第三章 研ぐは純愛

第16話 復縁攻略宣言

 祝勝会の翌朝。

 日課である剣の稽古に打ち込むも、アイシャの脳内は煩悩に支配されていた。


(好きって何!? 愛してるって、つまりどういうこと!?)


 手に馴染んだ剣を洗練された型に合わせて一直線に振るう。風を切る音が庭先に響いた。

 どうしたって脳裏に浮かぶのは昨日のやり取りで。彼の薄くて柔らかい唇の感触を振り払うように無心で剣を振るうが、全く消えてくれない。


(トライノーツの怪しい呪術で人格がごっそり挿げ変わったとか? きっとそうよ。じゃないとシオン様が私にあんなことするはずないもの)


 別の意味で厚い信頼を置いているアイシャにとって、昨夜のシオンの言動は全て不可解極まりない。何か裏があるに決まってる。むしろそうであってほしい。


「~~~ッもう!!」


 苛立ちをぶつけて振り抜いた剣先から、魔力の刃が放たれた。庭の植木がごっそりなぎ倒されるのを罰が悪そうに眺める。こんなのはただの八つ当たりだ。後で庭師に謝らなければ。


 あまりに集中できないため鍛錬を切り上げようと剣を鞘に納めたアイシャの背後に、それは音もなく忍び寄った。


「終わったのか?」

「ヒィッ!?」


 しっとりと汗が浮かんだうなじに息がかかる。いつの間にかぬるっと距離を詰めたシオンに驚き跳ね上がった肩へ、後ろから腕が回された。まるで蛇に巻きつかれた気分だ。


「し、シオン様……」

「おはようアイシャ。昨日は痛かったぞ」


 幽霊でも見たようにぎこちなく振り返った先にあったのは、端正な顔面に咲いた綺麗な手形。昨夜アイシャが全身全霊で平手打ちした跡だ。

 汗が乾かぬうちに次は冷や汗まみれになる。皇族に手を上げるなど、不敬罪で投獄されてもおかしくない。最悪は死刑だ。何て馬鹿なことをしたのだろうと今さら震え上がる。

 だが血の気の引いたアイシャとは対照的に、シオンは夢見がちな乙女のように頬を薔薇色に染めた。


「君から与えられるものは痛みだろうと極上だな。俺もあの木のように一刀両断されてみたい」


 朝一番に何言ってんだ、こいつ――喉元までせり上がった不敬をどうにか気力で飲み込む。怒っていないならこのまま水に流してもらおう。触らぬ神に何とやらだ。汗に濡れた髪へ猫のように頬ずりされる羞恥にだって耐えてみせる。


「ところでさっき小耳に挟んだんだが」

「な、何をでしょう?」

「婿候補を探しているそうだな」

「ファッ!?」


 予期せぬ話題に素っ頓狂な声を上げてしまった。それで図星だと思われたのか、白い眉間にしわが寄せられる。


「結婚するのか、俺以外の男と?」


 心なしか、空気がズンと重くなったような。

 完全に背後を取られた状態では勝ち目などない。耳裏から首筋にかけてをなぞる意味深な指先は、まるでナイフのよう。アイシャは混乱する頭をフル稼働させて、猛獣を刺激しないよう言葉を選んだ。


「家臣たちが盛り上がっているだけで、そのような予定はありません」

「だが生真面目な君のことだ。必要に迫られたら望まぬ相手だろうと果敢に婚姻を結ぶだろう?」

「ま、まぁ……立場ある者の責務ですので……」

「なら俺にしておけ」

「はい?」


 怪訝そうに背後を振り向いて聞き返すと、逃げ道を塞ぐように菫色の瞳に視線を絡め取られる。婚約者のあまりに切実な表情に、水面を強く叩くように胸が打ち震えた。


「君が南部で戦っている間、俺だってトライノーツでただくすぶっていたわけじゃない。ドゾルと盟約を交わして一万の騎馬隊を用意した。女神の血に固執して腐敗した皇家と戦うために」

「騎馬隊を、一万……!?」


 トライノーツの残虐皇帝ドゾルは、百以上ある部族の頂点に君臨する覇者だ。素手で象を絞め殺したという噂もあるほど凶悪な男だと聞く。

 そんな彼からどうやって兵を斡旋してもらったのか。きっとアイシャの考えなど及ばないような謀略を張り巡らせたのだろう。たった一人、異国の地で――それだけで彼の覚悟が伝わる。波風を立てないよう影でひっそりと息をしていたシオンが、本気でリヒトの首を狙っているのだから。


 アイシャはそこで、最後に彼と交わした牢獄での会話を思い出した。



 ――民には導く者が必要です。真に彼らを愛し、未来を思いやれる者が……。


 ――だからシオン様もどうか、成すべきと思ったことを貫いてください。



 その言葉が指し示した通り、シオンがついに御旗を掲げようとしている。彼の隊列に加わることは、アイシャの心からの望みでもあった。


「君と白桜騎士団をリヒト仇敵の元へ導いてやれるのは俺だけだ。だから俺を選べ、アイシャ。もう一度婚約しよう」

「……この戦いをシオン様が導いてくださるなら、こんなに心強いことはありません」

「なら、」

「ですが、婚約破棄は法廷で正式に下されたグリツェラ家への罰。もうどうしたって覆らないのです」


 当主が逆心を企てたことで破棄された婚約が、再び認められるはずがない。何より皇家が許さないだろう。いくらシオンが謀略に長けているとは言え、これは簡単に解決できる問題ではない。


 アイシャの嘆願が届いたのか、締めつけるような抱擁が解かれた。諦めてくれたのだろうか。くるりと向きを変えて彼と向かい合ったアイシャだったが、その考えはすぐに露と消える。


「つまり、審判が覆れば復縁しても良いってことだな」

「――う、ん?」


 あまりに真剣な顔できっぱり言い放つものだから、一瞬頷きかけた頭をどうにか理性で繋ぎ止めた。言葉の裏を返せば確かにそういうことになるのだろう。が、ちょっと待ってほしい。


(それじゃあまるで、私がまだシオン様のことを、す、好き、みたいな……)


 言われて初めて自覚した自分の気持ちを、この期に及んで受け入れられない。忠誠の騎士の一族にあるまじき往生際の悪さだが、無理なものは無理だ。


 愛を求めて一度死んだアイシャは、同じ未来が訪れることを極端に恐れている。彼を想って心臓が脈打つたびに、無傷のはずの下腹部が痛むのだ。もう期待して傷つきたくない。また腹を裂かれて死ぬのが怖い、と。


 なのに、こんな気持ちは矛盾している。


「そうと決まれば、さっさと兄上を次期聖下の座から引きずり降ろしてしまおう。下準備の用意はできている」

「何をするつもりです?」

「メリュー信仰が根強いレティガント大陸に、純血ではない新たな聖下を据える――そのためには正当性が必要だ。だからからお墨付きを貰おうと思う」

「それって……」


 ――ミオ・セントソルジュ・レト。


 アイシャの脳裏には、父ルーカスがその生涯を捧げた男の後ろ姿が浮かんだ。


「ですがミオ聖下は今、やまいに伏せっておられるのでは? あらゆる面会を謝絶されていると聞きましたが……」

「ここへ来る前に信頼できる伝手つてを使って手紙を送っておいた。『あなたが見殺しにした友の娘と会いに行く』と」

「は……?」

「そしたらついさっき伝書梟グーフォが届いてな。南部平定を成し遂げた新たな銀狼に、父上もぜひお会いしたいそうだ」

「はぁああ!?」

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