第17話 美しいままで

 ミオから言質を取れば、それを盾にリヒトを正当に糾弾することは可能になる。だから会いに行くことは別に構わない。自分の預かり知らぬところで面会のだしに使われたのは気に食わないが。


 それよりもアイシャが絶賛不服に思っているのは、一切予想だにしなかっただ。


「夫人、悪いがローブ・デコルテだけは譲れない。この芸術的な鎖骨を隠すなんて美への冒涜だ」

「それは全面的に同意ですわ、シオン殿下。ですが流行とは常に移ろうもの。レディたちが今夢中になっているのはプラチナレース一択! 首と胸周りにふんだんに重ねて使うのが主流なのです。見えそうで見えないその透け感がたまらないと、多くの紳士からも好評ですのよ?」

「他の男を誘惑してどうするんだ、俺のアイシャなのに!」

「今は殿下のではありません、私の娘です!」


 シオンとニネミアが見えない炎を飛び散らせる。仕立て屋が持参した最新ドレスの着せ替え人形と化したアイシャを挟んで。



 ――後で絶対必要になるから!



 有無を言わさぬシオンの謎の圧に押され、馴染みの仕立て屋を急遽呼び寄せて開かれた試着会。せっかくミオが謁見を許可してくれたのに、こんなことをしていていいのだろうか。それに……。


(苦しい、早く脱ぎたい……)


 肩から二の腕あたりまでをがっつり出した流行りのイブニングドレスを試着したアイシャは、その優美な姿に反して顔色が優れない。着慣れないコルセットに胃腸を締め上げられ、体力がどんどんすり減っていく。これならプレートアーマー装備で長距離走をした方がマシだ。


「お二人とも、全っ然わかっていませんね」


 このカオスに颯爽と現れたのは、腰に手を当てて謎にふんぞり返ったソフィアである。

 デコルテだレースだと舌戦を続ける二人の間に立ち、疲れた顔のアイシャのドレスを緩めていく。


「首だの胸だのありきたりすぎてナンセンスです。いつも身体の隅々まで湯浴みをお手伝いしているあたしが、アイシャちゃんの最高に推せるポイントを教えて差し上げます!」

「ほう、ぜひ知りたいな」

「ソフィアが言うなら間違いないもの」


 皇子と女主人から絶対的信頼を寄せられる侍女って一体……そこまで考えて頭痛がしたので、アイシャは思考を放棄した。

 ドレスの上半身部分を脱がされ、窮屈なコルセットが解かれる。ようやくまともに息ができるようになってほっとした瞬間、リネンのワンピースの襟ぐりをガバッと引き下ろされた。無防備に開け放たれた背中をしならせ、驚きで飛び上がる。


「ひゃああッ!?」

「見てください、この美しい背中を! 筋肉と柔肌の絶妙な均衡と傷一つない陶器肌! 騎士たちが戦場で守り抜いた、まさにグリツェラ領国の至宝です!」


 熱弁するソフィアに促され、二人分の視線が白くなめらかな影を描く背中に突き刺さる。それこそ湯浴みの時しかお目にかかれない聖域は、今までの無益な争いを鎮めるほどの神々しさを放った。


「そ、その彫刻のような肩甲骨……もしかして、羽根が生えていた名残り!? 私の娘は天使だったの!? ああんもうっ、私が愚かだったわ! 背中よ、背中を見せつけましょう! この際コルセットなんて前時代的な象徴は脱ぎ捨てて、アイシャが剣と一緒に磨いた健康的な美を際立たせるべきだわ! あらゆる庇護下にあるか弱いだけの乙女たちにはない魅力ですもの!」


 酔っぱらってるのかと問いたくなるくらい大興奮なニネミアの要望を、初老のベテラン女性職人がしっかりと書き留める。


「コルセットはその時代における理想の体型へ近づけるための矯正具であり、同時にか弱い乙女たちを守る堅牢な鎧でもあります。ですが在りのままで美しくどんな女性よりもお強い姫様には、そのどちらも不要でしょう。もしかすると新たな流行をお作りになられるかもしれませんね。私も年甲斐もなく胸が高鳴ってまいりました」

「そうそう! アイシャちゃんは守られてるだけのお姫様じゃないし、むしろあたしたちを守ってくれる頼もしい騎士様だもの! それにほら、アイシャちゃんの身体は天然コルセットだし」

「天然コルセットって……」

「こんな矯正具をつけなくたって完璧ってこと! 絞る肉だけじゃなくて寄せる肉もないのに、この弾力はずるい!」

「きゃあっ! や、やめてソフィア! シオン様もいるのに……!」


 張りのあるお椀型の胸を悪戯に下から持ち上げられて、堪らず身を捩った。赤くなった顔でちらりとシオンの方を振り向いて様子を確認する。背中を見せてからやけに口数が減ったのが気になった。


 が、そこにはまさかの光景が。


「シオン、様……?」


 なんと、呆然と立ち尽くす白い頬を、一筋の涙が伝っていたのだ。


「あ……す、すまない。すごく綺麗で……」

「泣くほど!? えっ、正気ですか!?」


 再会してから情緒不安定すぎやしないか。それとも今まで知らなかっただけで、意外と感情豊かな人だったのだろうか。


「君が誰にも傷つけられることなく美しいままでいてくれることが、俺は何より嬉しい」


 まるで傷つけられた姿を見たことがあるような口ぶりだ。彼の思考回路がどこに繋がっているのか、いまいちよくわからない。

 そこでふと思い至った。


(……そっか。私、シオン様のことを何も知らないんだ)


 婚約関係にあった頃は、どれだけドレスアップして夜会へ連れ添っても無反応を貫かれた。当時は酷く傷ついたが、マグノリアの目を誤魔化すためだったと、今なら理解できる。だから彼から与えられる言葉や反応の一つ一つが新鮮で、同時に自分の浅慮を思い知らされた。愛されないと悲観してばかりで、彼のことを知ろうともせず――花束を贈ってくれていたシオンに、自分は何を返せていただろう。


「……背中を見せるならデコルテから肩までを素肌が見える一番薄いレースで覆うのはどうでしょう。そうしたらシオン様とお母様の要望を満たせますし」


 照れくさそうに頬を染めた乙女の横顔が姿見に映し出される。

 その提案に感極まったシオンは、再び潤んだ目頭を押さえた。


「アイシャ、好きだ。今すぐ結婚しよう」

「それとこれとは別です」


 ばっさり切り捨てられてもめげることなく、むしろさらに興奮した様子で「絶対に復縁する」とねっとり呟いて目の奥をギラギラさせるシオンに、アイシャを含めた女性陣は青い顔でそっと距離を取る。

 離れた場所で様子を見守っていたルフだけが「シオン様が楽しそうで何より」とほのぼのしていた。

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