第16話 魔法使いの弟子の問掛
二人は――主に淳太が中心となって――カレーを作った。
完成品の味は、普通だ。
市販の材料を使えばまぁこんなものだろうな、というのが淳太の感想だった。
素子は、妙に美味しい美味しいと言いながら食べていたが。
それがお世辞でも何でもない『本心』であることが『読』み取れて、淳太は彼女の食生活が若干心配になった。
食後は、周囲を散策したり川辺で涼んだり。
素手で魚を捕まえて見せると、素子は大層驚いていた。
淳太からすれば、魚の動きを『視』て対応するだけなのでさほど難しいことでもない。
人間に比べれば、対応するのは随分簡単だ。
素子の魔法の練習も、少しだけ行った。
普段よりもずっと少ない時間だ。
そんなのでいいのかと尋ねる淳太に、素子は「合宿とはそんなものだよ」と答えた。
恐らくそんなことはないだろうと思いつつも、否定するに足る材料も持ち合わせていない淳太は「そういうもんか」とだけ返した。
というかぶっちゃけ、素子が魔法の練習に費やす時間の長短にそれほど興味がなかった。
そうこうしているうちに日も暮れてきて、夕食の時間だ。
夕飯は、昼の残りと川魚。
魚は塩を振っただけだが、やはり素子は美味しい美味しいと言いながらパクついていた。
尤も、これに関しては淳太も同意ではあったが。
やはり鮮度が良いのに加えて、なんだかんだでそれなりに動き回ったことによる空腹も加味された結果だろう。
山では、日が暮れた後に出来ることはそう多くない。
また、これも日中動き回った結果だろうが、二人共眠気を覚えるのも早かった。
荒事で疲れるよりは幾分マシな疲れだ、と淳太はテントの中で寝袋に入りながら思った。
ちなみに、淳太の寝間着として素子が用意していたのは彼女のものとサイズだけが異なる芋ジャージ。
素子自身が全く同じデザインのジャージに着替えるのと交代で、淳太も半笑いでそれに着替えた。
サイズはピッタリだった。
どうやら淳太用に購入したものらしい。
結局男女二人が同じテントで夜を過ごすことになったわけだが、思っていたよりも緊張感は生まれなかった。
意外とテントの中が広く、二人の間にそれなりの距離が保たれているからかもしれない。
あるいは、既に淳太にとって素子はパーソナルスペースに入っていても違和感のない存在となっているということか。
深く考えると妙なドツボに嵌りそうな予感がして、淳太は考えるのを止めた。
既に明かりは消しているため、素子の顔は見えないし『読』めない。
ゆえに、彼女がこの状況にどういう気持ちを抱いているのかは不明である。
「……ねぇ、淳太くん」
少なくとも、暗闇の中から聞こえてきたその言葉に緊張は感じられなかった。
「まだ、起きているかい?」
「あぁ」
眠気があるとはいっても、返答が億劫な程ではない。
淳太は素直に肯定を返した。
「予め、言っておくけれど]
素子は、夜に見合った静かな声でそう紡ぐ。
「私に、君の心を暴いてやろうなどという魂胆は一つもない」
妙に太い予防線に、淳太は何となくその先の話題を察した。
「その上で、もしよければ聞かせて欲しいのだけれど」
素子の声にはやはり緊張感はないが、さりとてふざけた調子でもない。
「君は、どうして天才少年をやめたんだい?」
果たして、素子が口にしたのは淳太が予想した類の問いであった。
いつものように、脈絡がないようにも思える話題。
しかし恐らくは、昼に淳太が口にしたことから繋がりを予感していたのだろう。
「ウチに、父親はいない」
実際、その予想は正しい。
「どうしていないのかは知らない。あんまり興味もない。ただ、小さい頃の俺の世界には母さんしかいなかった。だから、俺は」
自分で思っていたより滑らかに、淳太の口が動き始める。
「母さんに、俺を見てほしかったのさ」
自分で思っていたより、心は疼かなかった。
「元々、天才少年なんてやってたのもそのためだ。母さんの務めてる研究機関で、たまたまテストを受けたのがきっかけだった」
淳太の脳は、とある欠陥を抱えている。
それは、『忘れ方』を『忘れた』こと。
だから淳太の頭には、全ての記憶が残っている。
「実際、最初は母さんも喜んでくれたよ。俺がいい成績出す度に褒めてくれた」
遠い昔の母の笑顔も。
「でも、ま、俺が心を『読』めることがわかってからはな」
その、引き攣った顔も。
「俺の方を、見ることさえなくなった」
それから見せるようになった、恐ろしいまでに感情の抜け落ちた表情も。
「グレた……というか、今の高校を選んだのも同じ理由だ」
全て、鮮明に思い出せる。
「別に、怒られても良かった……いや、怒られたかったのかもな。どんな感情でもいいから、俺に向けて欲しかった。言葉を投げかけてほしかった」
自分で言いながら、随分女々しい話だと淳太はやや唇を歪ませた。
「けど、進路について言った俺に対する母さんの言葉は簡潔だったよ」
もちろん、その時の母の声だって覚えている。
「そう、好きになさい」
その、何の感情も乗らない響きも。
「それだけだった」
その時に全てを諦めて、全てに期待することを止めた自分のことも。
「それで、全部どうでもよくなっちまった」
全部、記憶に残っている。
「あとはまぁ、ご覧の通りってわけだ」
冗談めかして、淳太は話を締めくくった。
「……淳太くん」
黙って耳を傾けていた素子が、再び口を開く。
「世の中、儘ならないものだねぇ」
「はっ」
淳太は鼻で笑おうとして、失敗した。
全く以て他人事のような言葉の内容とは裏腹に、その口調には心からの実感が伴っているように聞こえたから。
それっきり、会話が途切れる。
虫の音を聞きながら、淳太はいつしか微睡みの中に落ちていった。
直前に話していた内容の割に、夢見は悪くなかった。
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