第3話 二度目の断頭台
目覚めたら懐かしい模様の天井が広がっていて、冷や汗まみれで飛び起きる女の子。
そのただならぬ様子に慌てて両親を呼んでくれた仲良しの侍女。
「みんなしんじゃった」と泣きじゃくる我が子を抱き締めて「怖い夢を見たんだな」「大丈夫、ちゃんとここにいるわ」と言ってくれる、大好きな父と母。
そんな優しい世界からやり直せたなら、まだ希望が持てたかもしれない。
「七聖家が一門、グリツェラ家当主ルーカス。お前は正当な聖位継承者である僕を欺き、弟と共謀して次期聖下の座を脅かそうとした。これは皇家と七聖家の信頼を揺るがす重大な反逆行為だ。よって女神の名の下に、死刑を言い渡す」
アイシャの二度目の人生は、父が断頭台に乗せられた十六歳の夜から始まった。
「なん、で……」
呆然とつぶやくアイシャに応えてくれる者はいない。
記憶が正しければ、この時はミオの持病が悪化して治世が困難になり、皇太子のリヒトが聖下代理を務めていた時代。
判決を読み上げたリヒトに泣いて慈悲を乞う母の隣で、アイシャはそっと腹を撫でた。装飾のないネイビーのワンピースの上をすべらせても、血がついていない。傷もない、痛みもない。ついさっき、臨月の腹を切り裂かれて死んだはずなのに。
「私もわずかながら皇家の血を引く女です。どうか夫に恩赦をお与え下さい、お願いします……!」
「混じり者に何の価値があると言うのです。弁えなさい、ニネミア」
赤茶色が混じった金髪を振り乱す母のニネミアは、皇家の家系図の端に小さく名を連ねる一族である。だが城下の広場に押し寄せた大衆の面前で両膝をついて嘆願する彼女を、聖妃マグノリアは嘲笑った。
その後、ニネミアは夫の首が目の前で刎ねられたのを見て卒倒し、心を病んで寝台から起き上がれぬままこの世を去ってしまう。
「勇猛果敢な白桜騎士団の諸君、この光景をけして忘れるな。貴様らの本当の主君が誰であるのか、いま一度思い出せ」
断頭台が良く見える正面の位置に武装を解いて並べられたグリツェラ家の騎士たち。総勢百八十三家もの家長一同は、今にも飛びかかりそうな形相でリヒトを
その中に、柔らかな金髪と深緑の瞳をした青年騎士がいた。
(ロイさん、生きてる……!)
忠義に厚いグリツェラ家の騎士の中でも一番の忠臣と呼べるブラント家。その長子であるロイは、アイシャが実の兄のように慕い、心のよりどころとしていた人物である。
側妃となった後も、日々憔悴していくアイシャを助け出そうと奔走してくれた。だがそれに勘づいたリヒトによって南部の内戦へ派兵され、戦死した。
――君がみっともなく助けを求めたりしなければ、彼も今ごろ名家の美しい妻を娶って幸せに暮らせていたかもしれないな。
どこか嬉しそうに語るリヒトの声が、ずっと耳にこびりついている。
お前が殺したと言われた気がした。お前のせいで死んだのだと。だが、ロイはまだ生きている。
(じゃあ、テンも……?)
今度は七聖家が並ぶ一角へ目まぐるしく視線を移した。
家紋の旗を掲げた
官憲の御三家と誉れ高いクーパー家――その当主である老君ヴェルナーが、鋭い視線を断頭台へ向ける。
彼の後ろに控える一族の顔ぶれの中で、テン・リー・クーパーは悔し気に
母親譲りの純黒の髪と黄金色の瞳が目を引くテンは、知略に長けたクーパー家の中では珍しい武闘派である。アイシャと同い年で同じ七聖家ということもあり、白桜騎士団の修練場によく顔を見せていたのだ。
ルーカスは彼にとって師も同然。テンは処刑を阻止するために尽力してくれたが、祖父のヴェルナーが強硬な聖権派の重鎮ということもあり、力が及ばなかったらしい。
相手が女の子だろうと容赦ない清々しい剣が、アイシャは好きだった。 裏表がなく、対等な目線で接してくれた友は、これから始まるクーパー家の跡目争いに巻き込まれ、謀殺される――。
「――では執行人、前へ」
進行役の一言でハッと顔を上げる。
断頭台へ現れた人物を見て、とうとう
「シオン、様……」
声が震える。呼吸の仕方を忘れてしまったかのように息苦しい。
手酷い尋問を受けた痕が残る中性的な美貌が篝火に揺れる。魔力を封じる首輪から伸びる鎖を聖兵が掴み、衰弱した彼を引きずった。
死ぬ間際に「もう二度と愛さない」と誓った相手がそこにいる。心臓が口から飛び出そうなほど脈打ち、堪らず視線を逸らす。
「今回の騒動への関与を否定すると言うのなら、お前の手でその逆賊を処せ。それを反逆の意思がないことの証とする。寛大な兄から愚弟への最大級の施しだ」
リヒトは用意された背もたれの高い椅子に腰かけると、観劇でもするような態度で優雅に足を組んだ。
無理やり剣を持たされたシオンは、兵士に押さえつけられたルーカスを苦し気に
「次期聖下の座なんて、俺もルーカスも望んでません。兄上が恐れているのはただの噂です。犯してもいない罪で首を刎ねれば、白桜騎士団が黙っていませんよ。最悪は内戦になる」
「思考しなければそもそも行動には移さない。計略を思いついた時点ですでに罪深い。実行したかどうかは些細な問題だ」
「そんな理屈が
「口のきけない死者か。歯向かう生者などよりよっぽど良いじゃないか」
何を言っても倫理観のない暴論に捻じ伏せられ、シオンは奥歯を噛み締めた。
「っ、ルーカスは父上の盟友ですよ!? グリツェラ家のこれまでの働きを鑑みれば、死刑なんてとても――」
「女神の子ではない半端者が、気安く父上のことを口にするな。十数え終わるまで猶予をやろう。罪人の首を落とせなければお前も共犯と見なす。……おい、大銅鑼を鳴らせ」
有無を言わさぬ命令を受けた聖兵が、
無慈悲な命のカウントダウンが城下の大広場に響く。二回、三回と打ち鳴らされ、泣き崩れた母がアイシャに抱きついた。
(何で、今なの……)
理由や原理はわからないが、本当に時間が巻き戻ったのだとして。
どうしてこのタイミングなのか。シオンと婚約する前なら、きっと上手く立ち回れた。だがもう無理だ、手遅れだ。また同じ地獄が繰り返される。
(お父様は死ぬ。お母様も、ロイさんも、テンも、みんな……!)
一度目であんなに苦しい思いをしたのだから、それを二度も経験したら、きっと壊れてしまう。考えただけで恐ろしい。
剣はとうに奪われ、愛は無残に踏み
アイシャはもう、戦えない。
「アイシャ」
恐怖に屈しかけたその時。
周りの一切の音が掻き消え、断頭台からルーカスの声だけがクリアに聞こえた。精悍な顔に真っ直ぐ見つめられ、父への恋しさが胸を焼く。
いっそのこと母を引きずってそばに駆け寄り、家族皆で殺されてしまおうか。
これから始まる絶望の恐怖から、そんな考えが頭を過ぎる。だが……。
「――あとは、頼んだぞ」
本気で一歩踏み出そうとした足を、微笑みと共に向けられた父の言葉が押し留めた。
十度目の銅鑼が鳴る。シオンはルーカスの首を落とすことができなかった。
空気を伝って夜空へ消える荘厳な音が観衆の声も一緒に攫ってしまったかのように、周囲が静まり返る。
ニネミアのすすり泣きだけが聞こえる処刑場を見渡して、リヒトが椅子から緩慢に立ち上がった。
「お前には本当に失望した」
そう言って、人差し指で軽く宙を弾く。
刹那、魔力を凝縮させた白光の刃が飛び、断頭台ごと父の首と胴を容易く切り離した。
首は血と共に放物線を描いて高く飛び、アイシャとニネミアの前にぼとりと落ちる。
「――ッ!」
人が殺される瞬間など当然それまで見たことがない高貴な母は、気を失ってその場に崩れ落ちた。
立ち尽くしたアイシャだけが、瞬きも忘れて父の首と見つめ合う。永遠にも思える時間だった。だがそれも、わっと上がった歓声と断頭台の崩れる轟音に遮られる。
リヒトはアイシャの前に落ちた首の銀髪を戦利品のようにわし掴むと、無造作に聖兵へ投げつけた。
「城門に晒しておけ。身体も一緒にな。カラス共に食い尽くされるまで下ろすなよ」
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