第25話 自称不良の因縁

「そういやセンパイは、ここまでどうやって来たんだ?」


「どうやって、とは?」


「いや、移動手段。こんなとこ、バスも通ってねぇだろ?」


「三時間も歩けば最寄りのバス停に着くよ?」


「この荷物、一人で背負って三時間も歩いたのかよ……」


「まぁね」


「相変わらず、見た目にそぐわねぇバイタリティだな……」


「しかしそういう問いが出て来るということは、君は違う方法で来たということかな?」


「あぁ、バイクでな」


「へぇ。バイクを所持していたとは、初耳だ」


「借り物だよ」


「バイクを借りられるような知己がいるとは、ますます初耳だ」


「それに関しては、俺も驚いた」


「?」


「つーか、そういや帰りどうしような……この荷物背負ったままじゃバイク乗るのもキツいし、かといって置いてくわけにもいかねぇし……」


 そんな風に、雑談を交わしながら。

 二人は、山道の入り口まで戻ってきていた。


 鬱蒼と茂った木々の間を抜けて、ようやく明るい陽の光の下に出たところで。


「きゃっ!?」


 ズサッという音と、そんな素子の悲鳴が後ろから淳太の耳に届いた。


「大丈夫か? センパ……」


 てっきり転びでもしたのかと思って、淳太は軽く笑いながら振り返ったのだが。


「……あ?」


 そこに広がっていた光景に、身体を硬直させる。


 素子は、背後から首に腕を回され拘束されていた。

 頬には、小振りのナイフが突き付けられている。


 ニヤニヤ笑いながらそれを成しているのは、見知った顔。


「よーぅ、淳太ぁ」


 大田健児だ。


「お前、なんでここに……!?」


 淳太は、驚きと動揺で思ったことをそのまま口に出した。


「なぁに、俺のバイクにゃ盗難に備えてGPS発信機が仕掛けてあってね。お前がどこに向かったかは丸わかりだったってわけさ」


 淳太が尋ねたかった事への答えではない。

 恐らくは、わざとだろうが。


「……何が目的だ?」


 いずれにせよ、淳太は改めて尋ねた。

 素子に危険が及んでいる以上、迂闊に動くことは出来ない。


「……お前は、こういうことをやる奴じゃないと思っていたんだが」


 本心から、そう付け加える。


「はっ」


 大田は笑った。

 馬鹿にしたような笑みではない。


「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか」


 皮肉ではなく、言葉通りの『喜色』が『読』み取れる。


「ちぃと、キモいことを言うようだけどよ」


 大田が、笑みを深めた。


「たぶん、この世で一番俺のことをわかってるのはおめぇなんだと思うぜ、淳太」


 ある意味で、それはそれなりに正しい感覚なのかもしれない。

 淳太程に相手の思考を『読』める存在は、多くの者にとってそうそう身近にはいないだろう。


「キモいついでに、もう一つ言っちまうが」


 大田の視線は、淳太を射抜いたまま外れない。

 喋りながらも、隙がない。


「俺はお前を、割とリスペクトしてるところがあったんだ。憧れてた、と言ってもいい」


 むしろその言葉に、淳太の方が虚を突かれた。


「お前はいつも一人で、そんでいつも苛立ってた。誰とも群れず、なのに誰にも負けねぇ。まるで、漫画の世界の住人みてぇだ。格好よかったよ、正直言って」


 大田の表情から『読』み取れるのは、『本心』。


「だからだよ」


 何が、「だから」なのか。

 一瞬考え、遅れて淳太も気付いた。


 今の言葉が、淳太の「何が目的だ?」という問いへの答えということか。


「最近のお前はなんだ? 女が出来て腑抜けたのか?」


 ペチペチと、大田がナイフの腹で素子の頬を叩いた。


 流石の素子も顔を強張らせている。

 むしろ、悲鳴の一つも上げず顔を強張らせるだけに留めていることこそを流石と言うべきかもしれないが。


「憧れだったお前がもういないなら……今度こそは全力で、潰す」


 やはり、大田の表情は『本気』を示している。


「……話は、わかった」


 正直なところ、淳太の中では憤りよりも困惑の方が強かった。

 大田がそんな風に考えているとは思わなかったし、勝手な理想を押し付けられても困る。


「だが、センパイは関係ねぇ。離してやってくれ」


 とにもかくにも、あまり刺激しないよう静かな声で頼んだ。


「駄目だ」


 にべもなく、大田は断言する。


「もしお前が動けなくなったら、この女がどうなるか……」


 欲情を全く感じさせぬ口調ではあるが、やはり『本気』。


「わかるよな?」


 その言葉が、合図だったのか。


 周囲の木々の間から、ゾロゾロと男たちが現れた。

 予想していた展開ではあるので、さほどの驚きはない。


 尤も、その人数が三十人以上にも達していたのは少々想定外ではあったが。


 流石にこの人数差の優位を確信しているのか、彼らの態度には緊張よりも余裕の方が多く見て取れた。

 中には、素子に向けて下卑た視線を送っている者もいる。


 実際、厄介な人数だ。


 街中であれば遮蔽物を利用することで一度に対峙する人数を制限することも出来るが、この開けた場所ではそうもいかない。

 森の中に入ればそれも可能かもしれないが、森は男たちの背後だ。


「ふぅ……」


 淳太は、軽く息を吐き出した。

 和解を図る段階は、とうに過ぎているようだ。


 こうなれば、やるしかない。

 そして、勝つしかない。


 状況は最悪に近いが、シンプルではある。

 そう考えると、少しだけ気が楽になる。


 だからといって、何かが好転するわけではないが。

 差し当たり、背負っていた荷物を地面に降ろした。


「俺ぁ今まで、降りかかる火の粉を払ってただけで……喧嘩に意味なんざ見出したことは、なかったが」


 軽い足取りで男たちに近づいていきながら、軽口を叩く。


「好きな女を守る戦いってーなら、ま」


 全員を視界に収めるのは不可能だ。

 映る範囲だけで、彼らの次の行動を『視』る。


「力も湧いてくるってもんだ」


 先頭の男の、動く姿が『視』えた。


「ぜ!」


 それに合わせる形で、淳太は男の股ぐらを蹴り上げる。


「がっ……!?」


 股間を抑え、内股になって男が崩れ落ちた。

 普段であれば流石に避ける手だが、今回手加減出来る余地は微塵もない。


 何より、懸かっているのは自分の身だけではないのだ。


 手当たり次第……と見せかけてその実、計算づくで淳太は相手を各個撃破していく。

 極力囲まれないように──この人数差では完璧に避けるのは不可能だが──周囲との距離が近づきすぎないよう、離れすぎないよう、男たちの次の行動を『視』ながら立ち回る。


 こうしている間に素子に危害が加えられるのでは? という心配はしなかった。

 考えても仕方ないことであるし、何より大田がそうするとも思えなかったから。


 それは、ある種の信頼とも呼べるものだろう。

 そう考えるとなるほど、自分と大田も不思議な関係なのかもしれないと今更ながらに淳太は苦笑を浮かべそうになった。


 無論、実際に浮かべるような余裕は欠片もなかったが。


 『視』る、殴る。

 『視』る、蹴り飛ばす。

 『視』る、突き倒す。

 『視』る、避ける。


 『視』る、『視』る、『視』る、『視』る、『視』る、『視』る、『視』る、『視』る。

 『視』る『視』る『視』る『視』る『視』る『視』る『視』る『視』る『視』る。

 『視』る『視』る『視』る『視』る『視』る『視』る『視』る『視』る『視』る。

 『視』る『視』る『視』る『視』る『視』る『視』る『視』る『視』る『視』る。


 『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』

 『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』

 『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』

 『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』

 『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』

 『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』

 『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』『視』

 『視』。


「ぐっ……!?」


 突如、淳太は激しい目眩に襲われた。


 視界が揺れる。

 足元が覚束ない。


 脳が悲鳴を上げている。


 素子の思考をフル・トレースした上に、素子を受け止める場面では時の流れが遅く感じる程に回転数を上げた。

 加えてここに来ての酷使で、ついに限界を迎えようとしているようだ。


「がっ!?」


 後頭部に、強い衝撃。


 感触から察するに、太い木の枝か何かか。

 確認している余裕はない。


 頭部への被弾に、ますます思考が鈍る。

 淳太の手数が減り、逆に攻撃を受ける機会は加速度的に増えていった。


 辛うじて急所は防いでいるが、徐々に防戦一方になっていく。


「く、そがっ……!」


 小さく毒づくが、それで何かが変わるわけもない。


 淳太の戦闘能力、その中核は思考に大きく依存している。

 思考が著しく乱されている現状、淳太は少々身体を鍛えただけの素人に過ぎないのだ。


 それでも。


「淳太くん!」


 喧々囂々としたこの場で尚、ハッキリ届くその声が。


 どうにか淳太の意識を、戦いの場に留めていた。

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