第2話 自称不良の日常

 淳太は、繁華街をブラついていた。


 あの後、素子は「では、また会おう」と言ったきり屋上を去ってしまった。


 そのまま屋上に留まる気にはなれず、もちろん教室に戻る気もなく。

 母親のいる自宅に帰るのは論外で、結局選んだのがこれだ。


 家に寄り付かない淳太は、よくここで時間を潰していた。

 家の庭に咲く草花の名は知らないが、この辺りに並ぶ店の名前ならば全部そらで言える。


 けれど、なぜか今日の景色はいつもと少し違って見えた。

 店舗の並びは、淳太の記憶にあるものと完全と一致しているのに。


 ではなぜだろう、と考えて。


(そういや、ここに来る時ゃいっつもイライラしてたんだっけか)


 そう、思い至った。


 学校で苛立って、自宅で空虚を覚えて、いつも淳太はここを訪れていたのだ。


 しかし、淳太は今日も同じ心境だったはずだ。

 少なくとも、屋上を訪れるまでは。


(……あの人は、俺を怖がりも蔑みもしなかったな)


 淳太をからかい、笑っていた。

 それどころか、『いい人』扱いだ。


 正面から、何の偏見も抱かず、フラットに淳太と向き合っていた。


 そんな相手と会話したのは、いつ以来だろうか。


 淳太に対して恐怖を、侮蔑を、畏怖を、嫉妬を、期待を、諦観を、無抱かなかった者と。


(はん……センパイと過ごすのも、悪くねぇってか?)


 自分の中に生まれた感情に対して、淳太は嘲笑を浮かべた。


(冗談じゃねぇ……あの人は、まだ俺を『知らない』だけだ)


 そんな風に、切り捨てたところで。


「よぅ、淳太!」


 背後から声をかけられた。


 聞き覚えのある声だ。

 ゆえに・・・淳太が間違うはずはな・・・・・・・・・・


「大田……」


 うんざりとした調子でその名を呼びながら振り返ると、果たして思った通りの顔がそこにあった。


 一八〇センチを超える淳太でも、目を合わせるには視線を上げる必要のある長身。

 身体の厚みだって、筋肉質な淳太を更に上回る。


 顔つきも、それに見合ったものだ。

 ゴリラ界隈辺りではもしかするとイケメンに分類されるのかもしれない。


 だらしなく伸ばされた茶髪は、根本の数センチ程が黒くなっていた。


 基本的に淳太の記憶にある顔と合致しているが、唯一の相違点は頬に貼られた大きなガーゼだ。


 尤も、それが貼られることとなった経緯については淳太も十二分に承知しているが。


「前々から言ってるが、気安く呼ぶな」


 嫌悪感を隠しもせず、淳太は吐き捨てた。


「はっ、そう言うなよ。俺とお前の仲じゃねぇか」


 続いて馴れ馴れしく肩に伸ばされた手を、払い除ける。


 男の名は、大田健児。


「一方的にボコボコにされるような仲か?」


 淳太にとっては、つまりそういう感じの知り合いであった。


 一年ほど前に淳太がこの辺りに顔を出し始めた頃、仲間に誘ってきた大田に対してすげなく断ったのがきっかけだ。

 それ以来、何かと因縁を付けては淳太に喧嘩をふっかけてくる。


 直近で言えば、昨日。

 大田の頬にガーゼが貼られている理由でもある。


「はん」


 大田が、楽しげに鼻を鳴らす。


「ところで淳太、調子はどうだい?」


 彼が淳太に勝てたことはこれまで一度もないわけなのだが、いつも翌日にはこうしてケロッとした顔で話しかけてくる。

 淳太は彼に対して割と真剣に、マゾなのではないかという疑惑を抱いていた。


「意外にもさっきまでは割と良かったんだが、たった今最悪になったよ」


 いずれにせよ、好んで会いたい相手ではない。

 淳太は本心からそう答えた。


「そりゃ何よりだ」


 ニィと笑みを深め、大田が軽く手を上げる。


 すると、路地裏からゾロゾロと男たちが歩き出てきた。

 全部で十人。


「アンタも懲りねぇな……」


 淳太は頭を掻きながら、囲まれないよう位置取りを調整する。


「人集めるのも、これで何度目だよ。いい加減無駄だって悟れ」


 全員が視界に収まる位置で足を止め、淳太は集まったメンツの顔を観察した。

 ほとんどが初めて見る顔だ。


 笑っているのは大田だけで、他の男たちの顔には緊張感がありありと見て取れた。


「今やお前は、この街で最強と認識されてる。おかげで、名を上げたい奴が簡単に集まって助かるぜ」


「この人数差でやって、名が上がるのかよ?」


「上がるさ。お前は、いつだってどんな人数相手にしても勝ってきたんだからな」


「望んでやったことは一度もないけどな」


 会話しながら、淳太は彼らの表情と立ち居振る舞いを『記憶』する。


「なら、最強の看板を下ろせばいい」


 大田が、僅かに大きく息を吸った。


(来る)


 表面上は棒立ちで、けだるげな表情のまま。


 淳太は、大田の行動を『視』る。


「今日、ここで負けてなぁ!」


 大田が飛び出した。


 淳太に向けて一直線に駆け、拳を繰り出す。

 粗暴な見た目に反して、コンパクトで無駄のない動作だ。


「そうしたいのは山々なんだが」


 だが、それは先程淳太が『視』たのと寸分違わぬ動きであった。


「痛いのも嫌いでね」


 身体を僅かばかり逸らすことで大田のパンチを掠るに留まらせ、カウンター気味に掌底を顎に入れる。


「かっ……!?」


 グルンと目を回し、大田はその場に膝を付き崩れ落ちた。


 ここまではイージーな作業だ。


 なにせ、大田のことは十二分に『知って』いる。

 別段、好き好んでそうなったわけではないが。


 問題は、『情報』のない者たち。


「この野郎!」


「荒井ぃ!」


 男たちが、一斉に襲い掛かってくる。


 淳太は、出来る限り直前まで彼らを観察した。


 リアルタイムで、『記憶』、『記憶』、『記憶』。


 彼らの動きを『視』る。

 僅かに頭痛を感じるが、無視。


「おらぁ!」


 雑な動きで掴みかかろうとした男の頬に掌打を叩き込む。


「ごべっ……!?」


 後ろ斜め向きに男は吹っ飛んだ。


「死ねや!」


 殴りかかってきた男の腹に蹴りを入れる。


「ごぶっ!?」


 男は吐瀉物を撒き散らしながら倒れた。


 瞬く間に三人片付けた淳太を相手に、男たちは怯んだ気配を見せる。


 今度は、淳太から動き出した。


 最も近くにいた男目掛けて駆け、勢いのまま鳩尾にアッパー。

 間を置かず、隣の男の脇腹にも拳をお見舞いした。


 二人とも、顔を苦痛に歪めて崩れ落ちる。


 唖然とする男たちの一人に掴みかかり、今度は背負いで投げ飛ばした。

 投げた先にいた男も巻き込み、これで更に二人。


 と、そこで淳太は突如後ろに向けて回し蹴りを放った。

 その足は驚きの表情を浮かべた顔面を見事に捉え、男を吹き飛ばす。


 淳太を後ろから奇襲しようとしていたようだが、既にそこは淳太が『視』ていた場面だ。


 残りは三人。


 が、淳太はそこで足を止めて大きく深呼吸することで息を整えた。

 別段、動けなくなったわけでも油断を誘っているわけでもない。


 残りの三人が逃げることは、もう『視』て知っている。

 果たして横目で見れば、仲間を置き去りに走り去っていく三つの背中が見えた。


「ふぅ……」


 額の汗を拭い、安堵の息を吐く。


 いくら『視』えていたとはいっても、それに対処出来るかどうかは別問題である。


 そもそも、『視』たことが絶対に正しいとも限らない。

 今回は、相手が単純そうな連中だったから上手くいっただけだ。


 尤も、淳太に喧嘩を吹っかけてくるような連中は概ねそんな手合いばかりだが。


「次は、こんなもんじゃ済まさないからな」


 痛みで呻いている男たちにそう吐き捨てて、淳太は歩き出した。

 大田相手には恐らく効果無しだろうが(そもそも彼は意識を失っている)、それ以外の者にはそれなりに効果的だろう。


 事実、言葉を聞く余裕のある者は皆ビクッと身体を震わせていた。


「はぁ……」


 場を離れながら吐き出すのは、溜息だ。


「何やってんだかな……」


 勝利の高揚など皆無である。


「実際、こんなことやってるくらいなら頭のおかしい女に振り回されてる方がなんぼかマシかもな……」


 なんて呟いて、苦笑した。


 最後に見た彼女の笑顔を思い出せば、ほんの少しだけマシな気分になれた気がした。



   ◆   ◆   ◆



 それからドップリ夜が更けるまで時間を潰して、帰宅する。


 二階建て庭付きの、そこそこ立派な一軒家。

 全ての電気が消えていることを確認してから、淳太は玄関の鍵を開け中に入った。


 どこにも人の気配のない家の中を静かに歩き、自室に向かう。


 部屋の電気を付け、ベッドに身体を投げ出した。


 この家の中に自分以外の気配があると、淳太は居た堪れない気持ちになる。

 しかし、なければないで堪らなく虚しい気持ちになるのだった。


(我ながら、厄介なことだ……)


 胸中で呟き、苦笑する。


(しかし、今日はやけに疲れたな……)


 すぐにでも眠ってしまいそうな程の疲労であった。

 シャワーくらいは浴びようと思っていたが、その気力も残っていなさそうだ。


 喧嘩によって、肉体が披露している部分もある。

 しかし、言ってみれば淳太にとってそんなことは日常茶飯事だ。

 別段、それを自ら願っているわけではないとはいえ。


 では、いつもと異なる部分は何なのか。


 考えるまでもない。


(魔法、ね……)


 屋上でのやりとりを思い出し、苦笑が深まった。


(そんなもん……)


 あるわけがないことを、淳太はよく知っている。

 他ならぬ淳太自身、かつてそれを渇望したこともあったのだから。


 けれど。


「あれば、いいのになぁ……」


 最後に、それだけ口に出して。


 淳太は、抗うのをやめて眠気に身体を委ねた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る