第23話 一騎当千

 音楽とリズムで咲く麗しいレディたちの花。

 寄せては返す男女の波。


 たいへん絵になるシーンなのだが、アイシャのステップは壊れたブリキのようにぎこちない。


「アイシャ、もしかして君……」


 ――ギュ、ギュッ。


 これはシオンの足を思いっきり踏んだ音である。

 右足、左足と、立て続けにダメージが入る。先の尖ったヒール部分じゃないのが救いだ。

 まだ序盤なのに息切れしたように顔を赤らめたアイシャは、潤んだ瞳を伏せて唇を噛み締めた。


「あれだけ見事な剣の腕前があるのに、ダンスが苦手なのか?」

「剣とダンスは全く違います。音を聞くのと身体を動かす能力が同時に必要になるダンスの方がずっと難しいんです」


 必死に御託を並べる間にもシオンの爪先は潰され、すねは蹴られ、しまいにはターンした反動で横っ腹に強めの拳を食らった。一曲踊り終わった頃には敗兵の気分になったが、悪くない。むしろ興奮は増すばかりだ。


「何もかも完璧に見える君にこんな可愛らしい一面があったなんて……いったいどこまで俺を夢中にさせるつもりだ……!?」


 次の曲が始まるまでの歓談の間。恥じらう様子が愛おしすぎてどうにかなってしまいそうなシオンへ、さらなる燃料が投下される。


「ダンスはお粗末ですが……刺繍も、歌も、語学も、算術も、剣も、兵法も……全部、あなたのために磨いたんです。シオン様から伴侶として求めてもらえるように……」


 恥ずかしさのあまり溶けてしまった氷の瞳を逸らし、乱舞で崩れたサイドの髪を耳にかけながら小声で告げる。

 最初に婚約した十歳の時から、アイシャはただ一人のためだけに磨かれ続けた。剣術も、美貌も、知性も、精神も――その全てを捧げる相手と再び結ばれたえにしを、今度こそ大切にしたいと願っている。


「っ、アイ――」

「よぉし、じゃあ次は俺と踊るぞ!」


 感極まって思わず抱き締めそうになった愛しい人が、黒い旋風に一瞬で攫われてしまう。

 力強い腕でアイシャを引き寄せたテンは、射殺すような目で睨みつけるシオンに八重歯を見せて笑いかけた。


「同じ相手と連続で踊るのはマナー違反ですよ、殿下~」

「相手の許可なく踊り始めるのもな!」

「自分だってそうだったじゃん!」

「俺は婚約者だからいいんだっ!」

「じゃあ俺は一番の親友だから問題ないです~!」


 高貴な者同士とは到底思えない会話だ。呆れ顔のアイシャだったが、テンの長い足を踏んでしまい、またぶわっと顔が赤らむ。


「あはは、へったくそ」

「うるさい、嫌なら離してよ……!」

「嫌じゃないって」


 大きな手にぐっと腰を引き寄せられて身体が密着した。そういう振付だから他意はないのだろうが、今までにない距離感に少し戸惑ってしまう。


 至近距離で見上げた親友は、出会った頃よりもずっと大人びて精悍な顔つきになった。しゅっとした顎に高い鼻。強い意思を感じる金の切れ長な瞳。赤みがかった黒い髪が靡く様も、黙っていれば色っぽい。きっと素敵な令嬢が放っておかないだろう。


 これから始まるクーパー家の後継者争いを思うと、レースの奥の胸が酷く痛む。立場を争う意思など毛頭なかったテンが無残に謀殺された骨肉の争いから、今度こそ彼を守りたい。心から愛する人を見つけて、どうか幸せになってほしい。切なげに目を細めるアイシャを、不意に金の瞳が見下ろした。


「今日のドレス姿を見て気づいたんだけど、アイシャって女の子だったんだなぁ」

「今まで何だと思ってたの?」

「アイシャはアイシャだって思ってたよ。弱いくせに強がりでいじっぱりな、可愛げのない奴」

「私のことを弱いって言うの、あなたくらいよ」

「だろうなぁ。……だからちゃんと、あいつに守ってもらえよ?」


 あいつとは言わずもがな、親し気な距離の二人をハラハラしながら見守っているシオンである。今にも引き離そうと飛び込んできそうだ。

 愛されているという実感が、すとんと胸に落ちる。


「……ん、わかった。ありがと」

「おっ、ずいぶん素直じゃん。よしよし。じゃあ次のお相手はご褒美だ」

「次?」


 首をかしげるアイシャの背後に、ひときわ神々しい存在感が迫る。背中が焼かれるようなこの眩しい感覚は、間違いない。


「ろ、ロイさん……!?」

「アイシャ、一曲いいかな?」

「はひ」


 芯が抜けたような背にしなやかな腕が回されると、ゆったりとしたワルツが流れ始めた。フォーマルな場に合わせて軽く上げた金の前髪の下で、緑の宝石がアイシャを見つめて柔和に微笑む。至近距離の顔面最終兵器に意識が飛びかけたが、爪先で何かをぎゅむっと踏んだ感覚がして、一気に目が覚めた。


「ぎゃッ!? す、すすすっ、しゅびましぇん!!」

「気にしないで。昔もよくダンスの練習に付き合ってあげたでしょ? あの頃と全く変わってなくてちょっと安心した。ふふっ、懐かしいなぁ」

「ああ……お母様の鬼レッスン」

「そうそう。お手本でルーカス様とニネミア様が二人で踊ってくれたこともあったよね。すごく綺麗だった」

「……ええ、とても」


 ロイが語る過去に思いを馳せ、あまりの懐かしさに胸が締めつけられる。色々なことがありすぎて、幸せな記憶を振り返る時間などなかったから。


 思い出に瞳を潤ませたアイシャに、ロイも麗しい翡翠を愛おし気に細める。

 幼いアイシャと初めて会ったその瞬間、本能にいかずちが落ちたのだ。「この子に剣を捧げたい」と。彼女を守るために自分は生まれて来たのだと、幼いながらに本気で思った。それがグリツェラ家の忠臣であるブラント家の血筋によるものなのかはわからない。だが美しく成長したアイシャを腕に抱いた今も、その思いは変わらない。彼女の幸せだけが、ロイの心からの望みだ。


「アイシャ、白桜騎士団僕らは君の牙だ。最後の一本が折れるその時まで君と共に在る。どんな時も君は一人じゃない。どうかこれだけは忘れないで」

「ロイさん……」

「だから安心して愛されておいで。何かあったら僕らが君を守る、絶対に」


 そう言われて、ロイの肩越しにシオンを見やる。

 テンの時は怒りで真っ赤になっていたのに、今は絶望で真っ青だ。アイシャが蕩けた表情をしていたせいだろう。要らぬ誤解を招いていそうだ。

 そんなわかりやすい人に、愛おしさが募っていく。


「……今のシオン様となら、幸せになれそうな気がします」

「それを聞いて安心した。――さて、次は誰かな?」


 微笑むロイにつられて周囲を見渡すと、見慣れた家臣一同が列を作って待ち構えていた。

 気合いを入れた紳士服に屈強な身体をパンパンに詰め込んだ歴戦の猛者たちが、振り向いた主君に色めき立つ。


「姫様、次はぜひ私と!」

「いくらでも踏んでくだされ!」

「むしろ踏まれたいっ!」

「ワシも若い頃はグリツェラ領国一の足さばきと言われたものです!」

「あなたたち……」


 この調子だと用意された曲目では足りなくなるかもしれない。だが望むところだ。彼らが求めてくれるのであれば、いつだって全力で期待に応えてみせる。


 壁の花どころか最も引く手数多のレディになった刃物姫は、愛する家臣たちを不可抗力で痛めつけながら、笑顔で踊り明かした。




 ⚜




 夜も深まり、ダンスホールにも人がまばらになった頃。

 ようやく家臣全員と踊り終えて肌にしっとりと汗を浮かべるアイシャを、シオンがバルコニーへ掻っ攫った。そうでもしないと美しい彼女がまたすぐ誰かに奪われてしまいそうで、気が気じゃない。


 夜風に冷えないよう自分のジャケットを羽織らせて、正面から軽くハグを交わす。


「はぁ、ようやくアイシャを取り戻せた」

「初めての壁の花は満喫できましたか? ご令嬢たちとずいぶん親し気にお話しされてましたけど」

「昔のことは俺が全面的に悪かった。だからもう意地悪しないでくれ。君以外の女性に囲まれても意味がない」


 家臣と踊りまくる婚約者に放置された新たな壁の花シオンを囲み、令嬢たちが歓談を始めたのだ。留学のことや復縁について根掘り葉掘り聞かれ、あしらうのにとても苦労した。


 ぐったりとした様子で銀髪に頬をすり寄せたシオンは、かすかに聞こえる緩やかなヴァイオリンのリズムに合わせて背中を撫でる。アイシャはくすぐったそうにして身を預けた。


「ふふっ、さすがにもう踊れませんよ。足が棒になってしまいました」

「楽しかったか?」

「はい、とても。こんなに晴れやかな気持ちになったのは久しぶりです。まだ夢の中にいるみたい……」


 二度目の断頭台に戻って来た時は、こんな風に笑える日が来るなんて思いもしなかった。

 恍惚と語る銀の旋毛へ、薄い唇が柔らかく落とされる。


「夢なんかじゃない。君が諦めずに戦ってくれたから今がある。よく頑張ってくれた。本当にありがとう、アイシャ」


 真っ直ぐな労いの言葉が身体の隅々まで余すところなく染み渡り、目の奥が熱くなった。心の一番大切な部分が叫ぶ。今すぐにでも跪いて、この人の剣になりたい、と。


 でもまだだ。これで終わりじゃない。まだやるべきことがたくさんある。

 切り拓かれた新しい未来には、これまで経験したことのない脅威や困難が多く待ち受けているだろう。


 だけど、今だけは――。


「シオン様」

「ん?」

「たくさん頑張ったので、ご褒美が欲しいです」

「もちろんいいぞ。何にしようか?」


 望みを聞かれたので、優しく包み込む腕の中からチラリと顔を上げる。物欲し気に見つめたのは、惜しげもなく愛を注ぐ形の良い唇。


「……昨日の続き、したい」


 切れ味抜群の甘えた声が、バサバサと理性を切り捨てていく。一騎当千とはまさにこのこと。完敗だ。勝てっこない。


 瞬時に白旗を掲げたシオンは、愛しい唇へ噛みつくようにキスをした。

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