第5話 始まりの一閃
「デジベ、ノースタッド、ベイウルグ、そしてガゼルハルト。この四つの領地を速やかに奉還すること。そしてシオン殿下との婚約の解消。以上がグリツェラ家への処分だ。異論はあるか?」
中央の証言台に立つアイシャを、法廷の議長がじっと睨む。
ルーカスが処されて五日。未だ憔悴している母に代わって、アイシャは一族への処分を粛々と聞き届けた。
事はやはり以前の通りに進んでいる。あとはここで大人しく頷けば、グリツェラ家が取り潰されることはない。
だが、それだけでは不十分だ。
「――恐れながら」
はい、もしくはいいえしか発言を許されない証言台に、有力貴族たちの剣呑な視線が集まる。議会の一番高い席から見下ろしていたリヒトもぴくりと眉を上げた。
「今回の寛大な処遇、深く痛み入ります。ですがこれでは禊が足りません。七聖家の一族として、女神への変わらぬ忠誠を示す機会を頂きたいのです」
重要なのは、白桜騎士団の必要性を示すこと。
ミオの治政以前から、大陸北東部を治めるグリツェラ家と白桜騎士団は海の向こうからやって来る侵略の脅威や魔獣を退ける国防の
「グリツェラ家と白桜騎士団に、南部制圧の任をお与えください」
その発言に、傍聴人が一斉にどよめいた。
大陸南部では元公爵のカッセルが自治領の独立を宣言し、内戦が十年以上続いている。アイシャが兄のように慕うロイが戦死するのもこの南部戦線だ。
前世では没落した騎士団に代わり、メーヴェの聖兵が主力となり鎮圧に当たった。そしてシオンは今回の反逆騒動の禊として一番の激戦地へ派兵され、善戦する彼らの慰問に訪れた聖女ロザリアと出会う。
そこでだ。シオンに代わってグリツェラ家と白桜騎士団が南部の逆賊を征伐すれば、両者の有用性と忠誠が証明され、没落を防げる。それによってリヒトの側妃となって腹を切り裂かれて死ぬ悍ましい未来も回避できるかもしれない。ロイの戦死だって防いでみせる。シオンとロザリアの馴れ初めは、この際どうなろうと構わない。
とにかく、当面の目標は南部を制すること。それがアイシャの考え抜いた延命作戦だ。
「カッセルの首はフォートン家の悲願。それをみすみす反逆者の娘に差し出せと?」
リヒトの両サイドに控える七聖家の席から忌々し気に吐き捨てたのは、学問の父と呼ばれるミクリ・フォートン。
南部を統べる王であり、かつての腹心だったカッセルの寝返りで最も名誉を傷つけられた男だ。口元から腰辺りまで伸ばした白髭を戦慄かせ、アイシャをモノクル越しに睨みつける。
ミクリは老化した小さな体に叡智を凝縮させたような人物だ。だがそれは兵法ではなく学問の知識。彼も私有軍を使ってカッセルの首を取ろうとしているが、もともとフォートン家は戦上手な家柄ではない。むしろ主戦力だったカッセルの裏切りで、かなりの兵を失った。恥をかかせたいわけではないが、戦果がお粗末すぎる。
「カッセルの首はフォートン家に献上します。取り返した領地も全てミクリ様のもの。利権も望みませんし報酬も必要ありません。私はただ、禊として征伐に行きたいだけです」
「何を企んでおるのか知らぬが、そなたの話を信じろと? リヒト殿下の寛大な計らいで咎めを受けずに済む家臣たちを自治国に関係ない戦いへ投入して、自分は皇家に義理立てしながら変わらぬ栄華を楽しむつもりなのだろう?
疑心に駆られたミクリの追及に、騒めきが一気に大きくなった。リヒトは依然として口を閉ざし、アイシャの反応を興味深げに眺めている。一つでも選択を誤ればここで首が飛んでもおかしくない。前回よりも長生きできなかったら笑えないなと、アイシャは心の中で自嘲した。
「……何か勘違いをされているようですが」
その一言で、法廷が静まり返る。権力者たちの疑惑の目が一斉に彼女を突き刺した。見えない血が足元へ滴るような緊張感の中でも、凛と立って見せる。真っ直ぐに見据えるのは、アイシャから何もかもを奪った金髪赤眼の悪魔。
彼の手によって悪戯に壊されたのは自分だけではない。歴代聖下の中で最も多くの臣民に首吊りを命じたリヒトの所業は、側妃としてすぐ近くで見て来た。貴族も平民も関係ない。女神以外は皆等しく
再び地獄へ舞い戻った理由が何であれ、父から託された未来を、自分が大切に思う者たちを、今度こそ守り抜く。
「白桜騎士団の先陣を切る役目は、主君たるグリツェラ家の誇り。私も共に戦場へ行くのです」
⚜
南部制圧の任を正式に拝命し、ようやく牢獄から出られたアイシャを待っていたのは、ロイとテンだった。暗がりの地下牢から出たばかりの目には、日没前の空に滲んだ夕日を影にして立つ二人がやけに眩しく見える。
ロイは騎士服からマントを外すと、薄汚れた格好をしたアイシャを包み込んだ。
「お帰り、アイシャ。審判では立派だったと聞いたよ。さすがは僕らのお姫様だ」
暴動が起きるのを抑制するため、あの場に白桜騎士団の者が立ち会うことは許されなかった。もちろんグリツェラ家を支持する者も。味方が一人もいない最前線で孤軍奮闘した傷だらけの心身に、信頼できる人の心からの労いが痛いほど染み渡る。安心させるように目尻を下げた柔和な碧眼を噛みしめるように見つめていると、後ろから伸ばされた大きな手にぐしゃっと頭を撫でられた。
「フォートンのじいさんに噛みついたらしいじゃん。んなボロボロの状態で、よくやるなぁ」
明るい口調はわざとだろう。背後を見上げた先で、やんちゃそうな八重歯を見せたテンがニカッと笑う。すっかりくすんだ銀髪を乱雑に掻き撫でる力強い指先が心地良い。
一度は死に別れてしまった二人に変わらぬ様子で出迎えられ、込み上げた涙をぐっと堪える。まだ泣くわけにはいかない。まだ、ここですべきことがある。
「お父様は……?」
顔を見合わせたロイとテンは、沈痛な面持ちでアイシャの手を引く。
向かったのは、牢の反対側に位置する正面門。そこには武装した白桜騎士団と聖兵が門越しに睨み合う異様な光景が。
すると騎士たちの最前列で門兵と対峙していたロイの父、ダリオ・ブラント侯爵がアイシャに気づき、すらりとした長身を正して胸に手を当て会釈をする。加齢で色素が薄くなったプラチナブロンドを夕焼け色に染め、主君の忘れ形見の帰還に切れ長の碧眼を潤ませた。他の騎士たちもダリオに続く。先端の尖った城門へ串刺しにされた父の首と胴に見下ろされる中、アイシャは家臣たちと再会を果たした。
「アイシャ、君は見ない方がいい。もう五日もああやって野晒しにされてるんだ。ルーカス様の面影はないよ」
「……大丈夫です」
苦々しく言うロイの横を通り過ぎ、異臭を放つ門を見上げる。首は外を見下ろすように突き刺されているので、門の内側からは相貌までは確認できない。カラスが啄んだのか、腐った血肉が中腹までぶら下がっている。
アイシャは変わり果てた父の姿を見ても表情を変えないまま、一人の門兵に歩み寄った。
「リヒト殿下から父を連れて帰る許可を頂きました。降ろして差し上げて」
「ではご自分でどうぞ。我々は目の前の逆賊が暴れ出さないか見張っていなければならないので」
主君の娘が一介の門兵ごときに軽んじられた。グリツェラ家の騎士たちのフラストレーションは最高潮に達し、今にも剣を抜きそうな緊張が走る。
だがアイシャは知っている。ここで暴動を起こせば駆けつけた城兵にすぐに制圧され、彼らはルーカスの両隣りで首を吊ることになる。父と自分のために剣を抜いた者たちが次々と捕えられるのを、かつてのアイシャはただ
だが、今はもう違う。
「テン、剣を貸して」
「え? あ、ああ……」
腰の両側に提げていた双剣の片方を借りて、切っ先を軽く宙に払って感覚を確かめる。ルーカスが処刑されるまでは毎日欠かさず訓練していた剣も、リヒトの側妃となってから死ぬまでの間は、一度も振るうことはなかった。それでも手に握れば自然と身体に馴染む。もう二度と手放したくない。誰にも奪われたくない。そう願って、ふっと息を吐いた。次の瞬間、上空へ向かって鋭く一閃を放つ。剣圧に乗った魔力が刃となって、首と胴に突き刺さった鉄柵を叩き切った。
「ッ! 旗を広げろ、急げ!」
碧眼で宙を見上げたダリオがとっさに指示を飛ばした。柵が刺さったままの胴体をグリツェラ家の家紋である一本桜が受け止める。
突然のことに唖然とする門兵の背後で、アイシャは自分の手で取り戻した父の首を素手で抱き止めた。
「お父様、迎えに来るのが遅くなってしまってごめんなさい」
両手で包んだ頬は氷のように冷たい。血が抜け落ちた顔は窪み、死肉を漁られた右眼は頬へ溢れ出している。それでも
「一緒に故郷へ帰りましょう。お母様が待っています」
父の首を持ったまま半壊した城門を開け自らの足で外に出たアイシャを、帰還を待ち侘びていた騎士たちが一斉に取り囲む。「ご立派でした」「よくぞご無事で」と次々に声をかけられ、薄氷の瞳からようやく涙が溢れた。それでも嗚咽も上げずに気丈に前を向く。用意されていた首桶に父を収めて歩く小さな背に並び、騎士たちが粛々と弔旗を掲げる。銀狼の葬列に花を手向ける者は、レトには一人としていなかった。
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