第10話 魔法使いの弟子の起点

「なぜ、魔法使いになりたいか?」


 再び、そして先程……淳太に今の高校を選んだ理由を問うた時以上に、素子は不思議そうな表情を浮かべる。


「君は憧れないのかい? 普通じゃ出来ないような奇跡を起こせる、魔法使いに」


「あぁ、憧れたさ」


 本心から淳太は答えた。


「小学生の頃にはな」


 冷笑を浮かべるが、それは少しだけ嘘。


 憧れなくなったわけではない。

 現実を知っただけだ。


「……あまり、重く捉えないで欲しいんだけどね」


 少しだけ間を置いた後に、素子は再び口を開いた。


「あの時、君が来なければ。私は、死のうと思っていたんだよ」


 脈絡がないように思える言葉が紡がれる。


 あの時。

 それが屋上での出会いを指すことは、すぐにわかった。


 同時に思い出す。

 「じゃあ、センパイは自殺するためにここに来たのかよ?」という問いに対して、あっさりと返された「あぁ、その通りさ」という言葉を。


「……心臓に悪い冗談はよしてくれ、って言ったはずだが」


 淳太は、あの時と同じ言葉を口にする。


「別段、冗談ではないからね」


 続く素子の言葉は、あの時とは異なっていた。


 何も言うことが出来ず、淳太は視線で続きを促す。


「なんてことはない、平凡な話さ。何も面白いことがなくて、恐縮なんだけどね」


 言葉通り、素子は何でもない表情だ。

 そこに『嘘はない』と、淳太は『見』る。


「私はどうやら、いわゆるイジメのターゲットというやつにされていたようでね」


 やはり平然と、素子はそう続けた。


「……同じクラスの奴か? 名前は?」


「よしたまえよ」


 淳太の顔を見て、素子はフッと笑みを深める。


「今の君、名前を聞けばすぐにでも殴りに行くと顔に書いてあるよ」


 思わず、淳太は顔に手をやった。

 その段に至り、自分が拳をやたらと強く握っていたことに気付く。


「君が、そんな顔をしてくれただけで十分さ。私は救われたよ」


 素子の笑みはどこか眩しいものでも見るかのような、優しげなものだった。


「俺は、別に……」


 なんとなくバツが悪くて、淳太は言葉を濁す。


「最初は、からかい程度のものだったんだ」


 そんな淳太を見てますます笑みを深め、素子はそう言葉を続けた。


「さっきも言った通り、これで私も元は優等生でね。一応、学力テストでは学年一位を外したことがなかったのだけれど」


 自身にとって辛い過去を話しているだろうに、素子の笑みは変わらない。


「一部の人から、勉強ばっかりしている頭でっかちだと馬鹿にされた。悔しければ運動も出来るようになってみろと」


 先程から、丸っきり他人の事を語るような口調と表情だ。


「悔しかったので、身体を鍛えたよ」


 そこで、素子の表情に僅かな自嘲の色が混ざった。

 それが、彼女の後悔を表わしているのかもしれない。


「私は何事も、実践より理論先行でね。身体を鍛えるのも、まずは徹底的に効率的な方法を模索してから始めた」


 ふと、素子が何か思いついたような表情を淳太に向ける。


「そういう意味で私たちは似ているのだろうね、淳太くん」


 何を指しているのか、淳太は言われずとも理解した。


「君の体付きを見ればわかる。それは漫然と鍛えたわけでなく、必要な箇所を計算し尽くし最も効率が良くなるよう鍛えているのだろう? 無駄な筋肉が一切ない」


 果たして、素子の言葉は淳太の予想通りのものであった。


 そして、的確に事実を言い当ててもいる。


「だから君も知っているだろうけれど、この方法は漫然と鍛えるよりも随分と仕上がるのが早い。私が運動面でもそれなりの成績を残せるようになるのに、そう時間はかからなかった」


 淳太にも覚えがあった。


 最初は、たとえ『視』えていたとしても身体が付いてこずに喧嘩では何発も殴られた。

 それが本格的に鍛え始めてからは、すぐにその回数が激減していったのだ。


「しかしどうやら、一部の運動部の方々に勝ってしまったのがよろしくなかったらしい」


 素子が肩をすくめて首を横に振る。


 淳太に対して「何もかも大したことではない」と伝えるかのようなおどけた仕草だ。


「その頃からかな。直接的に手が出て来るようになったのは」


 否。


 ような、ではない。

 その意思を、淳太は確かに素子の表情に『見』た。


「私の身体もその頃にはそれなりに鍛えられていたわけで、好きなようにはさせなかったんだけど……それもまた、良くなかったのかもしれないね」


 淳太は、何も言えずに素子の言葉をただ聞いていることしか出来ない。


「数字や勝ち負けでしか人を測れない冷酷な人間が、と言われたこともある」


 素子は、変わらず淡々と紡ぐ。


「なるほどそうかもしれないと、芸術分野にも手を出してみたりもした。音楽に文学、書道や絵画なんかにね」


 実際その表情には、懐かしさも悔しさも悲しさも何一つとして『見』えなかった。


「いくつかの賞を貰ったところで、また敵が増えたようだ」


「……聞いてる限り、俺よりセンパイの方がよっぽど天才だな」


 ようやく、淳太が口を挟む。


 半分は本心。

 もう半分が揶揄する調子なのは、そうでもしないといつまで経っも声を出せそうになかったからだ。


「ご冗談を」


 淳太に合わせたのか、素子も冗談めかして笑った。


「私は、ただの凡庸な人間だよ。勉強以外じゃ、学年で一番にもなれなかった」


「それでも、十分だと思うが」


「恐らく君なら、きっと本気でやればもっと出来るよ。大抵のことは、模倣と理論立てた研鑽でそれなりの所までならいけるから。そこから先は、いわゆる才能という奴が必要なのだろうけどね」


 そして、淳太にウインクを送る。


「君の格闘技術だって、そうなのだろう?」


 淳太が格闘技として使用しているのは、空手と柔道とシステマである。

 どれも自己流で、書籍やネットの情報を見て覚えたものだ。


 路上で使う分には十二分に効果を発揮しているが、本格的にやっている者に勝てるとは全く思っていない。


「少し話が逸れたね」


 コホン、と素子は一つ咳払いを挟んだ。


「その頃には……何と言われたんだったかな? 人を蹴落とすことに歓びを覚えるサディスト、冷徹人間、人の心がないロボット……とか、そんなところだったかな?」


 指を顎に当て視線を上に。

 何気ないことを思い出すような仕草だ。


「あまりに論理性に欠ける言葉で、詳しくは忘れてしまったよ。もう、悔しさなど微塵も覚えなかったしね」


 その表情はさっぱりとしたもので、昏い感情はやはり『見』えない。


「だから私は、魔法使いを目指すことにしたのさ」


 いつも以上に唐突に思える素子の言葉に、淳太は眉根を寄せた。


「っと、少々話が飛躍しすぎたかな?」


 今回は素子にも自覚はあったようで、片眉を上げる。


「色々とやったところ、やればやるほど周りは敵だらけになっていった。結局、最後まで味方と呼べたのは両親くらいかな?」


 素子は飄々とした笑みのまま。


「そうこうしているうちに、全てがどうでもよくなってね。学校にも行かなくなった」


 口調も、淡々したものから変わらない。


「そんな時だね。師匠と出会ったのは」


 かと思えば、ふと素子の表情に変化が生じる。


「君と私が出会った時と、少し状況は似ているかもしれないね」


 『懐かしさ』と、『愛おしさ』と……それから、『寂しさ』? 『悲しみ』?


 淳太は、そんな感情を素子の笑みから『読』んだ。

 理由まではわからない。


「とある山の奥で、私は師匠と出会った。師匠は、風を操っていた。右に左にと、自在に吹かせていたよ」


「それは……」


「何かしらのトリックかもしれないね。もしかすると、ただの白昼夢だった可能性もある。何かの偶然がたまたま重なっただけだったのかも」


 淳太の言わんとしたことを、素子はピタリと言い当ててみせた。

 あるいはそれは、当時の素子も思ったことなのかもしれない。


「それでも私は、その光景に魅せられた。そして、期待した。この光景を生み出せるようになれば、何かが変わるんじゃないかと」


 素子の笑みがまた、ほんの少しだけ変化する。


「師匠のような存在になれれば、私が抱いている感情なんて全てくだらないことだと切り捨てられるのではないかと。この世界が、もっと違う風に見えるんじゃないかと」


 皮肉げな色を帯びた笑み。


 それは、彼女自身その言葉を『心から信じてはいない』かららしい。


「私は、たまらなく魔法に憧れた」


 けれど少なくともその言葉は、『本気』であると『読』める。


「だから私は師匠に頼み込んで弟子にして貰って、魔導書を譲り受けたんだ」


 素子の視線が机の方へと向いた。

 件の魔導書を見たのだろう。


「しかしまぁ君もご存知の通り、私は一向に魔法を使えるようにはならなくてね」


 すぐに、その目は淳太の方へと向き直る。


「それから、ちょうど一年。師匠と出会って一年が経った日に、ふと馬鹿らしくなったのさ。師匠はただのマジシャンで、魔導書なんて嘘っぱちで、私はただ無意味に時間を浪費しているだけなのではないかと」


 その言葉に、淳太はまたも驚いた。


 この一ヶ月半、素子は魔法が使えるようになると微塵も疑わずに毎日毎日飽きもせず魔法陣を描き続けているように見えていたからだ。


 しかし、今の素子の表情から『読』めるのは『本心』。


「だから私はあの日、決めていたんだ。別に、大したことでもないんだけどね」


 これも、『本心』。


「あの日あそこで誰かが私を見つけてくれれば、私は魔法使いの弟子を続ける」


 『本心』。


「誰にも見つけてもらえなかったら、そのまま死ぬ」


 『本心』。


「そしたら見事、君が私を見つけてくれたというわけさ」


 『本心』。


「あぁ、そういう意味で君は私の命の恩人ということになるのか」


 『本心』。


「凄く今更だが、礼を言おう」


 『本心』。


 どこまでも本心で、素子は突拍子のないことを口にする。


 淳太は一瞬、自分の『見』立てが間違っているのかと疑った。


 ありえない、とすぐに断じる。


(そう簡単に狂ってくれるようなものなら、俺は……)


 そんな風に、内心でグルグルと思考を回して気を散らしていたから。


「私を見つけてくれて、ありがとう」


 あの日と同じ笑顔を、無防備な心でモロに受け止めてしまった。

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