第11話 凱旋の東風

「中央はフォートンの雑軍だ、重装歩兵で押し抜け! 両翼の白桜騎士団と分断させる!!」


 カッセルが馬上で声を荒上げる。ここ二年の連敗の鬱憤をぶつけるように、兵士たちは鎧の金属音を戦場に轟かせながら突進した。


 自治領の独立を宣言して十三年。かつての主であるミクリ・フォートンから送り込まれる征伐軍を蹴散らしながら、着々と南部を手中に収めてきたはずだった。

 それが二年前。フォートン家に並ぶ七聖家のグリツェラ家が参戦してきてから、戦局がおかしくなった。


 銀狼と謳われた当主ルーカスが逆心で処刑された話は、もちろんカッセルの耳にも入っていた。家の名誉を取り戻すため、残された一人娘が悲劇的に戦場へ送り込まれたのだろう。銀の花瓶に生けられた純白の百合のように美しい娘だと聞く。戦場で見つけたら生け捕りにして、息子への手土産にしようか。それとも自分の慰み者にしてしまおうか。


 そのように取るに足らない相手だと思っていた小娘に、カルサイト城があっさり落とされた。


「両翼の騎兵が突破されました! このままでは白桜騎士団に背後を取られます!」

「ぐぅう……ッ!」


 陣営の後方で伝令兵から戦況を聞いたカッセルの目にも、自軍を蹴散らして驀進ばくしんする騎馬隊の群れが見えた。まるで統率の取れた獣のような動きだ。煙と断末魔が上がる両翼からは光になって可視化するほどの魔力がそれぞれ迸っている。噂に聞く新たな双璧か。それならもう、群れの先陣を切る銀狼はとっくに自陣に迫っているはず。


 カッセルは黒煙と土煙に目を凝らした。陣営の背後から迫り来る蹄鉄の音を感じ取り、ニィと歯を見せて不敵な笑みを浮かべる。


「銃兵構えろ! ――撃てぇええッ!!」


 この時のために控えさせていた銃口が、後陣に立ち込める土煙に向かって一斉に火を吹いた。


 気高さを重んじるグリツェラ家の戦い方は、げに美しい。必ず当主自ら敵大将の首を取りに来る。それを見越した一撃必殺の不可避の斉射――だったはずが、力強い蹄鉄は鳴りやまない。


 額にびっしりと脂汗をかいたカッセルの首ギリギリを、煙の中から吹いた突風が撫でる。いや、ただの風ではない。風に乗った無数の魔刃が、頼みの銃兵部隊を根こそぎ切り倒していった。


「ッ、化け物めぇ……っ!」


 忌々し気に老眼を血走らせるカッセルの目前に、煙の中を突き抜けてきた馬影が迫る。

 アイシャは馬上から魔力で受け止めて磨り潰した弾丸の鉄粉を撒いた。

 すれ違い様にカッセルを馬から引き倒すと、自身も白桜のペリースを翻らせて着地する。すかさず護り石が揺れる剣を振り抜き、意匠が施された公爵家の堅牢な鎧を打ち砕いた。


 肩を貫いた灼熱のような痛みに、カッセルが情けなく泣き叫ぶ。


「終わりだカッセル。南部は返してもらう」


 出兵からおおよそ二年。

 父から授かった騎士服に合わせたように成長したアイシャは、戦場で十八歳になった。




 ⚜




 なだらかなグリツェラ領国の丘に、東から春の風が吹く。南部戦線からの帰路を行く白桜騎士団を出迎えるような、穏やかな風だった。


「桜のやかたまでもうすぐだね。奥方様はお元気かな?」

「領民たちと祝勝会の準備に追われて寝る暇もないと伝書梟グーフォの手紙に書いてありました。ロイさんのためにたくさんお菓子を焼いて待ってるそうですよ」

「奥方様の焼き菓子は絶品だから楽しみだなぁ。ふふ、頑張った甲斐があったよ」


 桜が咲くグリツェラ家の本邸、通称『桜の館』は、領内で一番大きな湖が望める南東部にある。馬上で風を浴びたアイシャの脳裏には、ちょうど満開に咲いた頃合の一本桜が思い浮かんだ。


「なぁアイシャ、本当に俺もお前んに行っていいのか?」


 後方から黒い馬に乗ったテンが近づいて問いかける。

 戦場で伸びっぱなしになった黒髪を一つに結った彼は、出兵前と比べるとぐんと背も伸びて、顔つきも精悍になった。だが無邪気さは相変わらずで、すっかりグリツェラ家の騎士たちに可愛がられている。


「何よ今さら。いいに決まってるじゃない」

「ならいいけどさ。お前のことだから『終戦したんだからさっさとクーパー家に顔見せに行け!』って追い出されるかと思ってたのに」


 生真面目なアイシャならそれもあり得る。しかしテンは今やロイと並んで双璧と呼ばれるほどの功労者だ。客員剣士なんてよそよそしい呼び方はもう相応しくない。彼はすでに、白桜騎士団の大切な一員なのだから。


「せっかくの祝勝会にテンがいないなんて、皆がっかりするでしょ?」

「くぅ~っ、さすがアイシャ姫! よくわかってんなぁ!」

「ちょっと、馬に乗ったままくっつかないでよ!」


 親しげに肩を組む二人をロイが微笑ましげに眺める。

 アイシャの左にテン、右にロイ。カッセルの兵を破竹の勢いで蹴散らし続けた布陣を眺める諸侯たちの視線は温かい。


「姫様の隊列に並ぶと、あと五十年は生きられそうな気がするな! はっはっはっ!」

「ラドクラフト卿、出立前はあれほど噛みついておいて……まぁでもわかります。ルーカス様に並ぶ、立派な銀狼になられた」


 ドルトンとダリオが三人の眩しい後ろ姿に目を細める。

 ルーカスの時代から着実に変化しつつある白桜騎士団の歴史が少し寂しくもあり、同時に若者たちの背中が頼もしくなっていく様子を見るのは、誇らしかった。


「あとは姫様が良い男を見つけて身を固めてくれたら安心なんだがなぁ」


 誰が呟いたのか。その何気ない一言が火種となり、爆発的に燃え広がった。

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