第20話 魔法使いの弟子と休暇
「お前、破門」
その言葉は、実に唐突に告げられた。
時は夕刻。
場所は何の変哲もない一般道。
淳太と素子は、本日水族館に行ってきた帰りだった。
角を曲がったところで、師匠は当たり前のようにそこにいた。
そして、当たり前のように言い放ったのだ。
「……は、え?」
数体のぬいぐるみ(全て目付きが悪い)が詰まった、水族館の名前が印字されたビニール袋を手に。
素子は、幾度も目を瞬かせる。
わけがわからない、という表情である。
しかし師匠は、これ以上の説明は不要とばかりに無言で踵を返してそのままスタスタと歩き始めてしまった。
「し、師匠! 待ってください!」
慌てた表情で素子は駆けて、師匠の前に回り込む。
「せめて、り、理由を……!」
動揺を全く隠せぬまま、懸命に言葉を紡いでいる様子だ。
「そんなものは、お前が一番わかっているだろう?」
足を止めないまま、師匠は素子に歩み寄ってその肩に手を置いた。
「たとえ、名ばかりだとしても……私が自分の弟子を名乗らせるのは、魔法に真摯である奴だけさ」
心当たりがあるのだろう。
素子が顔を強張らせる。
実のところ。
淳太にも、思い当たる節はあった。
きっかけは、例の『勉強会』の辺りだったろうか。
以来、素子が魔法の練習に費やす時間は明らかに少なくなっている。
代わりに、今日のように普通に淳太と遊ぶことが多くなった。
時折「魔法の練習はいいのか?」と尋ねてみれば、「なに、今更焦ったところで何も変わるまいさ」という回答が返ってくる。
「それ、は……」
素子の声は掠れていた。
「なに、別に責めているわけじゃない」
言いながら、師匠は素子の横を通り過ぎる。
「むしろ、良かったと思っているよ。お前に、魔法以外のものが見つかったのなら」
淳太に背を向ける形であり、その顔は見えない。
尤も、見えたところで彼女の表情から何か『読』み取れる気は一切しなかったが。
「願わくば、今度こそは……いや」
一瞬立ち止まって、師匠は軽く首を横に振る。
「『元』弟子に対して、そこまで踏み込むのは流石にお節介が過ぎるか」
一瞬だけ垣間見えた横顔には、僅かな苦笑が浮かんでいた。
「魔導書は、くれてやったもんだ。好きにするといい。魔法使いを目指すのを止めろとも言わない。全ては、お前の自由だ」
師匠が、歩みを再開させる。
「案外、その坊主と一緒の方が魔法の深淵に近づけるかもしれないぞ?」
最後にどこかイタズラっぽい響きを伴った言葉を残して、それっきり振り返ることもなく師匠は去っていった。
「……センパイ」
肩にそっと手を置くと、素子がビクッと身体を震わせる。
「大丈夫か?」
「……あぁ、うん」
小さく頷いた後、素子が真っ青な顔で見上げてきた。
「大丈夫さ、問題ない」
淳太を見つめているうちに、その顔に赤みが戻ってきた。
「私には、君がいるのだからね」
浮かんできた蕩けるような笑みが、淳太の胸を高鳴らせる。
けれど、なぜだろう。
同時に、そこに、やけに。
寒気を伴うような、危険を感じ取ってしまったのは。
◆ ◆ ◆
その、翌朝。
「やぁ淳太くん」
玄関を開けたところに、素子が立っていた。
淳太は、驚きが表情に乗るのを止められなかった。
「今日は、プールにでも行こうじゃないか」
その言葉に対して驚いたわけではない。
素子の唐突な提案は、今に始まったことではないのだ。
淳太が驚いたのは、彼女の服装についてだ。
カーキ色のノースリーブシャツに、同じ色合いのロングカーディアンを重ねた格好。
ボトムスはボリュームのあるガウチョパンツで、こちらは白だ。
やや踵の高いサンダルが、いつもより少しだけ二人の身長差を縮めている。
例えば露出度という点では、いつもの芋ジャージとそこまで変わるわけではない。
しかし印象は段違いであり、その姿は妙に淳太をドギマギさせた。
「あー……おぅ」
軽く目を逸らしながら、曖昧に頷く。
「何か、変かな?」
視界の端で、素子が自身の身体を見下ろすのが見えた。
「いや、別に……」
ガリガリと頭を掻いた後、淳太は視線を正面に戻す。
「つーか俺、水着持ってねーんだけど」
そして、今更ながらに最初の誘いに対する返答を口にした。
「そうかい。なら、今日はそれを買いに行こう」
言って、素子は踵を返して歩き出す。
素早く、淳太の手を取って。
「あー……おぅ」
先程と全く同じ声を上げながら、淳太は間の抜けた面で引かれるがままについていくことしか出来なかった。
◆ ◆ ◆
それから二人は、デパートに繰り出して。
「ほら淳太くん、どっちが似合うと思う?」
「なんでセンパイの水着を買う流れになってんだよ……」
「君が、あまりにさっさと決めてしまうからさ。せっかく来たのに、それでは風情がないだろう?」
「水着買うのにどんな風情が必要なんだ……」
「そこはほら、夏といえば女の子の水着を選ぶというのが定番イベントだしね?」
「どこの世界の定番なんだそれは」
「主にラブコメ的な方面の世界かな?」
「そんな緩そうな世界に生まれ落ちた覚えはねぇよ」
「確かに君の場合、女の子の秘めたる思いにすぐ気付いてしまってラブやらコメやらが成立しなさそうだね」
「だろうな」
「で、どっちの水着がいいと思う?」
「その話、終わってなかったのか……」
「無論、君の返答を聞くまでは終わらないよ」
「どっちでも、センパイの好きな方を選べよ」
「それじゃ意味がない。君の好みが知りたいのだからね」
「……じゃあ、そっちの露出少ない方で」
「おや、君は私のセクシーな姿より可愛い姿の方が見たいということだね?」
「ハッ、セクシー」
「おっ。君、今本気で馬鹿にしたね?」
◆ ◆ ◆
翌日には買ったばかりの水着を手に、近くのレジャープールへと出かけた。
「ほら、淳太くん。見てみるがいい、この私のセクシーさを」
「結局俺の選択が反映されてねーっつーか、選ばせたどっちでもねーじゃねぇか……」
「なに、あれよりもっとセクシーな姿が見たいという素直な気持ちを表現出来ない君の本音に応えようと思ってね」
「勝手に人の本音とやらを捏造しないでくれ」
「実際、どうだい。周囲の男性の目は私に釘付けだろう?」
「まーな……」
「君も、遠慮なく褒めてくれていいんだよ?」
「うーん……」
「……君。気を使うなら使う、使わないなら使わないでハッキリしてくれないかい? なんだか恥ずかしくなってくるじゃないか」
「恥ずかしがるポイントはそこなのか……」
「さぁ、切るなら切るでズバッとやってしまってくれたまえ」
「いや、セクシーかはともかくとして普通に綺麗だと思うぜ? 均整が取れてて、芸術的だとすら思う」
「お、おぅ……君、真顔で結構恥ずかしいこと言うね……」
「恥ずかしい言うなや」
「ちょ、あまり見ないでくれたまえ。なんだかとても照れくさくなってきた」
「どうするのが正解だったんだこれ……」
◆ ◆ ◆
別の日には、大きな夏祭りに参加する。
「ほら淳太くん、浴衣だよ浴衣。どうだい、今度こそセクシーだろう?」
「センパイのそのセクシー推しはなんなんだ……無いものを推すなよ」
「無いとは失礼な。ほら、うなじ。セクシーじゃないかい?」
「そういうのは、自分から見せるもんじゃないだろ」
「なるほど、チラリズムが重要というわけだね。参考になるよ」
「言ってねぇ……」
「ところで、淳太くんはお祭りの屋台だと何が好きなんだい?」
「さてな。祭りに参加するのも初めてだから、なんとも」
「そうなのかい? 珍しいね?」
「一人で来るようなもんでもねぇだろ」
「……なるほど、そうかもね」
「変な気遣いはいらんぜ?」
「ふっ、わかっているさ。いやー、にしても人が多いね。淳太くん、はぐれないでくれたまえよ?」
「こっちのセリフ過ぎるんだが」
「はは、確かに淳太くんはこの中でも見つけやすそうだ」
「センパイは埋もれて見えなくなりそうだな」
「そうだね。だから、この手をしっかり捕まえていてくれたまえ」
「……あぁ」
◆ ◆ ◆
また別の日には、夜中の学校に忍び込んでみたり。
「……ねぇ、淳太くん」
「なんだよ」
「これって、何が楽しいんだろうね?」
「誘った奴のセリフとは思えねぇな……」
「ははっ。もう少し盛り上がるかと思ったのだけどね、肝試し」
「心霊スポットでも何でもない、ただの学校だしな……」
「淳太くんは、心霊現象の類は信じない方かい?」
「自分の目で見ないうちはな」
「なるほど、君らしい」
「そういうセンパイはどうなんだ?」
「そうだね……幽霊に会えたらいいな、と思うことはないでもないね」
「……? そりゃ、どういう……」
「あっ」
「……今度は何だ?」
「きゃー、こわいー」
「……せめて、その棒読みは何とかならなかったのか?」
「演技は少々苦手でね」
「つーか、何だ今のは」
「君もやはり、こういう場面で悲鳴を上げる可愛げのある女の子が好きかと思ってね」
「……少なくとも、センパイにそんな可愛げは求めてねぇよ」
「そうかい」
「あぁ」
◆ ◆ ◆
ある時には、雑木林に足を運んだことも。
「おっ、集まってる集まってる。よーし淳太くん、肩車をしてくれたまえ!」
「……マジで?」
「ん? 流石に、君が上になるというのは無理があると思うのだけれど」
「いや、そういう問題じゃなくてだな……」
「今日はスカートじゃないし、問題ないだろう? あ、それとも君的にはスカートじゃないことが問題なのかい?」
「そういう問題でもねぇよ」
「なら、どういう問題だと?」
「そもそもの話、なんでこんなところで肩車するだのしないだのの話をすることになってんだってのが最大の問題なんだが」
「そりゃあ君、昨夜のうちに仕掛けておいたトラップにカブトムシやらクワガタやらが群がっているからだろう?」
「実に正論なんだが、それ以前にどうしてこんなことやってんだって話でな」
「はは、なかなかに今更なことを言うね。昆虫採集に行こうと誘った私に、君も同意したじゃないか」
「なんで同意しちゃったんだろうな、昨日の俺……」
「君、悪い女に騙されたりしないでくれたまえよ?」
「だから、誘った本人が言うなよそれ……」
「なぁに、数少ない高校生の夏休みだ。こうして、夏休みらしいことをしてもバチは当たるまいまいさ」
「これ、高校生の夏休みらしいことって観点で合ってんのか……?」
◆ ◆ ◆
ひまわり畑を目指し、数時間かけて自転車を漕いだこともあった。
「やー、壮観だね」
「なんか、労力と見合ってない気がするんだが……」
「疲労度抜群だね、淳太くん」
「肉体的なもん以上に、精神的なもんがな……」
「そんな淳太くんに、ご褒美だ。ほら」
「……? 何がだ?」
「いやいや、よく見てくれたまえよ」
「無茶苦茶見てるわ」
「ひまわり畑で、白いワンピースに麦わら帽子の美少女だよ? 垂涎モノのシチュエーションだろう?」
「あぁ、そういう……」
「感動が薄いねぇ、淳太くん」
「そのためだけにわざわざそんな自転車に乗りづらい格好してたのか、って点についてはある意味感動している」
「そうだ、せっかくなので写真を撮ろうじゃないか」
「カメラまで持ってきてんのか……」
「ところでこれ、セルフタイマーの使い方ってわかるかい?」
「それはわかるけど、そもそもカメラ置くような場所がなくないか? 三脚なんかも持ってないだろ?」
「なるほど、これは盲点だったね」
「死角でかすぎだろ……」
「まぁいいや。ほら淳太くん、顔を寄せて? 手を伸ばして撮ろう」
「これ、背景ほとんど映らなくねーか……?」
「なに、大した問題ではあるまいよ」
「……まぁ、センパイがいいならそれでいいけどよ」
パシャリ。
満面の笑みを浮かべる素子と、苦笑気味の淳太を写した風景が切り取られた。
後ろには、ひまわりの茎だけが何本か写っていた。
◆ ◆ ◆
そんな風に。
淳太と素子は、一日も欠かすことなく一ヶ月近くの時を毎日共に過ごした。
その間、素子が魔法陣を描くことはついぞ一度もなかった。
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