第7話 牙と親愛

 ルーカスの弔いも間もなく、白桜騎士団は出兵の準備に追われた。

 ブラント家を始めとする十名の代表的な忠臣たちと、連日軍議が続く。

 当主の席に座ったアイシャは、地図上の兵棋を見下ろした。


「まずはカッセルに奪われたフォートン家の前線基地を奪還する。戦線を立て直さないと」

「カルサイト城ですな。双方の補給の要ともなる重要拠点。良いご判断です」

「夏になればダーミア川の水が少なくなって前線が迫ってしまうわ。もう今夜にも発ちましょう」

「では、皆に伝えなければ」


 ダリオに続いて慌ただしく席を立つ面々の中で、一人だけ机上を睨んだまま動かない男がいた。ブラント家に次ぐ古参の名家、ドルトン・ラドクラフト伯爵だ。

 赤茶色の髪を後ろに撫でつけた英傑は、厳めしい口髭を震わせた。


「この出兵、やはり納得できませぬ。なぜ我々に関係のない南部へ下らねばならぬのですか」

「ラドクラフト卿、アイシャは――」

「敵は南部ではなく聖都にいる! 例え家臣一族皆根絶やしにされようと、皇太子の首を取るべきだ! なぜ御父上の無念を晴らそうとしないのです! 姫様に銀狼の牙はないのですか!?」


 ロイの仲裁も遮って唾を飛ばすドルトンは、鬼気迫る憤怒の表情でアイシャに詰め寄った。彼に同調するように、他にも物言いたげな視線がアイシャに集まる。

 全員、腹に抱えるものがあるのは当然だ。彼らはルーカスの騎士。主君を一方的に奪われた彼らの怒りを、憎しみを、若輩者の自分がコントロールできるとは思っていない。


 だが、諦めてはいなかった。


「牙ならあります」


 凛とした声に乗せて、張り詰めた魔力がピリリとほとばしる。

 アイシャが一歩近づくにつれ、額に脂汗を浮かべたドルトンがぐっと後退った。見上げる氷の瞳は研ぎ澄まされた刃のようで、まるで獰猛な獣に追いつめられているような寒気がする。


「ですが今の皇家に弓引いて、一族根絶やしで済むと思いますか? 女神の名の下にあなたの領地は焼かれ、民は一人残らず皮を剥いで吊るされますよ。女子どもも関係なく」

「それでも、ルーカス様の無念を思えば……!」

「だからこそ、今死ぬことは許しません。ここで国防の剣と盾である白桜騎士団が崩れたら、他に誰があの暴君を止められるのです。それこそ父の死が無意味なものになってしまう」


 父の首を無造作に投げて、晒して、尊厳を踏みにじったあの悪魔を絶対に許しはしない。その怒りを理性で押し留めた少女に、牙を見せて低くうなる狼の影を見た。


「耐え忍びさえすれば好機は訪れます、必ず。そのためには生き延びなければ。そして無辜むこの民のために女神の系譜へ剣を向ける日が来たら――その時は私と一緒に死んでくれますか、ラドクラフト卿」


 淀みのない声が、骨の髄まで染み渡っていく。

 彼女と共に戦いたい――ドルトンは堪らない気持ちになって、恭しく片膝をついた。


「銀狼の遠吠えが聞こえる限りどこまでもお供しましょう、我が女王ミアレジーナ




 ⚜




「お母様、留守を頼みます。何かあればすぐに伝書梟グーフォを飛ばしてください」

「わかっているわ。アイシャもどうか気をつけて……」


 日が落ちたグリツェラ家の屋敷に、白桜騎士団の蹄鉄が鳴り響く。

 先に出立した先陣を見送り、残るはアイシャとロイ、それに数人の精鋭による殿しんがりのみ。

 ニネミアと別れの抱擁を交わしていると、屋敷の門から馬に乗った人影が近づいた。それはレトで別れたはずのテンだった。


「良かった、間に合った~っ!」

「テン、わざわざ見送りに来てくれたの? ありが――」

「それじゃあさっそく行こうぜ、南部に!」


 感謝の言葉を遮ったクーパー家の次男坊は、快活な笑顔でとんでもないことを口にした。

 アイシャは頬を引き攣らせ、一度馬から降りるように促す。素直に従った親友に、語気を強めて詰め寄った。


「これはグリツェラ家の禊のための戦よ。白桜騎士団でない者を連れて行くことはできない。しかもクーパー家の跡取り候補のあなたを!」

「家督の相続権は放棄したんだ。そしたら怒ったじいちゃんに監禁されかけたから、逃げて来た!」

「は……?」


 何を言っているのだろう、このアホは。

 本気で言葉を失って固まるアイシャの代わりに、ロイがまばゆい笑顔で「馬鹿なのかなぁ?」と吐き捨てた。そうだ、もっと言ってやってほしい。事の重大さを全く理解していないこの能天気野郎の目を覚まさせなくては。


「ま、まだ間に合うわ。ヴェルナー様に誠心誠意謝ればきっと――」

「やだ。俺も一緒に行くって決めたんだ。もう家も関係ないし、騎士じゃなくても客員剣士ってことならいいだろ?」

「いいわけないでしょ! 戦争をしに行くのよ!?」

「だからだよ」

「はぁ!?」

「アイシャが行くなら俺も行く。だって俺ら、友だちだろ?」


 口を衝いて出そうになったあらゆる文句を腹へ押し返すほどの力が、彼の笑顔にはあった。

 屈託のない友の言葉に、これまで何度救われたかわからない。殺される前も含めて。


 俯いて肩を震わせるアイシャを見てさすがにまずいと思ったのか、テンはヘラヘラしていた顔に焦りを浮かべる。


「なぁアイシャ、もしかして怒っ……うおっ!?」


 頭一つ分背の高い無防備な首に向かって、重いタックルのようなハグをした。どうにか抱き止めたテンの背中が大きく仰け反る。その熱烈な光景にニネミアが「あらまぁ」と目を丸くした。


「来てくれてすごく嬉しい。ありがとう、テン」

「……へへっ、当然だろ。だってアイシャ、俺より弱いし――ブヘェッッッ!!」


 余計なことを言った横っ面へ、魔力を込めた渾身の右ストレートを叩き込んだ。白い歯が綺麗に宙を飛んだが、気のせいということにしておこう。

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