あ……も、もうお気持ちは十分伝わりました、だから……!」

「まだだ。こんなんじゃ全然伝え足りない。今まで俺がどれだけ我慢していたと思う?」

「ッ、ちょ……!?」


 手を引かれて立ち上がった勢いのまま、力強く抱き締められた。まるで「逃がさない」とでも言うように、華奢な背中や腰に腕を回して、力強く。

 何かとんでもないものを呼び起こしてしまった気がして、アイシャは腕の中で視線だけを恐る恐る頭上へ向ける。


 満開の桜が舞い散る下、恍惚に蕩ける砂糖漬けの菫と目が合った。

 迫り来る桜色の唇に、瞬きも忘れて釘付けになる。


「すぐに応えてくれなくていい。抵抗しても構わない。今はただ俺に愛されてくれ、徹底的に」

「待って、シオ――」


 呼びかけた名前は、言葉にならなかった。

 手を愛撫していたのと同じものが、唇のすぐ横に触れたから。


 髪の先までピシッと固まったアイシャを見下ろして、唇をゆっくり離した壮麗な美貌がふっと微笑む。


「ここにキスされると思ったか?」

「あ、ぇ……?」


 男性にしては細い親指が震える下唇をなぞる。甘い声で何を聞かれているのか、目が回った頭では上手く処理できない。


「してもいいなら、今すぐ食らい尽くしたいんだが」

「~~~ッ!?」


 次の瞬間、庭園に「パァンッ!」と乾いた音が一発響いた。聞いた者がスカッとするような、たいへん小気味良い音だった。

 突然の求愛にキャパオーバーしたアイシャによる全力の平手打ちの音であったのは、言うまでもない。

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