第21話 研ぎ直しの始まり

「――神代の時代より、女神の血を引くレト皇家は信仰の象徴であった。七人の王はひざまずき、民は祈る。そうして築き上げられたレティガント大陸の行く末を、次は人の子らに託してみようと思う」

「……は?」


 怪訝な声を上げたのはもちろんリヒトだ。自分こそが次期聖下だと目の前で書かせた遺言とは異なる内容が読み上げられているのだから、当然だ。


 心臓が凍りつきそうな殺気を浴びながらも、ミクリは読み上げを続ける。どうせ老い先短い身だ。ここで処されても悔いはない。

 だがたとえ首だけにされようと、ミオの願いは必ず世に解き放つ。


「一つ、皇家は純血主義を撤廃し、混血を認めること」


 近親婚を繰り返して濃くなりすぎた女神の血は、人の器にとって毒でしかない。遺伝病を引き起こし、寿命を縮め、精神を汚染する。純血の皇族はその歴史の長さに比例して短命になっていった。今では成人を迎えることが奇跡とさえ言われている。


 このままではいずれ血筋すら途絶えてしまう。だからこそ新たな道を示さなければならないと、自身も病を持って生まれたミオは考えていた。


「二つ、聖下の資質に純血は問わない。現存する皇族の全てが、平等に継承権を有する」

「何ですって……!?」


 地の底を這うような声を放ったマグノリアは、メリューの生き写しと称される美貌を憤怒で染め上げた。

 彼女は純血の世継ぎを生むことだけを望まれて生まれた。純然たるレト皇家を守り抜くために側室を望まず、その身を実の弟にだけ許し、リヒトを育て上げたと言うのに。

 それまでの苦労を全て水の泡にされた。優しさだけが取り柄の、不完全で失敗作の、女神の血に負けた出来損ないの弟に――!


「三つ、次代の聖下の選出を、民の王たる七聖家に委ねる。古来より続くその忠誠をもってして、七人が心をいつにするただ一人を選ばれよ」


 これが、ミオとルーカスが成そうとしていた変革。

 血に呪われた皇家を一新し、七聖家の力も借りて聖下という存在を新たに作り直す。資質に問題のあるリヒトをただシオンとげ替えようとしていたわけではない。むしろこれを契機に、歪んだ母子の心が正しい方へ向くことを願っていた。


 だが、今のリヒトに亡き父の願いは届かない。


「ふざけるなよ……そんな戯言ざれごとが認められるか!!」

「リヒト殿下、皇太子と言えど、神格となられたミオ様のお言葉を覆すことはできませぬ」

「よくもぬけぬけと……よほど命が惜しくないようだな、古狸め!」

「今さら惜しむほどのものではありませぬ。悔やまれるのは、金蝋と金判が押されたこの遺言書を皇太子殿下が戯言ざれごとと一蹴したこと」

「黙れ!! 聖兵、矢をつがえろ! あの老いぼれを殺せ!!」


 聖堂の両端に控えていたメーヴェの聖兵が一斉に弓を引き、矢が風を切る音が無数に放たれる。魔力の込められたやじりは一直線にミクリの心臓へ向かった。一本残らず小さな老体を貫くだろうと、その場に居合わせた誰もが顔を覆う。


 だがそこへ、白桜のペリースが翻った。


「神聖な葬礼の儀で殺生とは。乱心されましたね、リヒト殿下」


 護り石が揺れる剣を抜いてミクリの前に躍り出たアイシャは、一振りで全ての矢を根こそぎ切り落とした。

 彼女に続いてロイとテンたち白桜騎士団が四方へ散り、聖兵を牽制していく。


「僕に剣を向けるのか……!? 七聖家であるお前が、父上の正当な後継者であるこの僕に!」

「殿下、もうお忘れです? それともまだ理解できていませんか? 新たな聖下を選ぶのは我々七聖家だと。――偉大な御父上の旅立ちを台無しにしようとした浅慮な者など、私なら絶対に選びませんが」


 そう言って、ちらりと他の七聖家へ視線をやる。

 誰もが判断にあぐねる中、家臣を殺されたロベルト家の若い当主だけは、瞳の奥に復讐の炎を燃やしていた。フォートン家はグリツェラ家に連なると言うし、首尾は上々だろう。暴君の即位はこれで一旦防ぐことができた。だが……。


「父親に似て身の程を弁えない無礼な女め……! 顔を剥ぐのはやめだ。その首、同じように城門へ突き刺してやる!!」


 激高するリヒトから放たれたのは、ルーカスの首を刎ねたのと同じ魔力の刃。先ほどの矢群とはわけが違う。一刃、二刃はどうにか剣で叩き切ったが、魔力の濃度が桁違いだ。このままでは剣が先に折れてしまう。だが背後にはミクリがいる。遺言にはまだ続きがあるのだ。


「ミクリ様、お早く!」


 第三刃を受け止めた剣を気力で振り上げ、弾き返す。その反動で大きく反らされた無防備な首元へ追撃が迫った。


(防ぎきれない……!)


 こうなったら腕の一本でもくれてやろうと奥歯を噛み締めたその時、眼前に分厚い魔力防壁が展開された。阻まれた無数の刃は砕け散り、粒子となって宙に消える。


「ミクリ、さっさと読め。が一番重要なんだ」


 それまで静観していたシオンが、辛抱ならないと言った様子で立ち上がった。アイシャを背に庇い、底なしの魔力が内側から煌々と輝く菫色の瞳で異母兄を睨みつける。


「やはり貴様の企みか、シオン……! 本当に忌々しい弟だ、トライノーツで蛮族共の餌になってしまえばよかったものを……」

「敵だとわかっている者ほどそばに置いておくのが賢い戦い方ですよ、兄上。おかげでずっと求めていたものを手に入れることができました」

「はんっ! 死に損ないの父上に媚びへつらって、選抜に有利な条件でも書かせたか!?」

「二年前も断頭台で言ったはずです、聖下の座を欲してなどいないと。俺が唯一望むのは――おいミクリ、ぼさっとするな。こっちは待ちきれないんだ」


 鋭い目のシオンが再び続きを促す。ハッとしたミクリは、緊張で乾いた喉で生唾を飲み込んだ。


「……二年前、我が盟友ルーカスを断頭台へ追いやった逆心の噂は、この遺言に記したことが捻じ曲げられて広まったものである。の一族に与えた不名誉を、我が命に代えてここに詫びる。ルーカスは義に厚い北東部の王であり、我が莫逆ばくぎゃくの友。未来永劫、この事実が覆されることはない。


 ――よって、我が息子シオン・トリス・レト皇子とアイシャ・ルドヴィカ・ディ・グリツェラ姫の婚約破棄を破棄し、再びの婚約を結ぶことを認める」


 最後まで読み上げられた絶対遵守の遺言に、それまで狂騒に満ちていた聖堂内がしんと静まり返る。


 一度は法廷で下された婚約破棄の破棄――そんな言葉遊びのような前例、今までにない。あのリヒトでさえ唖然として言葉を失った。


 多くの視線が集まるのは、聖堂の内陣に立つ二人の男女。

 父の汚名が晴らされて、愛する人と再び結ばれた。涙ぐむ刃物姫を、遺言で定められた婚約者が人目も憚らず抱き寄せる。


「これでやっと元通りだ。もう逃げられないが、覚悟はいいか?」

「覚悟ならもうできています。桜の下で初めてお会いしたあの日から、ずっと……」


 剣を持っていない左手が最愛の人の背中へそっと回された。


 父から受け継がれた剣と愛――その両方で切り拓いた二人のやり直しは、ここからようやく始まる。

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