第13話 魔法使いの弟子と登山

 荒井家から徒歩で約二十分の位置にある最寄り駅、郡原こおりはら駅から乗車した電車に揺られること二十分。

 降りてまた歩くこと二十分。


 そこからは登山道だ。

 勾配は緩やかで、歩くのにさほどの苦はない。

 周りを見れば、老人や子供の姿も散見された。


 とはいえ。


「やー、やはり山の空気は良いものだね」


 そんな風に快活に山道を登る素子の姿に、違和感を覚えなかったと言えば嘘になる。


「……元気だな、センパイ」


 ゆえに、思わず淳太はそんな感想を口にした。


「ん? そろそろ休憩にしようか?」


 遠回しに疲れたと主張していると取られたらしく、素子は淳太を見上げて小さく首を傾けた。


「しかし、これは迂闊だったね。思えば、君が荷物を持つと言ってくれることなど容易に想像出来たはずだ。一つにまとめず、私も分担して持てるようにするべきだった」


「いや、別に疲れたわけじゃないし荷物が負担になってるわけでもねーから」


 一人反省の色を浮かべる素子に、異議を挟む。

 実際、そこそこの荷物を背負って緩い山道を数十分歩いた程度でへばるような鍛え方はしていない。


「そうじゃなくて、センパイが元気ハツラツで山登ってんのが意外だったんだよ。なんか、インドアなイメージがあったから」


 結局、淳太は素直に思っていたことを口にした。


「別段、そのイメージそのものは間違っていないよ?」


 納得した顔で、素子は一つ頷く。


「ただ、前にも言わなかったかな? 私にも、鍛えていた時期があってね」


「あぁ……そういや、運動出来ないのを馬鹿にされてだっけか」


 もちろん、淳太の脳内には素子がそう語っていた場面が鮮明に記録されている。

 しかしそれが、普段の素子と結びつかなかったのだ。


 それに加えて。


「けどそれ、結構前の話だろ? 身体なんざ、しばらくサボるとすぐ鈍ると思うんだが」


 素子が話していたのは、少なくとも一年以上は前の出来事だったはずだ。


「最近はまた、それなりにね。君、身体は引き締まっている方が好みだろう?」


「別に……」


 嫌いではないけど。

 そんな言葉は、口にする気にもならなかった。


 冗談めかした調子ながら、素子の表情から読み取れるのは『本気』。

 そんなところが最高に厄介だ、と淳太は出会ってから何度目になるかわからない思いに口を閉ざす。


「ふふっ」


 そんな淳太の内心を見透かしたかのように、素子はイタズラっぽく笑った。


 いや……本当に彼女は人の心を読めるのではないか?


 淳太は、ふとそんな考えに至った。


 荒唐無稽だとは思わない。

 なにせ、誰あろう淳太自身がそれを体現しているのだから。


「一応言っておくけれど、私には君のような特殊能力はないよ?」


 言葉とは裏腹に、やはり淳太の思考を読んだかのような発言。

 淳太はギクリと表情を強張らせた。


「君は、実に感情が表情に出やすい。言われたことはないかい?」


「……ないな」


 これも、事実。


 ただしそれは、淳太が幾通りもの感情を見せた相手がいなかっただけかもしれない。


 ただ一人例外はいるが、彼女は淳太に興味を示さなかった。


 いくつかの感情が噴出しかけたのを、淳太は意識して表に出ないよう押さえつける。


「それに別段特殊な能力などなくたって、親しい人の感情ならそれなりにわかるようになるものさ」


 幸い、今度は素子も淳太の微細な感情の変化には気付かなかったようだ。


「君ほどわかりやすければ尚更に、ね」


 彼女の表情は、淳太をからかう調子のままである。


 そんないつも通りの彼女が、淳太の中の負の感情を急速に霧散させていく。


「だからって、人の好みまでわかるもんなのかよ?」


 降参を示すため、軽く両手を上げた。


「あぁ、その話は適当だよ? 君の表情から、当たりだったことはわかったけどね」


 素子の言葉に、淳太は微妙な表情を浮かべるしかない。


「……だったら、最初に会った時に言ってたのも適当だったのか?」


 出会ったその日、素子は自分が淳太の好みに合致しているだろうと指摘してみせた。


「そういう目には敏感だ、ってのも」


 そんな言葉と共に。


「んー、それは半分本当で半分適当だね」


 視線を上向け、素子は思い出すように顎へと指を当てる。


「実際、体型の問題さえクリア出来れば私は大抵の男性の好みに合致すると思うのだよ」


「大した自信だことで」


「間違っているかい?」


 揶揄する調子で告げると、素子がそんな言葉と共に淳太を見上げてきた。


「………………」


 この場合、無言は肯定。

 わかってはいても、淳太は否定することが出来なかった。


 当時、淳太は今の素子の言葉と全く同じことを考えたからだ。


「なのでまぁ、君の好みにも合致していればいいなぁと。多少、願望混じりのカマかけではあったね。あの時は」


 素子が軽く肩をすくめる。


 出会った当初から手の平の上で転がされていたことに、淳太はますます渋い表情となった。

 尤も、今更な話ではあるが。


「なら、本当の方の半分は?」


 毒食わば皿まで。

 そんな気分で、問いを重ねる。


「そういった目に敏感、というのは本当だよ?」


「どういう目だよ?」


「そうだね。ま、一言で言うと」


 素子は、鼻で笑った。


「肉欲に満ちた目」


 僅かばかり、ではある。

 しかし淳太は、確かにその表情に『嫌悪感』を『読』み取った。

 彼女が初めて見せる類の感情だ。


「……おいおい」


 同時に淳太は、少なからずショックを受けていた。


「俺は、そんな目でセンパイを見てたってのか?」


 素子の表情それそのものに対してというよりも、自分がそれを引き出してしまったらしいということに。


「あぁ、勘違いしないでくれたまえ」


 けれどすぐに、素子の笑みはいつもの調子に戻った。


「淳太くんがそんな目をしていたならば、わざわざカマをかける必要なんてなかったさ」


 飄々とした、それでいて『親愛』に満ちていることが『見』える表情に。


「それに、もしそうだったら君を弟子に……なんて話もしなかったろうね」


 何気ない、特段何かの含みを持たせたわけでもない調子の言葉だった。


 しかし、淳太はそれに妙な喜びを感じていることを自覚する。


 自分が、彼女にとっての特別な存在だと言われたような気がして。


(……くだらねぇ)


 心の中で吐き捨てつつも、胸が高鳴るのは抑えきれない。


 それは、かつての淳太が渇望して止まなかったものだったから。


 結局、望んだ相手からそれを得られることはなかったけれど。


「端から自分に靡いてる奴に興味はねぇってか? 流石、モテる人は言うことが違うな」


 感傷を振り切るため、意識して軽口に聞こえるように喋る。


「そんなに、いいものでもないさ」


 てっきり冗句が返ってくるものと思っていたが、実際に素子から返ってきたのは苦笑を伴う言葉だった。


「興味のない人に好かれても、大して嬉しいこともない。それに、女の嫉妬というのは見苦しいものでね」


 それもまた、素子にしては珍しい表情だ。


「思えば、よく今まで清い身体でいられたものだよ。ま、身体を鍛え始めるのがもう少し遅ければどうなっていたかわからないけどね」


 何があったのかなんとなく察せられ、淳太は何と言ったものかと言葉を探す。


「それにまぁ、確かに実際のところ」


 そんな淳太に、素子はズイッと身体を寄せた。


「どうやら私は、追われるより追う方が合っているらしい」


 至近距離で、ニッと笑みを深める。


「君といると、色々と新たな自分を発見出来て面白いよ」


 今度こそは、先程淳太が期待していた口調と表情だ。

 気を使おうとしたつもりが、どうやら逆に気を使われてしまったらしい。


 淳太は、自分の不甲斐なさにガリガリと頭を掻く。


「はっ、それはお生憎様だ」


 これ以上気を使わせるわけにもいくまいと、再び軽口を紡いだ。


「残念ながら、俺はもうセンパイの虜だからな」


 いつかのように、素子の顎に指を当ててクイと上向かせる。


「愛してるぜ、センパイ」


 顔を寄せ、耳元で囁いた。


 素子もまた、いつかのように平然とあしらう。


 ……と、淳太は予測していたのだが。


「……?」


 何の反応もないので、淳太は疑問符と共に顔を離す。


「……うおっ!?」


 すると顔を真っ赤にした素子が目に飛び込んできたので、思わず驚きの声を上げた。


「あ、あ、あ、ああああああのそのだね淳太くんその気持ちは嬉しいのだけれど些か急過ぎるというかいやそういえば前にも君は私がストライクゾーンど真ん中とか言っていたねなるほどあれは君なりの告白だったというわけかどうやらこれは私が鈍かったようで君はついに業を煮やしたというわけでしかしいくらなんでも時と場合を弁えた方がいやしかし話を振ったのは私の方でなるほど場所も改めて見れば悪くもないというかこれはこれでロマンチックと言えないことも」


 そんな淳太の目の前で、素子は真っ赤なままマシンガンのように捲し立てる。


「いや、あの……」


「あぁそうか返事だねそうそう返事かそう言われたからには返事をしないわけにもいかないよねといっても私からの気持ちは常日頃伝えているのだけれどいやなるほど改めて必要というわけだわかっているよわかっているさもちろんわかっているともただやはり心の準備というものが必要でそういう意味ではやはりもう少し前触れが欲しかったというかいや決して文句を言っているわけではないのだけれどね」


 口を挟もうにも、どこにもその隙が見当たらなかった。


「あぁ待たせてしまってすまない言うよ言うさ言うともさいいかい良く聞くがいい言うからね言ってしまうからねつまるところ私が君に対して抱いているという気持ちというのはいやしかし少々複雑で言葉にするのは難しくいやいや実のところは簡単なのかもしれないけれどつまりつまるところつまりつまりすすすすすすすすす」


「冗談、だったんだけど……」


 仕方ないので、言葉の途中にぶっ込む。


「す」


 すると、素子はスイッチが切れたかのように動きを止めた。


 口だけでなく、全身の動きを。


「………………」


「………………」


 しばし、沈黙が訪れる。


「……いや、わかっていたよ?」


 たっぷり三十秒は押し黙った後、素子が再度口を開いた。


「あぁわかっていたとも、もちろんね」


 フフンとしたり顔を形作る素子だが、未だ耳まで真っ赤なままである。


 ツッコミを入れたい気持ちでいっぱいとなる淳太であったが、流石にそれは憚られた。


「……センパイって、押しに弱かったんだな」


 結局耐えきれず、そう口に出してしまったが。


「い、一応言っておくけど相手が淳太くんだからなんだからね?」


 流石に誤魔化しきれないと踏んだか、素子も実質認めた上で唇を尖らせる。


「……そうかい」


 その言葉の裏を考えてしまうと、更に妙なことになってしまいそうな気がした。

 なので淳太は、顔を逸らし努めて素子の表情を『読』まないようにする。


 恐らくこちらも赤くなっているのであろう自らの顔を極力見られないようにする意図もあった。


 それから、しばし。


 二人は、微妙な空気を漂わせたまま黙々と登山に励むことになるのであった。

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