第9話 魔法使いの弟子の部屋

 意外にもと言うべきかやはりというべきか、素子の部屋は普通の女の子らしい部屋だった。


 他の女の子の部屋に入った経験など存在しないので、あくまで淳太がイメージしていたものと似通っていた、というだけだが。


 学習机の上に例の魔導書(?)が置かれている以外、本棚に並ぶラインナップにも魔法関連のものは見当たらない。

 漫画から小説、専門書に図鑑と、その種類は多岐にわたっている。


「お待たせしたね」


 適当に部屋の中を眺めていると、そんな声と共に素子が入ってきた。

 手にしたお盆には、湯呑み二つと皿に盛られた数種のお菓子が載っている。


「おや、下着にはまだ手を付けていないのかい? それとも、もう済ませた後?」


 そんなセリフには、肩をすくめるだけで返した。


 流石に、これは『本気ではない』と『読』めたからだ。

 素子ならばこれすらも本気で言いかねないと思っていただけに、少しホッとした。


「さて、それでは早速始めようか」


 そう言うや、素子はポケットからメガネを取り出して装着する。


「……センパイ、視力は両方二.〇だって言ってなかったか?」


「伊達メガネさ。気分だよ、気分」


 半目で指摘すると、素子はチッチッチッと指を振った。


「素子先生の放課後指導! を、始めるに当たってのね!」


 そして、その指でビッと淳太を指す。


「……放課後もクソも、夏休みでそもそも放課がないんだが」


「気分だよ、気分」


 先程と同じ言葉を繰り返す素子。


「さぁ淳太くん、苦手科目は? 得意科目はあるかい? どの教科から始めようか? ふっふっふっ、保健の授業は最後のお楽しみだよ?」


 ズイッと身を乗り出し、ワクワクした様子で尋ねてくる。


「……センパイ、自分の勉強は?」


 差し当たり、そんなツッコミを入れてみた。


「私はこれで、元優等生でね。卒業出来る程度に点数を取るだけなら、そこまで焦らなくてもいいのさ」


 ふふん、と素子は自慢げに笑う。


「なんか、ノリノリのとこ悪いんだけどな」


 淳太は、小さく溜息を吐いた。


「特に教えてもらうことなんざない。俺も、点数を取るだけなら問題ないからな」


「ほぅ?」


 素子が興味深げに首を傾ける。


「まぁ、確かに君も二年生には進級しているのだからね。それなりに心得てはいるというわけか」


 次いで、納得の表情となった。


「だが、二年生からは学習の難易度がまた一段と上がるのだよ? ここは、先人に教えを乞うべきだとは思わないかね?」


「思わないね。必要ない」


 意地悪げな笑みを浮かべる素子に、淳太は短く答える。


 実際のところ、素子に教えてもらう『フリ』でもすれば彼女は満足するのかもしれない。

 しかし、それも不誠実だと思ったのだ。


 これで淳太は、見た目にそぐわず誠実さを割と美徳としているところがある。


「言うねぇ」


 素子の笑みが深まる。


「なら、まずは君の実力の程を見せてもらおうか」


 と、素子は机の引き出しから数枚のプリントを取り出した。


「これは、ウチの学校の過去問なんだけれど」


 それを、淳太の前にまとめて置く。


「果たして君に、解けるかな?」


 イタズラを思いついた子供のような表情に、淳太は軽く鼻から息を吐いた。




   ◆   ◆   ◆




 それから、しばらく後。


「……全問正解だ」


 小一時間程で全教科分埋めきった淳太の答案用紙を採点し、素子は呆然と呟く。


「これで、わかってもらえたか?」


 特段自慢するでもなく、淳太は軽く肩をすくめるのみ。


「というかだね、淳太くん……」


 信じがたいものを見る目を、素子は淳太に向ける。


「これ、私の学年の過去問なんだけれど……」


 未だ半分呆けた状態で紡がれた素子の言葉に、淳太はやや顔を強張らせた。


「全くわからん! と音を上げる君に、いやー間違っちゃったよはっはっはー……と、今度こそ本当に二年生の過去問を渡すつもりだったんだよね……」


 にも関わらず、淳太は苦もなくスラスラと解いてしまったと。


 一瞬、淳太は誤魔化しの言葉を考えた。

 実はカンニングしていただとか、範囲を派手に間違えて勉強していただとか、いくつかの案は思い浮かぶ。


「……高校の履修範囲なら、八歳の時に全部終わってるからな」


 しかし結局、包み隠さず真実のままを話すことにした。


 上手い言い訳が浮かばなかったから、というのが理由の一つではあるけれど。

 やはり嘘は不誠実であると考えたのと、素子相手にならば話しても大丈夫だろうという思いがあったから。


 あるいは、そう信じたかったから。


 あるいは。


(俺は、センパイを試そうとしてるのかもな……)


 嘘をつくよりももっと不誠実な自身の態度に、淳太は唾棄したい気分になった。


「なんと。君は、天才少年だったのか」


 淳太は素子の表情を『見』る。

 純粋な『驚き』と『感心』。


 ただそれだけだ。


 今のところは、まだ。


「昔は、そう呼ばれていた時期もあったよ」


 気を抜けば溢れそうになるドロドロとした感情を慎重に抑えながら、淳太は皮肉げな笑みを浮かべた。


「どうやらこれは、本当に私の出番はないらしい」


 素子がメガネを外し、テーブルの上に置く。


「ねぇ淳太くん、答えたくなければそう言ってくれて構わないのだけれど」


 次いで、不思議そうな目を淳太に向けた。


「なぜ君のような子が、我が校にいるんだい? 言っちゃなんだが、凡才の吹き溜まりのようなところだよ? あそこは」


「……一応、ここいらじゃ一番の進学校だったはずだが?」


 進学先を決めるに当たって、チラリと聞いたような気がする情報で問い返す。


「凡庸だよ。みんな、ね……無論、私も含めて」


 素子は笑った。

 言葉の内容とは反して、そこに蔑みの色はない。


「ま、実際周りの大人は海外の大学だかに行くよう勧めてきたけど」


 淳太も笑った。


「俺は、中学でグレたからな」


 こちらは明確に、自身に対する嘲笑だ。


「なるほど、実にわかりやすい回答だ」


 答えになっていない答えだったが、素子は満足げに頷いた。


「センパイは……」


 仮に、問うとしても。


 そちらはなぜ今の高校を選んだのか、と聞き返す場面だろう。


「センパイは、なんで魔法使いになんかなりたいんだ?」


 しかし淳太は、その質問を選んだ。

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