第3話 魔法使いの弟子の来訪

 淳太が、自称『魔法使いの弟子』との邂逅を――図らずも――果たした翌朝。


(つーか、『また会おう』ってどこで会うつもりなんだ……? また屋上に行けばいいのか? しかし、センパイに会うためだけに登校なんざ冗談じゃねぇぞ……)


 心の中でそんな風に独りごちながら、淳太は自宅の玄関を開けた。


「やぁ、良い朝だね」


 するとそこに、ちょうど頭の中に思い描いていた人物が笑顔で立っていて。


 思わず、叫び声を上げそうになった。


「……なんで、ここにいるんだよ」


 どうにか叫ぶのは堪えて、一拍置いてから尋ねる。


「また会おう、と言ったろう? 君は、あまり自分からは会いに来てくれなそうだからね。私から来たというわけさ」


 なかなかどうして、昨日少し話しただけで淳太のことを理解しているらしい。

 淳太は無意味に、どこか悔しい気持ちを抱く。


「つーか、なんで俺んちの場所を知ってんだよ」


 ゆえに、その言葉は多分に不機嫌な響きを伴っていた。


「まさか、魔法で……」


 言いかけて、口を噤む。

 あまりに自分らしからぬことを口走るところだった。


「……占いでわかった、とか言うつもりじゃないだろうな?」


 どちらにせよ、「んなわきゃねー」という言葉が内心を占めていたが。


「それこそ、まさかさ」


 果たして、素子も笑顔を少しイタズラっぽいものに変化させて首を横に振った。


「普通に昨日、帰る君の後をつけただけだよ」


「普通に怖いこと言うなよ……」


 むしろ、占いと言われた方がまだマシだったような気がする。


「つーか俺、結構危ないとこにも行ってただろ。女が一人でそんなとこ歩くなよ」


「ふふ」


 素子が笑みを深めた。

 今度は、嬉しげなものだ。


「君は、本当によく私のことを心配してくれるのだね」


 対照的に、淳太は苦虫を噛み潰したかのような表情となった。


「別に、そういうわけじゃ……」


 反射的に否定しようとはしたものの、先程の言葉に別の理由を付けるのはなかなかに難しいことに気付く。


「それに、随分愉快なお友達がいるようだ」


 結局口ごもっている間に素子がそんなことを言い出したため、言い訳の機会は失われることとなった。


 ちなみに昨日は(昨日に限ったことでもないが)、淳太は終始一人で過ごしていた。

 例外は、大田に絡まれた時くらいか。


 つまり素子の言葉は、恐らくその時のことを指しているのだろう。


「紹介してやろうか?」


 軽口の類ではあったが、言い終わってから案外それも悪くないかもしれないと割と本気で思い始めた。


 彼女の一つでも出来れば、大田が淳太に絡んで来ることもなくなるかもしれない。

 厄介なのに絡まれる案件が二つまとめて解消するのであれば、心から二人を祝福しよう。


「出来れば御免被りたいね」


 が、素子は今度も首を横に振った。


「なんだ、不良好きなんじゃないのか?」


 揶揄が半分、本気の疑問が半分の質問である。


「君のことが好きなだけだよ」


 全く思ってもみなかった返しに、淳太は固まった。


「……冗談でも、そういうことを男相手に軽々しく言うなよ」


 顔を逸したくなる衝動を、意地で粉砕する。

 頬が若干の熱を持ったことを自覚し、素直に逸らしておくべきだったかと後悔するも時既に遅しであった。


「別段冗談でもなければ、君以外に言うつもりもないよ」


 相変わらず、素子の表情は読めない。

 その微笑からは、冗談か否かの判別も付かなかった。


 今はまだ・・・・、という注釈は付くが。


「……なぜ、俺にこだわる?」


 仮に、ないとは思うが。

 万一、先の言葉が本当に冗談ではないと仮定して。


 淳太は、その質問を投げかけた。


 実際問題、夜更けに至るまで数時間も後をつけるという非常識な行動を取る程に素子が淳太に執着を見せているらしきことは事実だ。


「言ったろう? 君が、私の運命の人だからさ」


 素子の回答は、昨日と同じものだ。


「……俺のことが、怖くないのか?」


 自分も昨日と同じく鼻で笑ってやろうとして、しかし淳太はふと思い直してそう質問を重ねた。


 淳太に対して、最初はフレンドリーに接しようとする者もいなくはない。

 見た目だけで判断するのは良くない、という信条をお持ちの方々だ。


 しかし淳太が全く見た目通りの人間であることを知れば、例外なく見る目を変えるのだ。

 たとえそれが、噂レベルで耳に届いただけでも。


 なのに素子が淳太を見る目は、昨日と全く変わっていない。

 むしろ、親しみを増しているようにすら見えた。


「君は、ジェットコースターは嫌いかな?」


「は?」


 相変わらず脈絡がないように思える素子の言葉に、淳太は間の抜けた声を返す。


「私は、割と好きなのだけれどね」


 淳太のリアクションなど意に介さぬ様子で、素子は言葉を続けた。


「安全だと保証されているものを、怖がる理由なんてないだろう?」


 そこまで聞いて、ようやく淳太も彼女の意図を悟る。


 どうやら、淳太は『安全』であると言いたいらしい。

 昨日の『いい人』扱いといい随分と買い被られたものだ、と苦笑が漏れる。


「俺が安全だなんて保証書は、どこの誰か発行してくれたものなんだ?」


「君自身さ。安全でない人間は、尾行者の安否など心配したりはしないよ」


 先程の発言を持ち出され、淳太は再び渋面となって口を噤む。


「あぁ……でも、ある意味怖いといえば怖いかな」


 そして、素子の表情の変化にそのまま何も言えなくなった。


「君がいつか私の傍を離れてしまうのではないかと思うと、怖くて怖くてたまらないよ」


 笑顔ではある。

 しかしその目に宿るのは、昨日と同じ縋るような光だ。


 その表情が、あまりに儚げで。


 瞬き一つでもしてしまえばその拍子に彼女が消えてしまうのではなかろうと、淳太はふと不安になった。

 それこそ、魔法のように。


 無意識に、素子に向けて手を伸ばしかける。


「さて、ところで淳太くん」


 しかし淳太が手を動かすよりも先に、素子の目から件の光が霧消した。

 後に残るのは、飄々とした笑みだけである。


 もちろん、瞬きを挟んでも彼女の姿は消えなどしなかった。


(何考えてんだ、俺は……)


 先程の自分の思考に、淳太は呆れと恥ずかしさがブレンドされた気持ちを抱く。


「君、とても学校に行くとは思えない格好だね」


 素子の言葉に、淳太は頭を切り替え自分の身体を見下ろした。


 U字ネックの白Tシャツの上に、やや色の褪せたデニムジャケット。

 ベージュのチノパンは、ウエストよりやや低い位置での腰履きだ。


 郡原高校では、私服登校は認められていない。

 ではなぜ制服を着ていないのかというと、学校に行くつもりが端からないためである。


「人のこと言えんのかよ」


 そして、それは素子も同様であるらしい。


 今の素子の出で立ちは、非常にシンプルなものである。


「はは、その通り」


 上下ジャージ。

 それから手に下げたコンビニのビニール袋に、足元は無地の白いスニーカー。


 以上だ。


 ジャージはサツマイモ色を基調とした、申し訳程度に二本だけ白いラインが入っただけのデザイン。

 学校指定のものではない。


 というか学校指定ジャージの方が、まだもう少し凝ったデザインであるとさえ言える。


 無論、この格好での登校が許可されているはずもない。


「だから、ちょっと付き合ってくれたまえよ。暇な時なら傍にいてくれるのだろう?」


「人を勝手に暇と決めつけるなよ」


 尤も、この後の予定が何もないのは事実であるが。

 せいぜいが、また繁華街にでも繰り出して時間を潰そうかと漠然と考えていた程度だ。


 人、それを暇人と呼ぶ。


 それに、勢いで言ってしまっただけとはいえ。

 昨日、そんな約束を交わしたことは事実である。


 これで淳太は、自分の言葉にかなり重きを置いている。


「……まぁ、いいけどよ」


 結局、頭をガリガリと掻きながらそう答えた。


「ありがとう」


 笑みを深め、素子が踵を返して歩き始める。

 淳太が付いてくると、微塵も疑っていないような歩調だ。


 渋い表情ながら、淳太もそれに続いた。


「で、どこに行くんだ?」


「近くの公園さ」


「何しに?」


「それは、着いてからのお楽しみってやつさ」


「つーかセンパイ、なんだその格好。アンタ、服装に頓着しない人か?」


「なんだい、もっとおめかしした私が見たかったのかい?」


「んなこと言っちゃいねぇだろうが」


「君が望むのであれば、そうするのも吝かではないけれど?」


「だから言ってねーっての」


 そんな会話を交わしながら、連れ立って歩いて行く。


 この時点で、碌な事にはならない予感が……否、確信が淳太の中に生まれていた。

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