第二章 再会の花束

第9話 朽ちた花籠

 レティガント大陸の東に浮かぶ小さな島国、トリス・ガリテ。

 豊かな自然と穏やかな島民ばかりが余りある島で、経済価値はほとんどない。


 そんな島国からレト皇家に嫁いできたのが、トリス・ガリテ第五王女、リリだった。

 艶めく紫黒色の髪に大きな菫色の瞳。レトの貴婦人たちとは違う独特な魅力を放つ彼女を、詩人たちはこぞって「花籠」と詠った。

 だが海を渡って嫁いで来た彼女を、他の妃たちは軽んじた。「品位がないから」と荒れ果てた離宮に押し込み、笑い者にして蔑んだのだ。


「ちちうえにおそわりました。これ、ははうえにあげます」

「まぁシオン、もう魔力を扱えるようになったの? すごいわ!」


 子どもが魔力操作の基礎を会得するのに、花を咲かせる手法がよく用いられる。自分の中の魔力を感じ取り、それを植物へ流すのだ。流す魔力が少なければ花は咲かないし、多すぎても開花を通り過ぎて枯れてしまう。

 季節外れのカスミソウを一本受け取ったリリは、少し得意げな顔をした息子を思いきり抱き締めた。


 ミオの側妃となり、シオンを授かって。後ろ盾のない異国の地で、彼女は可憐に咲いた。そうあれたのは、ミオが心を砕いてくれたから。聡明で愛嬌があり、何より生まれ育った島国のように穏やかなリリに、ミオは生まれて初めて恋情を抱いたのだ。その寵愛は聖妃マグノリアを凌ぐほどだったと言われる。


 さらに、父親であるミオから直々に指南を受けるシオンには、周囲が驚くほどの魔力の才覚があった。両親に褒めてもらえるのが嬉しくて、乾いた土に水が染みわたるように何もかもを吸収し、華々しく開花していく。誰かが「側妃の子であるのが惜しい」と囁くほどに。


 生まれながらの虚弱体質で、病床からほとんど起き上がれないリヒトをひたすら看病していた当時のマグノリアは、それがどうしても許せなかった。




 ⚜




 息を引き取った母の寝台に突っ伏して泣いていた幼いシオンに、人知れずやって来たマグノリアは恐ろしい杭を打ち込んだ。決して抜けない呪いの言葉だ。



「お前が幸せを享受することをけして許しはしない。お前は影よ。リヒト以上に輝くことがあって良いはずがないの。あの子があんなに苦しんでいるのに、富や名誉、ましてや愛なんてものを手に入れようだなんておこがましいわ。お前の大切なものは、何であろうと全て根絶やしにしてやる。よぉく覚えておきなさい、腐った花籠から生まれた汚らわしい子」



 女神の血を体現する金糸雀色の髪の影から赤黒く濁った虚ろなまなこに見下ろされ、シオンは悟った。

 母は病気で死んだのではない。マグノリアに呪い殺されたのだと。



 故郷の海に還ることも城内にある皇家の霊園に眠ることも許されず、リリの遺体は聖都郊外のひっそりとした共同墓地に収められた。

 政略の意図で嫁いできたとは言え、リリはトリス・ガリテの王女だ。あまりの仕打ちに思えたが、マグノリアの決定には誰も逆らえない。聖下であるミオでさえ。彼女は女神の血を引くレトの最高権力者の妻であり、そして姉なのだから。


 誰もが聖妃の顔色を気にしている。レトに災厄の雷が落ちるか金の雨が降るかは彼女次第。リリが没してからは特に機嫌が良いらしく、貴族たちへ湯水のように金が流れた。毎日足を運ぶシオンの他に、リリの墓に花を供える者はいない。


 そんなある日。

 閑散とした墓標の前に、銀髪の親子が佇んでいた。とっさに身を隠したシオンとルフは、その様子を物陰から食い入るように見守る。


(あれは、七聖家の……)


 白桜が刺繍されたマントを羽織る父親を見て、シオンはすぐに思い当たった。

 なら、あの少女は一人娘の――。


「おしろでまいごになったとき、リリさまにたすけていただきました。おとうさまがおむかえにくるまでいっしょにあそんでくださったこと、ずっとわすれません。まだうまくできなくて、ちょっとしかさいてないけど……どうしても、リリさまにおわたししたくて」


 涙声で墓標へ語りかける少女が供えたのは、一輪だけ咲いた桜の枝。透き通るようなアイスブルーの瞳を揺蕩たゆたっていた悲しみが、大粒の涙になって柔らかな頬を伝う。娘を抱き上げた父の肩で小さな体を震わせ、堰を切ったようにしゃくり上げた。


「アイシャが咲かせた桜を供えてもらえて、リリ様もきっと喜んでいるよ」

「リリさま、どうしてしんじゃったの? なんでこんなにさみしいところにいるの?」

「……うん、寂しいな」

「すごくきれいで、とってもやさしかったのに。こんなのひどい、ひどいよ……」

「ああ……こんなことはもう、終わらせなければいけないね」


 啜り泣く彼女の声が遠ざかっていく。立ち去る二人の後ろ姿を見つめる幼い肩に、ルフが大きな手を置いた。


「リリ様のことをあのように思ってくださる方がいようとは……良かったですね、殿下」

「ああ」


 ルフに促されて、桜の枝が置かれた墓標へ向かう。

 リリの墓に花を供えることすら禁忌だと囁く声がある中で、あの少女は母の死を純粋に悼んでくれた初めての人だった。彼女の泣き顔が頭から離れない。残された桜の枝に一輪だけ咲いた花を見下ろせば、胸に温かい何かが灯るようだった。


 同時に、マグノリアに打たれた杭の隙間から血が噴き出る。



 ――お前の大切なものは、何であろうと全て根絶やしにしてやる。



「…………」

「殿下、どうされました?」


 母へ贈られた桜を拾った主人へ、ルフが気づかわし気に問いかける。

 するとシオンは、魔力を注いで一斉に蕾を開花させた。枝いっぱいの満開の桜が神々しく咲き誇ると、しばらくして花が散り、葉桜に彩られ、やがて枯れ果てる。


 シオンはただの枝に変えたそれを密かに持ち帰った。あの場にグリツェラ家の親子が来ていた証拠を摘んだのだ。


(母上のために泣いてくれたあの子だけは、絶対に守らなければ――)


 そのためには、自分の関心がアイシャへ向けられていることをマグノリアに悟られてはいけない。

 真皮まで皮膚が焼けただれ、愛らしかった顔が膿と水膨れに侵食されてもがき苦しんで死んだ母の姿が今も目に浮かぶ。彼女が同じような目に遭うなんて、堪えられない。


 だが運命というものは、いつも当事者の意思などお構いなしで好き勝手に掻き乱す。

 リリが亡くなって三年。十三歳になったシオンを執務室に呼び出して、父である聖下ミオは言った。


「お前とグリツェラ家の姫君の婚約が決まった」

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