第25話 咲き乱れるのは

「ここはグリツェラ家の敷地内、つまり七聖家の領域。こんな時間に礼を欠かれて蔑ろにされた挙句、私に断りもなく婚約者を連行しようだなんて。リヒト殿下はまだ自分が聖下代理のおつもりなのですか? あなたはどうお考えなの、隊長殿?」

「……それでも女神の血を引く皇太子殿下には違いありません。非礼は私が詫びます故、シオン殿下の登城をお許し頂きたく――」

「お断りします」


 リヒトのことだ。シオンをアイシャから引き離し、適当な理由をつけて幽閉するか、最悪はルーカスの時のように罪をでっち上げて即処刑、なんてこともあり得る。アイシャはもう二度と同じ過ちを繰り返したくなかった。


 要望をきっぱり突っぱねた凛々しい横顔に堪らなくなり、シオンは彼女のしなやかな肩を引き寄せて、銀髪へ頬ずりする。これ見よがしに見せつけられ辟易とする聖兵たちをちらりと見やり、「ふっ」と不敵な笑みをこぼした。


「仕方ない、どうしても連行できない理由が欲しいならくれてやる。――皇家の責務は女神信仰の布教と定着。俺はこれから宣教活動の一環としてグリツェラ領国に赴く。だから登城はできないと、兄上に伝えろ」

「は……?」


 怪訝そうな顔をする隊長へ、微笑と共に策略家の顔を浮かべたシオンが続ける。


「無実の罪で国主を処刑された挙げ句、反逆の民と呼ばれて大陸中から冷や水を浴びせられたグリツェラ領国民の信仰心は今、地に落ちている。本来であれば弾劾の戦をけしかけられても仕方ない状況だ。だからこそ彼女の婚約者である俺が共に国へ戻り、民に誠意を尽くすことで信仰心を取り戻す必要がある。それが過ちを犯した兄上の代わりにできる最低限の贖罪だと思わないか? なぁ、アイシャ?」

「そうですね。本来であればリヒト殿下からもを差し出して頂きたいところですが……シオン様がそうおっしゃるのなら、ぜひ祖国へお越し頂きたいです」


 暗に「リヒトの首を寄越せ」と言ってのけた七聖家の若き当主に、聖兵たちは息を呑んだ。七聖家は女神の寵臣。だがグリツェラ家にとって、その血族であるリヒトはもう跪く器ですらない、と。

 隊長の男は金兜の下に冷や汗を浮かべる。


「今の言動は聞き逃したことにしますので、どうか言葉は慎重に選ばれてください。七聖家の当主ともあろうお方が、異端審問にかけられたいのですか?」

「先に我々の忠誠を踏み躙ったのはそちらでしょうに。まぁ、そうなっても構いません。その時に私を裁くのは、私たち七聖家が選んだ新しい聖下ですから」


 怒気は冷え切るばかりだった。

 膠着状態の聖兵たちは考える。このまま無理にシオンを連行すれば、アイシャはすぐにでも白桜騎士団を率いてリヒトの元へ攻め入るかもしれない。いや、彼女は必ず蜂起する。そうなればどちらの血がどれだけ流れるのか。実際に武器を持って戦うことになる聖兵たちは、想像してゾッと身震いする。相手は実戦慣れした獣の群れ。忠誠心の首輪が外れてしまえば、容易に制御などできはしない。彼女は今まさに、数々の不義や不当な仕打ちで脆くなった首輪に指をかけているのだ。腹の内で同じ怒りを燃やすシオンと共に。


「さぁ、これで命乞いの言い訳はできただろう。怖い主人の元へ尻尾を巻いて帰るといい」

「……後悔なさいますぞ、シオン殿下」

「彼女からまた引き離される以上の後悔はないさ。わかったなら、さっさと散れ」


 引き寄せた肩にぐっと力を込めて腕に抱く。アイシャも凍てつくような態度を崩さない。頑なに拒絶する二人の様子に項垂れ、聖兵たちは鎧の金属音を響かせながら悔し気に踵を返した。


 緊張感から解放されたエントランスに、使用人たちがほっと息を吐く声が響く。アイシャもようやく胸を撫で下ろし、雰囲気を柔らかくした。


「まったく、リヒト殿下ときたら。油断も隙もありませんね」

「だが聖下代理という不落の肩書に守られていた以前よりも格段に相手にしやすい。むしろ手段を選ばなくなったから無様で滑稽だ」

「物凄い言い草……――っ、ふぁ……!?」


 使用人たちがそれぞれの持ち場へ戻ったのを見計らい、シオンが不意にアイシャの頬へ唇を寄せた。小気味良いリップ音と共に薄く柔らかい唇が触れ、朝冷えでひんやりとした頬に熱を灯す。不意打ちを食らって間抜けな声を上げたことを恥じて眉を寄せる婚約者を、シオンは愛おしさを隠しもせず甘く見つめた。


「俺のために聖兵を退けようとしてくれた君の覇気に充てられてしまった。愛されていると自惚れてもいいか?」

「は、覇気って……」

「君は研ぎ澄まされている瞬間が一番美しい。ああもう、今すぐズタズタにされたい」


 物騒なことを艶っぽく囁かれ、先ほどキスをされた頬が引き攣る。それでも「やっぱり聖兵に突き出すべきだった」と一切思えないのだから、自惚れもあながち間違っていないのだろう。


 それからも「ちゅ、ちゅ」と何度も頭部に降り注ぐ唇を振り払えずむず痒くなっていると、二人の足元に積もったカスミソウに気づいた。見れば、シオンのスラックスのポケットから魔力で咲かせた白い花がポンポンと飛び出している。「これからいくらでも咲かせてやる」と再会した時に告げられたが、昨夜から咲かせすぎじゃないだろうか。嬉しいけれど、さすがに恥ずかしい。


「シオン様、あの、またカスミソウが……」

「すまない。こうしていないと別のものが爆発してしまいそうなんだ」

「爆発……? シオン様のお身体に何かあったら困ります。医者を呼びましょうか?」


 本気で心配すればよりいっそう強く抱き締められてしまい、辺りには純白のカスミソウの絨毯がぶわりと広がった。舞踏会終わりの美しい背中に滾って咲き乱れたそれを、使用人全員で屋敷中に飾り付けたばかりなのに。


 案の定、止まっていた朝の支度で忙しくする侍女長のサリアに見つかって、二人は滾々とお小言を食らってしまった。思わず「どうして私まで……」とアイシャが零せば、目敏いサリアに「姫様が愛おしすぎて狂い咲くのですから、姫様の責任でもあるのです」とぴしゃりと言い放たれる。怒られているのに満足そうに深く頷くシオンの横で赤面したアイシャは、それ以上何も言えなかった。




 ⚜




 半月前のそんなやり取りを思い出し、再び赤らんだ頬を押さえた。娘の愛らしい反応にほくそ笑んだニネミアが「そう言えば」と切り出す。


「婚礼はいつにするか決めた? 以前と違って二人とも成人だもの、あとは時宜次第だと思うのだけど」

「それは……」


 混迷の時代に皇族と、それもリヒトと並んで次期聖下の筆頭株とも呼べる第二皇子との婚姻など、壁が高すぎる。ミオの遺言状の効力をもってすれば押し通すことは可能だろうが、アイシャは言葉を濁した。


「次の聖下が正式に決まるまでは見送ろうと、シオン様と二人で決めました。この情勢では何がどう転ぶかわかりませんし、なるべく身軽でいたいんです」

「そう……二人で決めたのならそれでいいのよ。でもねアイシャ、剣を振るって戦うことだけが当主の役割じゃない。グリツェラ家の血を残すのもあなたの大切な使命だということも、どうか忘れないで」

「……はい、お母様」


 本音では「ミオ聖下の喪が明けたらすぐにでも婚儀を挙げて世継ぎを産みなさい」と言いたいのだろう。家門を守る女主人として当然の考えだ。だから母の考えを否定するつもりはない。むしろよくこんな我が儘を飲み込んでくれたと感謝している。次の聖下が決まった時、アイシャとシオンが生きている保証など何一つないのだから。


 だが一度目の人生で腹を切り裂かれて引きずり出された我が子を思うと、未だに下腹部が鈍く痛むのだ。誰にも打ち明けられないトラウマが、アイシャを臆病にさせた。シオンとの子をもう二度と奪われたくない。そのためにはリヒトを遠ざけなければ。悪意に満ちた手が二度とあの子に届かないほど遠くへ、どこまでも徹底的に――だからまだ、今じゃない。


「ところで、そういうシオン殿下はどちらに? 朝からお姿を見ていないような……」

「今日から騎士見習いたちの朝練に参加すると言っていました。どういう心境の変化なのかわかりませんが。……心配なので、様子を見てきますね」

「ええ、いってらっしゃい」


 敷地内に建てられた修練場へ向かうアイシャの後ろ姿を見送り、ニネミアは葉桜になった木の下でふうと息を吐く。赤茶色混じりの金髪を耳にかけ、小さくなる我が子の背中を見つめた。


「あの子が安心して剣を置ける時は来るのかしら……ねぇ、ルーカス様」


 桜色の瞳を向けて夫の墓標へ語りかけると、夏の風に吹かれて桜の葉がカサカサと音を立てる。娘の幸せを憂う自分を励ますように寄り添う夫の声に聞こえて、ニネミアはそっと木の幹に背を預けて耳を澄ませた。

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