第12話 桜舞う祝勝会

「うちの次男坊ほど姫様にぞっこんな男はいないぞ! 一生尻に敷いてほしいって言ってやがる」

「俺の弟はカルサイト城攻略戦で姫様の背後を二度もお守りしたんだ! どうだ、婿にはうってつけだろう?」

「それを言うならラドクラフト卿の御子息が深手を負った時、天幕に姫様が見舞いにいらしたそうだぞ。目に涙を浮かべて案じてくれたとか。もしや姫様の方も気があったんじゃ……」


 長い行軍なのに、先頭から最後尾まであらゆる場所から婿候補を推薦する声が上がる。

 頬を赤らめて黙りこくってしまったアイシャの肩を、ニヤついたテンが小突いた。


「人生最大のモテ期到来か?」

「うるさい。あなただって家に帰ったらきっと縁談の嵐よ。今じゃ南部平定の英雄なんだから」

「マジで!? じいちゃんに会うのは嫌だけど、それは楽しみだな~!」

「ああ、そう……」


 そのお気楽な頭が、今は羨ましい。


「でも実際、婚姻は急ぐべきだろうね。こうして白桜騎士団の有用性が示された以上、それを狙ってアイシャに近づく不躾な輩が増えるだろうし」

「ロイさん、笑顔がこえーよ……。あ、そうだ。この際二人がくっつけば丸く収まるんじゃね?」


 名案だと言わんばかりに手を叩いたテンに、アイシャは首まで真っ赤に染め上げて詰め寄った。


「テンのばか! そんなこと言ったらロイさんが困るでしょ!?」

「アイシャさえ良ければ、僕は構わないけど」

「へぁ……!?」

「お、おい、アイシャ!?」


 春の日差しに揺れるダンデライオンのような笑顔を向けられ、アイシャはくらりと眩暈めまいを感じてそのまま落馬してしまった。怪我をしなかったから良かったものの、グリツェラ領国が誇る顔面最終兵器『カオ・ガ・イイ』の破壊力はさすがだ。今も心臓がバクバクしている。


「アイシャ、大丈夫?」

「ふぁい」

「んー、だめそうだね」

「お前、昔っからロイさんの顔好きだもんなぁ」


 呆れ顔で笑うテンにはわかるまい。アイシャのロイに対する感情は憧憬に近い。むしろ神聖視すらしていた。


 歴史あるブラント侯爵家の長子であり、端正な甘い顔で物腰が柔らかく、そのうえいくさとなれば毎回勲章レベルの戦果を上げる麗しの金獅子。憧れるなと言う方が無粋だ。

 それに男は顔だけではないけれど、顔が良くて悪いということもない。そこはさすがのアイシャも普通の令嬢と同じ感覚である。この際だからぶっちゃけるとめちゃくちゃ好みだ。生まれた時からこの顔面が近くにあったのだから仕方ない。


 ロイは一度馬を降りると、アイシャの馬の手綱をテンに渡した。そしてすっかりくたくたになってしまった妹分を立たせて、自分の馬に乗せる。

 しばらくされるがままになっていたアイシャだったが、背後にロイが乗った気配を感じて、ぎくりと身体を強張らせた。


「ひ、一人で乗れます! 本当に大丈夫ですから!」

「また落ちたら危ないでしょ。いい子だから大人しく乗せられてなさい」

「はぅ、う゛っ、ぅ~~~ッ……!」


 後ろから伸ばされた手が手綱を掴む。自然と密着する背中で存分に感じる輝かしさに火傷しそうだ。こんなご褒美、どんな拷問よりも堪えがたい。


 身悶えるアイシャを面白そうに茶化すテンの笑い声が丘に響く。

 平和だ。全てを失って時間が巻き戻り、あの頃とは違う未来へ進めている気がする。


 だが俯いた視線の先にあった剣の柄で揺れる護り石が目に入り、きゅっと心が窄まった。


(シオン様はご無事なのかしら)


 二年前にトライノーツへ渡ったきりの元婚約者を思い浮かべ、胸の奥がずくりと重くなる。

 戦場では彼の安否を確かめる余裕などなかった。誰に尋ねればいいのかすら見当もつかない。リヒトでさえシオンの動向を把握できていないんじゃないだろうか。彼の中ではもう、異母弟は死んだも同然なのだから。


 帰って来なくてもいい。

 ルフにはああ言ったが、今さら会いに来てくれなくたって、別に構わない。

 ずっと腰抜けのままでいいから、ただ、生きていてほしい。


 光りを浴びて七色に淡く輝く護り石を指先に乗せて、祈るように見つめる。

 やがて、桜の館の裾野に広がる湖の匂いが風に乗って吹き抜けた。




 ⚜




 アイシャの見事な初陣と南部平定を祝おうと、満開の桜が舞う中で行われた祝勝会には多くの領民たちが押し寄せた。


 新しい当主との謁見を求め、メインの大広間に人々が列を成す。ニネミアも手伝ってくれているが、それでも捌ききれない人の波。ルーカスの件で地に落ちかけたグリツェラ領国の名誉と誇りを取り戻してくれたアイシャに、みな一言でも労わりの言葉を伝えたいのだ。


 訪れる人々の話を聞いて、時には手の甲にキスをされ。共に戦った家臣の家族から末端の領民まで、アイシャは分け隔てなく言葉を尽くした。せっかくの宴の食事もまだ一口も口にしていないばかりか、水を飲む暇もない。


「アイシャ、疲れただろう? 一度切り上げようか?」

「大丈夫です、民と少しでも多く話したいので」


 気を使って耳打ちしてくれたロイに笑顔で答える。「ああ、でも」と言葉が口を衝いた。


「ロイさんは宴に行ってもらって大丈夫ですよ。ほら、あそこの壁際のご令嬢たちがうずうずしてますし」


 アイシャが目配せしたのは、家族に連れられてやって来た若いレディたち。先ほどから当主の隣に立つ金獅子へ熱い視線を飛ばし続けている。


「彼女たちは大丈夫だよ。ほら――」


 言われて再び視線を戻すと、緩みきった顔のテンが両手に花を抱いて席に着いたところだった。クーパー家の次男坊と南部戦線の英雄という二つの肩書きに魅了されたレディたちは、ロイから目移りしてすっかり笑顔になっている。


「見る目ないなぁ」

「ん?」

「な、なんでもないです」


 危ない、思わず本音が漏れてしまった。

 子どもっぽくて無邪気で純粋でお調子者のテンが悪いというわけではない。ただアイシャの中でロイの評価が雲を突き抜けているというだけの話だ。


 気を取り直して長蛇の列から次の謁見者を呼ぶ。

 現れたのは、それなりに上等なジャケットを着た貴族の男だった。やせっぽっちで狐面きつねづら、歳は五十代半ばと言ったところか。見覚えがあるような気がして記憶を辿る。


「アイシャ様、お美しくなられましたねぇ。まさに戦場に咲く銀の花!」


 耳を舌で撫でるような厭らしい声を聞いて思い出した。

 ジーノ・マクベラン男爵――グリツェラ家に忠誠を誓ったにもかかわらず、白桜騎士団の招集に応じなかった家門だ。

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