第13話 花束の君

「……いくさはもう終わりましたよ、マクベラン卿。今になって顔を見せるなんて、いったいどんな御用があるのでしょう?」


 大方、当主とは名ばかりの小娘が先導する負け戦と踏んで背を向けたのだろう。

 限りなく冷淡な声と微笑みで突き放したアイシャだったが、ジーノはわざとらしく涙を浮かべて大げさに両手を広げる。


「その節は本っっっ当に不本意ながらお助けできず、申し訳ありませんでした! 身を裂かれるような断腸の思いでしたが、妻の実家が流行り病で昏倒してしまいまして、わたくしめもそちらの援助に奔走していたのです」

「それは大変でしたね。奥方には心からお見舞い申し上げます。ではこの祝いの席からすぐにでもお帰りになって、これから先ずっと支えになってあげなさい」


 なるべく丁寧に「さっさと帰れ、そして二度とそのツラを見せるな」と促す。忠誠を誓ったはずの剣が見当たらないばかりか、見え透いた嘘で乗り切ろうとする浅はかなところも気に食わなかった。

 アイシャだけでなく、周囲からも冷ややかな視線が向けられる。分が悪いと判断したら即時撤退するのが正攻法だが、愚かなジーノに兵法の知識は皆無だ。


「ま、まぁそう言わず! お詫びとお祝いのしるしとして最高の贈り物を用意しましたので、ぜひ一度ご覧ください! ……おいお前たち、さっさと来い!」


 甲高い呼びかけに応じて現れたのは、十人の若い男たち。一段高い場所に座るアイシャの前で横並びに整列すると、胸に手を当てて軽く一礼する。その全員が男娼の身分を表す白いチョーカーを付けていた。


 どこまで馬鹿にすれば気が済むのだろう。頭の奥がすっと冷たくなっていく。


「美しい女王の祝いの席には酒池肉林の他に美男も必要でしょう? 酌をさせるも踊らせるも寝台に連れ込むも良し! ささ、どうぞお好きにお使いください!」


 ジーノは本気でこれが最高の贈り物だと思っていた。誰だって美女を贈られたら喜ぶもの。肉薄した命の取り合いから帰って来た男ならなおさらだ。それが女に変わったところで性別が逆転するだけ。当然自分の非礼は許され、我らの女王は上機嫌で好みの男を自室へ連れ込むと信じて疑わなかった。


 だが目の前に凛と座すグリツェラ家の当主は、男娼たちがはした金で奉仕する城下町の客とはまるで違う。視線や佇まい、その吐息までも。触れてはならない一点物の宝石のように思えて、誰も彼女の手を引こうとしない。城主とは違って分別があるようだ。


「今すぐ彼らを連れて立ち去れば、この非礼はなかったことにします。これ以上醜態を晒す前に出て行きなさい」

「んなぁッ!? まさかお気に召しませんでしたか!? 近くで触れ合えばきっとお考えも変わります、さぁ!」

「彼女は町娘ではなくグリツェラ領国の主だぞ。弁えろ、マクベラン卿」


 当主の椅子から見下ろすアイシャへ不躾に伸ばされた手を、真顔のロイが阻んだ。度重なる無礼を目の当たりにして、彼も相当頭にきている。それを皮切りに、ジーノへ向け周囲から次々とヤジが飛んだ。


「白桜騎士団の面汚しめ!」

「姫様に指一本でも触れたらここで叩き切るぞ!」

「さっさと出て行け狐野郎!」


 大広間を飛び交う罵詈雑言とジーノの聞き苦しい弁明に、アイシャはずんと重くなった額を指で押さえる。

 こうなったらもう強制的にでも退場してもらおう。そう思って向けた視線の先に、が見えた。


 収拾のつかない狂騒に支配された空間を、花束を持った一人の男が真っ直ぐ歩いて来る。

 鼻先まで深く被ったフード付きの黒い外套では、洗練された高潔な雰囲気を隠しきれない。謁見の行列を無視して突き進む彼の姿を見た者から、次々と口を閉ざしていく。絨毯に吸い取られるはずの足音まで聞こえそうなほど、誰もがその存在感から目が離せない。


 そんなはずないと頭ではわかっていても、身体が勝手に席を立つ。喧騒に晒されてうずくまる男娼も、ロイに取り押さえられて喚くジーノも、アイシャにはもう見えていなかった。



 誕生日の夜、聖都のタウンハウスでは必ず呼び鈴が鳴った。



 主人の命令で毎回花束を届けてくれる優しい護衛騎士には申し訳なかったが、扉を開けた先にいるのが彼だったらよかったのにと、何度も肩を落とした。

 簡素な手書きのメッセージカードじゃなくて、ちゃんと言葉で伝えてほしい。長ったらしいお世辞や挨拶なんていらない。たった一言でいいから、直接声を聞きたい――そう願っていたかつての気持ちが、ぶわりと蘇った。


「なん、で……」


 さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った大広間の中央で、男へ問いかける。

 薄氷のようにも見える脆く儚い彼女を、誰もが固唾を飲んで見守った。


「君が言ったんじゃないか。『次は直接会いに来い、腰抜け』と」


 言った。確かに言った。もう二度と会えないかもしれないと思って、今までずっと言いたかった本音を、扉の近くで待機しているあの大男に包み隠すことなく託した。


 最後に直接言葉を交わしたのは牢獄だったか。懐かしい声を聞いて、見開いた氷華の瞳からとうとう涙が零れる。


「いつも君のために咲かせていた。こうして直接渡せるなんて、本当に夢みたいだ」


 無防備な泣き顔を周囲から隠すようにずいと渡された、前が見えなくなるほどのカスミソウの花束。

 それを恐る恐る受け取ると、しなやかな腕に腰を引き寄せられた。向かい合う二人の間を隙間なく埋める白い小花越しに、菫色の双眸が覗く。

 フードの影になっていてもその視線があまりにも柔らかく、甘やかで。一度目の人生からずっと氷漬けになっていた心が溶けてしたたった雫が、言葉になってぽたぽたと溢れ出した。


「ずっと、あなたの手から花束を受け取りたかった。……会いに来てくれて嬉しい。本当にすごく、すごく嬉しいです……シオン様」

「アイシャ……」


 いくさが終わってもずっと解けずにいた透明な鎧が、華奢な足元にバラバラと落ちて行く。


 死を越えた先でやっと伝えられた想いごと、力強く抱き締められた。「花が潰れちゃう」と愛らしい心配をするアイシャに狂おしさを募らせたシオンが「これからいくらでも咲かせてやる」と耳元で囁く。二人の未来を語る言葉に導かれ、寄る瀬なく宙を掴んでいた左手が、そっと背中に回された。

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