第17話 魔法使いの弟子と帰宅

 山頂で一夜を過ごし、明けた翌日。


 素子が用意していた携帯食で朝食を終えた淳太と素子は、速やかに下山した。


 朝方に見上げた空が、若干怪しい雲行きを示していたからだ。

 荷物の中には雨具もあったが、雨の中の下山は避けられるなら避けるに越したことはない。


 幸いにして雨に降られることもなく、二人は無事郡原駅まで帰り着いた。

 駅から五分程歩き、学校前の三叉路に差し掛かる。


 そこで、二人はそれぞれ別の方向へと足を進めた。

 淳太は素子の家の方へ、素子は淳太の家の方へ。


「……いやいやいや」


 互いに振り返った後、淳太はこめかみに指を当て首を横に振った。


「どこ行くつもりなんだよ、センパイ」


「どこって、君を家まで送っていこうと」


 さも当然のことのように素子は言う。


「いらんわ。つーか、普通逆だろ」


 淳太が呆れを伴った言葉を返すと、素子はクスリと笑った。


「なんだい淳太くん、君も私を送ってくれるつもりだったのかい?」


「そもそもこれ、センパイのだろうが」


 と、背負ったリュックを見せる。


「あぁ、そういえばそうだったね」


 今思い出した、とばかりの素子の表情。


「別段、ここから先は私が背負って帰るけれど?」


 と、手を差し出してくる。


「いや、もうここまで来たら最後まで持ってくっての」


 清川家の方へと改めて身体を向け直しながら、淳太はリュックを軽く背負い直した。


「ありがとう、淳太くん」


 素子がその横に並ぶ。


「礼を言われる程のこっちゃねぇよ」


 口を「へ」の字に結んで、淳太は歩き始めた。


 笑みを深めて見上げてくる素子の視線が、少しくすぐったかった。



   ◆   ◆   ◆



「んじゃ、ここで」


 清川宅まで数メートルというところで、淳太はリュックを降ろして素子に差し出す。


「おや。せっかくここまで来たのだから、玄関先まで持ってくれてもバチは当たらないんじゃないかい?」


 不思議そうに素子が首をかしげた。


「流石に、外泊した娘の同伴が男ってのはマズいだろ」


 淳太としては、当然の判断である。


「あぁ、なるほど」


 得心した表情を浮かべた後、素子は首を横に振った。


「安心してくれたまえ、家には誰もいないよ」


「そうなのか」


 そういえば素子の家族構成については聞いたことがなかったな、と淳太はぼんやり頭の片隅で思う。


「流石にそうでなければ、私も君を合宿に誘ったりはしないよ」


「……そうなのか」


 この返答には、やや懐疑的な色が混ざった。

 素子がそういった点に配慮するとは思っていなかったのである。


「何やら失礼なことを考えているね?」


 気分を害した様子もなく、素子は微笑んだまま自宅への歩みを再開させた。

 軽く肩をすくめた後、淳太もそれに続く。


 素子が玄関の鍵を開け、扉を身体で押さえた状態で淳太を招き寄せた。

 空けられたスペースをくぐり、淳太はそこでリュックを下ろす。


「ありがとう、手間をかけたね」


「それほどの事でもねぇっての」


 実際、淳太からすればそこまでの負担というわけでもなかった。

 別段レディファーストを気取るつもりは更々ないが、淳太が運んだ方が効率的だったのは事実だろう。


「んじゃ、俺はこれで」


 軽く手を上げて、淳太は踵を返そうとする。


「淳太くん」


 その腕が、後ろから掴まれた。


「まだ、なんかあんのか?」


 振り返って、素子を見下ろす。


 声に乗せたのは単純な疑問だ。

 人によってはそれでも威圧感を感じる場面だろうが、素子の表情から恐怖等は一切『読』めない。


 ただ、じっと淳太を見上げている。


「……君が明るいうちに帰りたがらないのは、やはりご母堂と顔を合わせるのが辛いからなのかな?」


 これからどうやって時間を潰すかの算段を立てていた内心をズバリ見透かされて、淳太は僅かに顔を強張らせた。


「……まぁ、な」


 しかし今更誤魔化す意味も感じられず、一呼吸空けて頷く。


「母さんは、夜に出かけて朝方帰ってくるシフトでずっとやってるからな。家にいる間はほとんど寝てるだけみてぇだが、自宅でまで心労を重ねることもあるめぇよ」


 ゆえに淳太は、母が帰る前に出かけて母が出かけた後に帰ることにしていた。


 言葉は母親を気遣うものであり、それ自体も嘘というわけではなかったが。

 自分自身が顔を合わせたくない、という気持ちも強い。


「だから君は、いつもあのくらいの時間に出かけているんだね」


「……つーか。多少早めに出たところで確実にウチの前にいるセンパイは、いつも何時から待機してるんだ」


 ふと、何気にずっと気になっていたことを尋ねてみた。


「まぁ、大体日の出前くらいかな」


「ごほっ!?」


 予想外の返答に、思わず咽る。


 ちなみに、淳太が家を出るのは大体午前七時前後である。

 この季節であれば、日の出は五時頃といったところか。


「毎日、二時間も待ってるってのか……!?」


「そうなるね」


 驚愕混じりの問いに、素子は事も無げに答えた。


「すれ違いになっては困るだろう?」


 そして、やはり涼しい顔でそう付け加える。


「……普通に、七時くらいに来てくれ。早めに出る時は連絡すっから」


 素子の待ち伏せそのものを止めさせるのは、もうとっくに諦めていた。

 そこで、淳太はそんな妥協案を示す。


「スマホの番号、教えてくれ」


 メモの準備などは必要ない。

 淳太にとっては、一度聞けばそれで十分だ。


「生憎、私は携帯電話の類を持っていなくてね」


 が、素子の答えはまたも予想外のものだった。


「ホントに今時の高校生かよ……まぁ、俺も人のこと言えた義理じゃねぇが」


「ははっ。お互い、連絡を取り合う相手もいないものね」


「……まぁな」


 まさしくその通りなので、頷くしかない。

 淳太の場合、そもそも人との繋がりを持ちたくなくて所持していないという理由も強いが。


「家の番号を教えよう。六時半頃までに連絡がなければ、君の家に向かうことにするよ」


 清川家から荒井家へは、徒歩でおよそ三十分の距離。

 提案そのものは、妥当なものと言えよう。


「……それはそれで、問題があると思うんだが」


 しかし、淳太は難色を示した。


「何の問題が?」


 素子が首をかしげる。


「家の人が出たら、なんて言えばいいんだよ」


「………………あぁ、なるほど」


 一瞬怪訝そうな表情を浮かべた後、素子は納得を示した。


「心配ない。君からの電話は、必ず私自身が一番に出ると約束しよう」


 その顔から『読』めるのは、それが揺るぎない事実であるという素子の『確信』。


「……なら、いいけどよ」


 根拠はわからなかったが、ならばと淳太は頷いておく。


「しかしセンパイ、やけに早起きなんだな。それ、何時に寝てんだ?」


 次いで、そんな質問を口にした。


 特段、何かしらの意図があったわけではない。

 ただの雑談だ。


「いや、ここ一年程はまともに眠れた試しがなくてね。最近はもう、自分から眠るのはほとんど諦めているんだ。たまーに、気絶するとしばらく眠れるしね」


 しかし、思わぬ回答にギョッとした表情を浮かべることとなった。


「あぁでも、昨晩は随分と久しぶりに熟睡出来た」


 淳太の驚きを気にした風もなく、素子はそう続ける。


「君といたおかげかな?」


 次いで、どこか妖しげに微笑んだ。


「今度から、君に添い寝してもらおうかな」


「……冗談」


 淳太は鼻で笑う。


「半分くらいは、本気なのだけれど」


「知ってる」


 それが『読』めたからこそ、「冗談にしておいてくれ」という意図を込めたのだ。


「さて。まぁそれはそうと、だ」


 淳太としては明確に否定してからに欲しかったところだが、素子は素知らぬ顔で話題を変える。


「淳太くんはこの後、どうするんだい? ウチでゆっくりしていってくれても構わないけれど」


「それは遠慮する」


 妙な気を起こすつもりなど更々なかったが、やはり家人のいない状況で女性と二人きりというのは遠慮願い淳太であった。


「適当に街をブラつくよ」


 言って、今度こそ踵を返す。


「そうかい。では行こう」


 合わせて素子も歩き出した。


「……一緒に来るのかよ?」


「邪魔かい?」


 邪魔だ。


 即座にそう答えようとして、淳太は口を噤んだ。

 全くそんな風に思っていない自分に気付いたから。


「……好きにしろよ」


 結局それだけ言って、清川家を離れることにする。


「では、そうさせてもらうよ」


 もちろん、素子はそのすぐ後に続いた。

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