第22話 一騎当千
葬礼の儀は二日に及ぶ。
一日目は棺の前で別れを惜しみ、二日目は女神の御許へ旅立つ魂を晴れやかに見送るのだ。歌や食事、ダンスなど――誰もが華々しく着飾って、朝まで明かりを灯し続ける。婚礼の儀よりも賑やかだと言う声もあるほど。
貴族たちに向けて開け放った城のダンスホールは、特に煌びやかで美しい。間違いなく近年最大規模の舞踏会と言えるだろう。
紳士服とドレスに身を包んだ名家の者たちは、歓談しながら最初の曲目が始まるのを待っている。通常、一番位の高い参加者が現れない限り舞踏会は始まらない。今なら聖妃マグノリアだろうが、昨日の騒動はすでにレト中に広まっていた。
「あの波乱には驚きましたな。次の聖下はリヒト殿下だとばかり……」
「七聖家も今や一枚岩ではあるまい。皇太子の支持を明確に打ち出したのは、今のところクーパー家とルプスレクト家のみだとか」
「しかしまさかフォートン家までシオン殿下を支持するとはな」
「刃物姫に脅されたのでは? そのための南部制圧だったという噂もありますぞ」
次期聖下が未定というかつてない状況で、どの陣営に付くか。聖都の貴族たちの関心はひたすらそこに尽きる。リヒトへ明確な不支持を示したグリツェラ家の動向は、特に注視されていた。
一方、若い令嬢と令息たちの話題は、昨日のセンセーショナルな復縁で持ち切りだ。
「シオン様が刃物姫に微笑みかけたのよ!? 見た? あの麗しい笑顔!」
「おいおい、お二人は復縁したんだろ? そんな色めき立ってどうする?」
「んもぅ! あんな無茶苦茶な遺言、グリツェラ家と白桜騎士団を使って次の聖下になるために御父上に頼み込んで書いてもらったに決まってるじゃない! シオン様にとって、婚約者は道具でしかないもの」
「そうそう。お二人で社交場に来てもいっつも放っておかれてたものね、刃物姫は。なのに強がって綺麗な顔でお澄まししちゃって。さすがは一国のお姫様って感じだったわ」
「まぁたしかに大陸でも指折りの美姫ではあるが、剣を軽々と振り回すような物騒な女性はちょっとな」
「昨日なんてリヒト殿下の攻撃を叩き切ってたぞ。本当は男なんじゃないか?」
嫉妬、羨望、好奇心――様々な感情がアイシャを
「今日もお二人でいらっしゃるのかしら」
「きっと来るわよ、復縁を知らしめる絶好の機会だもの。だけど刃物姫はどうせまた壁の花でしょうね」
「ドレスじゃなくて鎧を着てきたりして」
そんな嘲笑があちこちで囁かれる会場に、二つの足音が響いた。
入城のコールで呼ばれた話題の二人の名前に、会場中の視線が扉へ向けられる。そして誰もが目を奪われた。
華奢なヒールが奏でる音に合わせて、最上級の銀糸を紡いだドレスのさざ波が足元を
アップにまとめた白銀の髪は柔らかく編み込まれ、いつもより
豊かな胸元から引き締まった二の腕までを慎ましく覆うのは、レディたちが思わず
だが何より周囲の目を釘付けにしたのは、腰まで開放的にさらけ出した背面のデザインである。傷一つない彫刻のような背中を守るように、首元のチョーカーから背にかけて、大きくひだを作ったレースが神々しく広がった。
生まれ持った気品と洗練された佇まいによって芸術に昇華されたその姿は、露出の多さに反して厭らしさを微塵も感じさせない。まさに触れたら切れそうなほどの美しさに、あちこちから息を呑む声が聞こえた。
「ドレスを作らせたのはこのためだったんですね」
「俺のせいで社交界での君の評判は散々だったからな。これを機に見せつけてやろうと思って」
「何をです?」
腕を組み並んで歩くパートナーに見上げられたシオンは、うっとりと目を細める。
騎士服を着て凛と立つ姿も様になるが、一人のレディとして隅々まで磨き上げられた姿は、どれほどの言葉を尽くしても足りない気がする。
シオンは大きな宝石が彩る耳元に唇を寄せると、彼女にしか聞こえない声で囁いた。
「こんなにも美しい君に、俺が溺れてしまうほど夢中になっていることを」
密着する二人に、周囲から関心の目が寄せられる。恥ずかしくなって顔を伏せるアイシャには見えない位置で、シオンは満足気に微笑んだ。
すると、会場内に開幕の音楽が鳴り響いた。まだリヒトとマグノリアの姿が見えないが、遺言の件で舞踏会どころではないようだ。支持を表明したクーパー家とルプスレクト家の当主も欠席らしいし、対策会議でもしているのだろう。それはいいとして。
「あの、シオン様……」
「ん?」
「今日は談話室に行かないのですか?」
弦楽器の音が聞こえ始める頃、アイシャはいつも一人で壁際に座っていた。一緒に来たはずの婚約者に放置されていたから。
その時の癖が抜けず、シオンの腕から銀のグローブをつけた手を放して身を引こうとする。が、すぐに背中に腕を回されて引き寄せられた。
「もう行く必要がない。ついさっき言ったじゃないか、見せつけるって」
「え、ぁっ……!?」
音楽に合わせて手を引かれた。流れるようなステップをこなす彼にされるがまま導かれた先は、ダンスホールのど真ん中。
「まさか、踊るんですか!?」
「牢で泣かれてしまったからな。二人で踊ったことがないと」
「あ、あれはっ」
「ほら、始まるぞ」
花嫁修業をしていた頃、舞踏曲はノイローゼになるほど頭に叩き込んだ。
羞恥と動揺を抑え込んで、儀礼的なカーテシーをする。荘厳だった弦の音が弾むように軽やかなものに変わると、会場にドレスの花畑が広がった。
音楽とリズムで咲く麗しいレディたちの花。
寄せては返す男女の波。
たいへん絵になるシーンなのだが、アイシャのステップは壊れたブリキのようにぎこちない。
「アイシャ、もしかして君……」
――ギュ、ギュッ。
これはシオンの足を思いっきり踏んだ音である。
右足、左足と、立て続けにダメージが入る。先の尖ったヒール部分じゃないのが救いだ。
まだ序盤なのに息切れしたように顔を赤らめたアイシャは、潤んだ瞳を伏せて唇を噛み締めた。
「あれだけ見事な剣の腕前があるのに、ダンスが苦手なのか?」
「剣とダンスは全く違います。音を聞くのと身体を動かす能力が同時に必要になるダンスの方がずっと難しいんです」
必死に御託を並べる間にもシオンの爪先は潰され、
「何もかも完璧に見える君にこんな可愛らしい一面があったとは。いったいどこまで俺を魅了すれば気が済むんだ……!?」
次の曲が始まるまでの歓談の間。恥じらう様子が愛おしすぎてどうにかなってしまいそうなシオンへ、さらならる燃料が追加される。
「ダンスはお粗末ですが……刺繍も、歌も、語学も、算術も、剣も、兵法も……全部、あなたのために磨いたんです。シオン様から妻として求めてもらえるように……」
羞恥で溶けた氷の瞳を逸らし、乱舞で崩れたサイドの髪を耳にかけながら小声で告げる。
最初に婚約した十歳の時から、アイシャはただ一人のためだけに磨かれ続けた。知性も、剣術も、美貌も、精神も――その全てを捧げる相手と再び結ばれた
「っ、アイ――」
「よぉし、次は俺と踊るぞ!」
感極まって思わず抱き締めそうになった愛しい人が、黒い旋風に一瞬で攫われてしまう。
力強い腕でアイシャを引き寄せたテンは、射殺すような目で睨みつけるシオンに歯を見せて笑いかけた。
「同じ相手と連続で踊るのはマナー違反ですよ、殿下~」
「相手の許可なく踊り始めるのもな!」
「自分だってそうだったじゃん!」
「俺は婚約者だからいいんだっ!」
「じゃあ俺は一番の親友だから問題ないです~!」
高貴な者同士とは到底思えない会話だ。呆れ顔のアイシャだったが、テンの長い足を踏んでしまい、また羞恥が込み上げる。
「あはは、へったくそ」
「うるさい、嫌なら離してよ……!」
「嫌じゃないって」
ぐっと腰を引き寄せられて身体が密着した。そういう振付だから他意はないのだろうが、今までにない距離感に少し戸惑ってしまう。
「今日のドレス姿を見て気づいたんだけど、アイシャって女の子だったんだなぁ」
「今まで何だと思ってたの?」
「アイシャはアイシャだって思ってたよ。弱いくせに強がりでいじっぱりな、可愛げのない奴」
「私のことを弱いって言うの、あなたくらいよ」
「だろうなぁ。……だからちゃんと、あいつに守ってもらえよ?」
あいつとは言わずもがな、親し気な距離の二人をハラハラしながら見守っているシオンである。今にも引き離そうと飛び込んできそうだ。
愛されているという実感が、すとんと胸に落ちる。
「……ん、わかった。ありがと」
「おっ、ずいぶん素直じゃん。よしよし。じゃあ次のお相手はご褒美だ」
「次?」
首をかしげるアイシャの背後に、ひときわ神々しい存在感が迫る。背中が焼かれるようなこの眩しい感覚は、間違いない。
「ろ、ロイさん……!?」
「アイシャ、一曲いいかな?」
「はひ」
芯が抜けたような背にしなやかな腕が回されると、ゆったりとしたワルツが流れ始める。至近距離で見る顔面最終兵器に意識が飛びかけたが、爪先で何かをぎゅむっと踏んだ感覚がして、一気に目が覚めた。
「ぎゃッ!? す、すすすっ、しゅびましぇん!!」
「気にしないで。昔もよくダンスの練習に付き合ってあげたでしょ? あの頃と全く変わってなくてちょっと安心した。ふふっ、懐かしいなぁ」
「ああ……お母様の鬼レッスン」
「そうそう。お手本でルーカス様とニネミア様が二人で踊ってくれたこともあったよね。すごく綺麗だった」
「……ええ、とても」
ロイが語る過去に思いを馳せ、あまりの懐かしさに胸が締めつけられる。色々なことがありすぎて、幸せな記憶を振り返る時間などなかったから。
思い出に瞳を潤ませたアイシャに、ロイも麗しい翡翠の瞳を細める。
「アイシャ、
「ロイさん……」
「だから安心して愛されておいで。何かあったら僕らが君を守る、絶対に」
そう言われて、ロイの肩越しにシオンを見やる。
テンの時は怒りで真っ赤になっていたのに、今は絶望で真っ青だ。アイシャが蕩けた表情をしていたせいだろう。要らぬ誤解を招いていそうだ。
そんなわかりやすい人に、愛おしさが募っていく。
「……今のシオン様となら、幸せになれそうな気がします」
「それを聞いて安心した。――さて、次は誰かな?」
微笑むロイにつられて周囲を見渡すと、見慣れた家臣一同が列を作って待ち構えていた。
気合いを入れた紳士服に屈強な身体をパンパンに詰め込んだ歴戦の猛者たちが、振り向いた主君に色めき立つ。
「姫様、次はぜひ私と!」
「いくらでも踏んでくだされ!」
「むしろ踏まれたいっ!」
「ワシも若い頃はグリツェラ領国一の足さばきと言われたものです!」
「あなたたち……」
この調子だと用意された曲目では足りなくなるかもしれない。だが望むところだ。彼らが求めてくれるのであれば、いつだって全力で期待に応えてみせる。
壁の花どころか最も引く手数多のレディになった刃物姫は、愛する家臣たちを不可抗力で痛めつけながら、笑顔で踊り明かした。
⚜
夜も深まり、ダンスホールにも人がまばらになった頃。
ようやく家臣全員と踊り終えて肌にしっとりと汗を浮かべるアイシャを、シオンがバルコニーへ掻っ攫った。そうでもしないと美しい彼女がまたすぐ誰かに奪われてしまいそうで、気が気じゃない。
夜風に冷えないよう自分のジャケットを羽織らせて、正面から軽くハグを交わす。
「はぁ、ようやくアイシャを取り戻せた」
「初めての壁の花は満喫できましたか? ご令嬢たちとずいぶん親し気にお話しされてましたけど」
「昔のことは俺が全面的に悪かった。だからもう意地悪しないでくれ。君以外の女性に囲まれても意味がない」
家臣と踊りまくる婚約者に放置された
ぐったりとした様子で銀髪に頬をすり寄せたシオンは、かすかに聞こえる緩やかなヴァイオリンのリズムに合わせて背中を撫でる。アイシャはくすぐったそうにして身を預けた。
「ふふっ、さすがにもう踊れませんよ。足が棒になってしまいました」
「楽しかったか?」
「はい、とても。こんなに晴れやかな気持ちになったのは久しぶりです。まだ夢の中にいるみたい……」
二度目の断頭台に戻って来た時は、こんな風に笑える日が来るなんて思いもしなかった。
恍惚と語る銀の旋毛へ、薄い唇が柔らかく落とされる。
「夢なんかじゃない。君が諦めずに戦ってくれたから今がある。よく頑張ってくれた。本当にありがとう、アイシャ」
真っ直ぐな労いの言葉が身体の隅々まで余すところなく染み渡り、目の奥が熱くなる。すぐにでも跪いて、この人の剣になりたいと思った。
でもまだだ。これで終わりじゃない。まだやるべきことがたくさんある。
切り拓かれた新しい未来には、これまで経験したことのない脅威や困難が多く待ち受けているだろう。
だけど、今だけは――。
「シオン様」
「ん?」
「たくさん頑張ったので、ご褒美が欲しいです」
「もちろんいいぞ。何にしようか?」
望みを聞かれたので、優しく包み込む腕の中からチラリと顔を上げる。物欲し気に見つめたのは、惜しげもなく愛を注ぐ形の良い唇。
「……昨日の続き、したい」
切れ味抜群の甘えた声が、バサバサと理性を切り捨てていく。一騎当千とはまさにこのこと。完敗だ。勝てっこない。
瞬時に白旗を掲げたシオンは、愛しい唇へ噛みつくようにキスをした。
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