第15話 魔法使いの弟子の英雄

 初心者向けの山としても知られているためか、郡原山頂の施設は比較的充実している。

 炊事場は清潔に保たれているし、かまどで使うための薪も用意されていた。


 食材と調理器具さえあれば、すぐにでも調理可能な環境だ。

 そしてそちらは、素子が用意した荷物の中にバッチリ完備されていた。


 包丁にまな板、飯盒と鍋。

 食材としては、人参、ジャガイモ、玉ねぎ、牛肉、米。

 それから、カレールーだ。


「キャンプといえばカレー。そうだろう?」


 ドヤ顔で素子が胸を張る。


「まぁ、そうかもな」


 特に異論もなかったので、淳太も軽く頷いてそう返した。


「では、早速調理に入ろうか」


 ドヤ顔キープで、素子が包丁を握る。

 まな板の上に取り出したるはジャガイモ。


 それを、素子がスコンと半分に割った。


 ジャガイモに手を沿えることもなく、包丁を勢いよく振り下ろす形で。

 真っ二つになったジャガイモが、勢い良く転がってまな板から落ちた。


「よし」


 満足げに頷く素子。

 半分になったジャガイモをまな板の上に戻し、再び包丁を振りかぶる。


「ちょっと待った」


 それが振り下ろされる直前、淳太は包丁を握っている素子の手首を掴んだ。


「どうかしたのかい?」


「……センパイ、料理の経験は?」


 如何にも不思議そうに見上げてくる素子に、やや頬を引き攣らせながら尋ねる。


「小中学校の調理実習では、いつも皿洗いに専念していたけどね。なに、問題はあるまいよ。なんとかなるさ」


 その自信は、一体どこから来るというのか。

 淳太の頬に一筋、汗が流れた。


「……悪いが、ここは俺にやらせてもらえねーか? センパイは、とりあえず玉ねぎの皮剥きを頼む」


 包丁を取り上げ、代わりに玉ねぎを手渡す。

 唯一、包丁を用いずに実施可能な作業だ。


「ふむ? まぁ、君が言うならばそうしよう」


 イマイチ淳太の意図はわからなかったようだが、素子は素直に玉ねぎの皮剥きを開始してくれた。

 その手付きは、割と不器用なものである。


 そんな素子の傍らで、淳太は包丁でジャガイモの皮を剥き始めた。

 対照的に、こちらは鮮やかな手付きだ。


「へぇ、手慣れてるね」


 テントの設営に引き続き、ここでも素子は感心の声を上げた。


「料理、よくするのかい?」


「昔、集中的にやってたことがあってな」


「そうなのかい」


 意外そうな表情だ。


「意外だね」


 と思っていたら、実際口に出してそう言った。


 淳太は、一瞬逡巡する。


 素子の口調は、説明を求めるものではない。

 「まぁな」とでも言っておけば、この会話は終わるだろう。


「……料理の一つでも覚えれば、母さんも喜んでくれるかと思ってな」


 けれど淳太は、気がつけばそんなことを……事実を口にしていた。


「ま、結局あの人がそんなことで俺に興味示すわけもなかったんだが」


 口元が皮肉げに歪むのを抑えることが出来ない。


 なぜこんな話をする気になったのか、自分でもよくわからなかった。


 あるいは、ずっと誰かに聞いてほしかったのか。


 素子を、それを話すに足る人間だと認めたということなのか。


(は、冗談じゃねぇ)


 意識して、表情から感情を消す。


(もう俺は、誰にも期待しない)


 そんな内心を、悟らせないように。


「ところでセンパイ。サラダ油かバター、マーガリンでもいんだが、あるいかい?」


 何気ない口調で、尋ねた。


 今更何気ないも何もあったものではない、という自覚はある。


「……カレーに、油やバターを使うのかい?」


 流石に物問いたげな視線を向けてきた素子だが、結局は露骨な話題逸らしに乗ってくれたらしい。


「先に、材料炒めとくんだよ。肉は旨味が閉じ込められて、野菜は型崩れしにくくなる」


「なるほど。やはり君は博識だね」


「いや、このやり方は普通にルーの箱の裏に書いてあっから……」


 白々しいまでに、『自然』な会話。


「生憎用意はしていないけれど、その手のものなら余りを貰えるかもしれない。ちょっと、周りの人たちに聞いてくるよ」


 元々、話を逸らすための話題である。

 なければないで別に構わなかったのだが、淳太がそう言う前に素子はサッと身を翻して駆けていってしまった。


「……気をつけてな」


 既に届かないだろう距離まで離れた背中に、淳太は何とは無しにそんな言葉を送った。



   ◆   ◆   ◆



 それから、十分程が経過しただろうか。


「くぁ……」


 とっくに全ての材料を切り終えた淳太は、調理台にもたれかかりながらあくびを噛み殺した。


「どこまで行ってたんだ、あの人は……」


 ガリガリと頭を掻いた後、調理台から身体を離す。

 そのまま、気だるい表情と足取りで歩き出した。


「まさか、迷子になってんじゃねーだろうな……?」


 山頂は見晴らしもよく、基本的に迷子になる要素は皆無である。

 が、本日だけでいくつも露呈した素子のポンコツっぷりを思い出すと、あながち絶対無いとは言い切れない気がしてくる淳太であった。


 周囲に目線を配りながら、ブラブラと歩いて行く。

 やはりと言うべきか、家族連れの姿が多かった。


 とはいえ、若者の姿もないではない。

 その大部分も恐らくは大学生で、淳太と同世代となると更に希少なようだが。


 特に意味もなくそんな分析をする淳太の耳へと、風に乗ってその声は届いた。


「結局、君たちは何が望みなんだい?」


 聞き慣れた声だ。


「ちなみに、私の望みはシンプル。そこをどいて貰えれば、それでいい」


 声の方向に目を向ける。


 幾名か、淳太と同世代と思しき男女がたむろしていた。

 素子の姿は見えないが、一同の視線から察するに傍らの木の陰に隠れる形となっているのか。


 淳太は、やや足早にそちらへと歩み寄る。


「だーからさー、ウチらの仲間に入れてやるっつってんじゃん?」


「その必要性を感じない」


「いやいや、わざわざ俺らの予定調べてまで追いかけてきたんしょ? そこまでされたら流石に邪険には出来ねーって」


「偶然だ、と何度言えばわかってもらえるのかな?」


「偶然って、アンタこんなとこ来るキャラじゃないっしょ。大体、ホントに偶然だったら一人で来るとかサムすぎ」


「各方面に喧嘩を売るような発言に聞こえるけれど……それはともかく。一人ではない、と言うのもこれで何度目だろうね?」


「はは、それこそ冗談。ロボ女に、一緒に山登ってくれるような友達なんて出来るかよ」


「……ま、その点については否定はしないけどね」


「ほらー! やっぱそうじゃーん!」


 近づくにつれ鮮明になっていく声に、淳太はなんとなくの状況と、彼ら彼女らと素子の関係を概ね察した。


「ちゃんと謝ったら、許してやるからさ」


「謝る必要も感じなければ、許されなければならない理由に心当たりもないね」


「はぁ? アンタのせいでヨシミ、部活辞めたんだけど?」


「それこそ、私の知ったことではない」


「あぁ? あんま調子こいてんじゃ……」


 女性の一人の手が、素子の胸元に伸びたところで。


 ズンッ!


 その場に辿り着いた淳太が、木の幹を蹴りつけた。


 衝撃で、散った葉がパラパラと舞い落ちる。

 淳太としては軽い威嚇のつもりだったのだが、思ったよりも足に力が入ってしまって自分で少し驚いた。


 無論、表情には出さないが。

 もう少し幹が細ければ、折れてしまっていてもおかしくはなかった。


 その段に至り、淳太は自らの内に結構な怒りが渦巻いていることをようやく自覚する。


「俺のツレに、何か用スか?」


 隠す必要性も感じず、淳太は怒りをそのまま声に乗せた。

 素子の方に手を伸ばしたまま固まっている女性を、至近距離で見下ろす。


「ひっ……」


 恐怖に慄いた表情で、女性が半歩下がった。淳太は微塵も罪悪感を覚えない。


 視界の端で、素子が顔を上げるのが見えた。

 そこに浮かぶのは、無感情。無表情。


 いくつかの例外はあれど、概ね常に笑みを浮かべていた素子の印象とはかけ離れたものだ。

 なるほどそうしていると、ロボットと称させるのもわからなくはない。


 ……と、淳太以外の者ならば思うのだろうか。


 けれど、淳太は微塵もそんなことは思わない。


 素子の表情に、無数の感情が渦巻いていることが『読』めるから。


 『苛立ち』、『嘲り』、『嫌悪』、『不安』、『侮蔑』、『恐怖』、『諦念』、『空虚』。


 それから。


「やぁ、淳太くん」


 『驚愕』、『歓喜』、『安堵』、『興奮』、『感謝』、『親愛』。


 そんな感情を乗せた笑みが、淳太を見上げた。


 それを見た瞬間に、淳太の中に渦巻いていた怒りがたちまちのうちに霧散する。


「バター、あそこのご家族から無事に分けて貰えたよ」


 場違いとも言える言葉を受けて、軽く苦笑。


「ちょ……! タッくーん! ヘルプ! なんか変なのに絡まれた!」


 有象無象が何やらそんなことを喚いていたが、そんなことはどうでも良かった。


 ……が、いつまでも素子に見惚れているわけにもいかない。

 状況の変化に備えて、淳太は素子を背に隠す形で立ち位置を変えた。


 そうこうしているうちに、新たな登場人物が現れる。


「おいおい、なんだってんだ……?」


 めんどくさげな表情を貼り付けてはいるものの、その奥に何かを期待するような感情を隠しきれてはいない男だ。


 淳太程ではないが、体格はいい。

 荒事慣れしているらしく、その立ち居振る舞いからは自信が伺える。


 ついでに言うと、淳太はその顔に見覚えがあった。


「よぅ」


 決して親しみを感じる相手ではないが、だからこそ淳太は親しげに手を上げた。


「再戦希望たぁ、大田以外じゃ珍しい。歓迎するぜ?」


 相手が、素子と出会った日にぶちのめした連中の一人だったためである。


 男は、一瞬怪訝そうな顔で淳太を見つめた。


「……ゲェッ!? 荒井淳太!?」


 それから、驚愕と恐怖が混ざりあった表情となる。


「馬鹿かお前ら! なんて奴に喧嘩売ってんだよ!」


 かと思えば、踵を返して一目散に逃げ出した。


 残った男女は顔を見合わせた後、一斉に淳太の方に視線を向ける。


 淳太は、ニッと犬歯を剥き出しに笑って見せた。


『ひぃっ!?』


 先程の男は、彼らの中ではそれなりにその武力を信頼されていたのだろう。

 淳太を見上げる顔には、例外なく恐怖がありありと浮かんでいた。


 そのまま、示し合わせたかのように一目散に逃げ出していく。


「……もうちょっと、『お話』してくるか」


「やめたまえよ」


 追いかけようかと足を踏み出した淳太の腕を、笑いながら素子が引いた。


「十分過ぎる。今後は私の顔を見る度、君の影に怯えて逃げ出すこと請け合いだろうさ」


 大した力で引っ張られたわけでもないが、淳太は足を止める。


「俺はモンスターか何かか」


 努めてしかめっ面を形作り、肩をすくめた。


「さて、人によってはそう感じるのかもしれないね」


 けれど、と素子は続ける。


「さっきの君は私にとって、ヒーローそのものだったよ」


 そして、眩しそうに目を細めて淳太を見上げた。


「……勘弁してくれ」


 それが妙にくすぐったくて、今度こそ淳太は素で渋面を浮かべた。

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