第26話 魔法使いの弟子の魔法

「淳太くん! 淳太くん!」


 自身の非力をここまで嘆いた経験は、十八年と少しに及ぶ素子の人生で初めてのことであった。


「もういい! もうやめてくれ!」


 泣き叫ぶことしか出来ない自分に、絶望する。


「なぁ君! 私のことなら好きにしていい! だから、もう止めさせてくれ!」


 自分を拘束する人物に懇願した。

 勢い良く振り返った拍子にナイフが頬を傷付けたが、痛みを感じる余裕すらない。


「駄目だ」


 淳太に請われた時と同じく、大田は短い言葉で否定を返した。


「なぜだ! 君は一体何を望んでいる!? 淳太くんを甚振ることが楽しいのか!?」


 声が枯れる程に、叫ぶ。


「違う」


 対照的に、大田の声は静かなものだ。


「淳太が……アイツ自身が、一ミリたりとも諦めちゃいねぇからだ」


 彼の目は、一度も素子に向かない。


「だから、外野が止めることなんてあっちゃならねぇ」


 ただ、戦いの場をジッと見つめているのみ。


「え……?」


 思ってもみなかった言葉に、素子はほとんど無意識に大田の視線の先を追った。


「っ、だらぁ!」


 自らに向けられた太い木の枝を奪い取り、淳太が振り回しているところだった。

 最早技術も何もない、無茶苦茶な動きだ。


 しかし、だからといって当たった時の危険が軽減されるわけではない。

 慌てて男たちが身を引いて、場に空白が生まれる。


「ひ、はは……」


 頭から鼻からダラダラと血を流しながら、淳太は笑っていた。


「お集まりの、皆さんよぉ……RPGって、やったことは、あるかい……?」


 ぜぇぜぇと肩で息をしながら、そんな無駄口としか思えない言葉を紡ぐ。


「俺も、まぁ、まだ、純朴だった、少年時代に、やったことが、あんだけどよぉ……」


 普段の淳太ならば、取ることのない選択だろう。

 ハイになっているのだろうか、と素子は思った。


「魔法使いが、活躍する場面ってなぁ、どういうとこだと思う……?」


 やはり、その顔に浮かぶのは笑み。

 血のせいで、凄惨な笑みに見えるが。


「実は、俺ぁ、魔法使いの、弟子の、弟子、とかいうやつでなぁ……」


 素子は、ようやく気付いた。


「まぁ、つまりは、大別すりゃあ、俺も魔法使いってことで……」


 それが、優しい色を帯びていることに。


「だから、こういう……多数の雑魚相手ってのは」


 その笑みが、その軽口が。


「俺の、最も得意とするところだ」


 素子を、安心させるためのものであることに。


「淳太、くん……!」


 素子は、溢れ出る涙を止めることが出来なかった。


「ははっ」


 背後から笑い声が聞こえたのと同時に、ふいに素子の拘束が緩む。


「それでこそだ」


 ふらふらと、引き寄せられるように大田は足を進めていた。

 もう、素子には一切の関心を持っていない様子だ。


 その表情は、まるでヒーローに憧れる少年のよう。


「それでこそお前だよ、淳太ぁ! ははははははっ!」


 笑いながら、大田が駆け出した。


 それを合図に、再び場が喧騒に包まれる。


 フラフラになりながらも、淳太は次々襲いかかる男たちをどうにかいなしていた。

 しかし、とっくに限界を超えていることは素人目にも明らかだ。


「淳太、くん……」


 ボロボロと涙を流しながら、素子は自分に何が出来るか考えた。


 警察……間に合うわけがない。


 助けを呼びに……人が来るような所じゃない。


 加勢する……論外だ。

 足を引っ張る結果にしかならない。


「うぐ、うぅ……」


 何も出来ない。

 何も出来ることがない。


 ただ、こうして泣いていることしか出来ない。

 両親を亡くした時と同じだ。


 素子には、何もない。

 そんな自分は、今すぐにでも消え去ってしまいたかった。


「淳太、ぐん……」


 駄目だ。


 こんな自分を、迎えに来てくれた人がいるから。


 こんな自分に、いなくならないで欲しいと言ってくれた人がいるから。


 こんな自分と、共に進みたいと言ってくれた人がいたから。


 消え去るわけにはいかなかった。


 では、どうすればいいのか。


 気が付けば、素子はチョークを握っていた。

 どこから取り出したのかも思い出せない。


 滲む視界の中で、いつの間にか地面に描かれている線が僅かに見えた。

 どうやら、自分の手がチョークで線を引いているらしい。


 ちゃんと引けているのか、わからない。

 そもそも、ちゃんと描けていたところで何だというのか。


 魔法。

 馬鹿馬鹿しい。


 そんなものに縋ったから、こんな状況に陥っている。

 そんなものに縋ったから、彼と出会ってしまった。


 そんなものに縋ったから、彼を危険に晒してしまった。


 その上で、こんな時に、それでも尚そんなものに縋るなんて。

 馬鹿馬鹿しいにも程がある。


 自分でもそう思う。

 けれど、素子にはもう他に縋るものがなかった。


 かつてない程に、素子は魔法を必要としていた。

 両親を亡くしたその日に、最後の逃避先として見出したあの時以上に。


 今この瞬間にそれが使えるならば、二度と使えなくたって構わない。

 命を代償にしたっていい。


 彼の記憶から自分のことを消してくれるなら、という条件付きだけれど。

 でなければ、優しい彼は一生自身を責め続けてしまうだろうから。


 ――そんじゃあ、俺をスーパーマンみたいにする魔法を使ってくれよ


 かつて、彼はそんなことを口にした。

 どんな魔法を見てみたいかという自分の問いに、そんな答えを返した。


 ――拳で岩を砕き、ひとっ飛びでどこまで行けちまうような、さ


 嗚呼。

 彼のことをよりよく知った今ならば、わかる。


 それもきっと、彼の優しさだったのだろう。

 あの時の彼は、もっと破滅的な願いを口にしたかったに違いない。


 でも、魔法は素子が大切にしているものだったから。

 だから、そんな優しい願いを素子に送った。


 ならば。

 だからこそ。


 叶えたい。


 彼の優しさに答えたい。

 彼を助けたい。


 想いが、勝手に手を動かした。


 自分でも、何を描いているかなどわからない。

 そもそも、涙が溢れすぎてもう目の前なんてほとんど見えていない。


 けれど。


 完成した。


 なぜか、そんな確信が胸に去来した。


「淳太ぐん……!」


 地面に、手を当てる。

 なぜそうしたのかはわからない。


 そうしなければならないと、直感的に思った。


「負けないでぇ……!」


 目の前が、一瞬明るくなった……ような、気がした。



   ◆   ◆   ◆



「負けないでぇ……!」


 淳太の耳に、そんな言葉が飛び込んでくる。


(負けないで、か……)


 苦笑を浮かべたくなる。

 浮かべる余裕は、もちろんない。


 尤も、仮に余裕があったとしてもそれが可能だったかは疑問だが。

 既に顔の形は随分と変わっているだろうし、口元をちゃんと動かせるのかも不明だ。


(ったく……随分と無茶を言ってくれるもんだ)


 けれど。


(けど、まぁ)


 淳太は。


(『師匠』に、そう言われたんじゃ)


 身体に。


(『弟子』としちゃあ)


 力が。


(応えないわけにゃ、いかねぇよなぁ……!)


 漲ってきたのを、感じた。


「はっ……!」


 笑った。


 笑えた。


 どうやら、表情筋はまだ無事だったようだ。


 どういうわけだか、痛みも引いてきているように感じる。

 いい加減、神経が焼き切れたのだろうか。


「ははっ……!」


 笑いながら、淳太は周囲を『視』る。


 いつになく視界がクリアだった。

 脳が、いつの間にか回転数を上げている。


 いつも通り。


 いつもより、随分と速く。


 いつもとは、比べ物にならないくらいに。


 回転数を上げていく。

 痛みなんて、もう欠片もない。


 未来が全て『視』えた。


 そして現実が、『視』えた光景をなぞっていく。

 それも、とんでもなくスローな速度で。


 自分がどう動けばいいのか、そのお手本だって『視』える。

 あとは、それに沿って動けばいい。


 とてもとても、楽な作業だ。


(なんだこりゃ、本当に魔法にでもかかったのか?)


 かつてない万能感に、そんな思いを抱く。


 あるいは、ロウソクの炎が燃え尽きる時のように。

 脳が、最後の力を絞り出しているだけなのかもしれないが。


 どちらでも良かった。


(いや……)


 生憎、スーパーマンには程遠い。


(どっちでもいいなら)


 拳で岩なんて、砕けないだろう。


(これは)


 跳んだところで、いつもより少しだけ高いところに到達出来るだけでしかない。


(センパイの)


 それでも。


(魔法だ)


 荒井淳太にとって、それは清川素子が初めて使った魔法に他ならなかった。


 『ただの魔法使いの弟子』が、『魔法使い』になった瞬間に他ならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る