第28話 魔法使いの弟子の弟子

 扉を開けた瞬間に、その光景が目に入った。


 少女だ。

 背を向けており、淳太からはその小柄な後ろ姿しか見えない。


 少女が、その右手を肩の高さまで上げた。

 すると、その瞬間に風が吹く。


 あまりに懐かしい光景に、淳太は思わず立ち止まった。


 記憶の中の後ろ姿と、目の前の背中とが重なる。

 場所は同じ、私立郡原こおりはら高校の屋上。


 異なるのは、あの時は暑苦しさを感じる昼下がりだったのが、今は少し肌寒い夕暮れ時ということ。

 伴って、自分も彼女もブレザーの上着を羽織っているという点か。


 それから。


「やぁ、淳太くん」


「よう、センパイ」


 振り返った彼女と交わし合う、お互いの視線に宿る親愛が最大の相違点かもしれない。


「どうだい、学校は。上手くいっているかい?」


 隣に並んだ淳太に、素子はそんな風に尋ねてくる。


「会話の取っ掛かりが見つからない親かよ」


 淳太は軽く笑った。


 淳太と素子が毎日登校するようになって、既に一ヶ月近い時が流れている。


「ま、それなりだ」


 淳太の笑みが、やや苦笑気味に変化した。


「まだ、大半の奴にはビビられてるけどな」


 クラスメイトからの視線を思い出してのことである。


「そりゃあ君、やはり復帰初日の印象が良くなかったからだろう。だから、ちゃんと怪我が治ってからにした方がいいと言ったのに」


 二人が復帰したのは、一連のゴタゴタがあった日の翌日だった。


 淳太からすれば掠り傷程度ではあったわけだが、至る所に残った怪我は「喧嘩してきました」と喧伝するようなものではあったかもしれない。

 それが、余計にクラスメイトとの溝を深めたことは間違いないだろう。


 それでも。


「……センパイだけを、先に行かせるわけにゃいかねーだろ」


 素子の忠告を退け、淳太がその日での復帰を強行した理由はそれである。


 素子が、フッと笑みを深めた。


「そんな風に言われてしまうと、何も言えなくなってしまうじゃないか」


 『嬉しさ』に、少しの『照れ』がブレンドされた笑みだ。


「それに今はもう、前に比べりゃ随分とマシになったしな」


 淳太はそう付け加える。


 実際、クラスメイトとの会話もほんの少しずつではあるが増えてきた。


 淳太が、極力表情を柔らかく――あくまで以前に比べれば――保とうとしているというのもあるだろうが。


 きっかけは、隣の席の命知らず(クラスメイトから実際そう呼ばれている男子生徒だ)が授業でわからなかった点を淳太に質問してきたことだった。

 懇切丁寧に説明してやった結果きっちり理解できたようで、満足げに頭を下げた彼はそれからも度々質問してくるようになった。


 そんな姿を見て、「少なくとも見境なしに襲ってくる猛獣ではない」程度の共通理解はクラス内に生まれたらしい。

 他にも質問してくる者が幾人か増え、今ではそれなりに雑談も交わすようになっている。


「結局これも、俺が勝手に諦めちまってただけなんだろうな」


 以前の淳太であれば、質問されたところで冷たくあしらっただけだろう。

 それ以前に、明らかに話しかけられるような雰囲気を纏ってはいなかった。


 それで勝手に孤独を気取っていたのだから、笑える話だ。


「それで、センパイの方はどうなんだ?」


 苦笑を深めた後に、今度は淳太が尋ね返す。


「はは、見事に腫れ物扱いさ」


 言葉の内容とは裏腹に、素子の表情は朗らかなものだ。


「けどまぁ、元々全員が加担していたというわけでもなかったからね。こちらも、それなりさ。『彼氏』のおかげで、手を出してくる輩もいないしね」


「そうか」


 表情には出さないが、淳太は内心でホッとした気持ちを抱いた。

 場合によっては、彼女のクラスメイトと『お話』することも辞さない覚悟だったのである。


「ふふ、君の方がよっぽど親のようじゃないか。それも割と過保護な部類の、ね」


 結局、素子にはその内心も見抜かれたようだが。


 淳太は、口を「へ」の字に曲げて頬を掻いた。


「さて。この後ちょっと魔法練習、どうだい?」


 クイ、と杯を傾けるジェスチャーと共に素子が誘う。


「なんで、一杯どうだい? の動きなんだよ……」


 軽く笑った後、淳太はもっともらしい顔を形作って頭を下げた。


「仰せのままに、マイ・マスター」


 右手を腹に添えての、なんちゃって欧州式である。


「うむ。良きに計らえ、我が弟子よ」


 こちらもしかつめらしい顔つきを作って、素子が鷹揚に頷く。


 しばらくその体勢で両者止まった後、どちらともなく相好を崩した。


「さーて、今日こそは魔法を使えるようになるかなー?」


 大きく伸びをしながら、素子が気楽げな口調と共に踵を返す。


 あの日以来、素子の魔法が成功したことは一度もなかった。

 そもそも、あの日のあれが魔法だったのかさえ定かではない。


 淳太も素子も、あの時は必死でほとんど状況を把握出来ていなかったのだ。

 淳太の火事場の馬鹿力が発揮されただけかもしれないし、怪我だって実は元々大したことがなかったのかもしれない。


 素子は未だ、魔法を使えない『ただの魔法使いの弟子』のままなのかもしれない。


 けれど、素子はそれを悲観していない。


 もちろん、淳太も。


「さて、どうだろうな」


 軽く肩をすくめて、淳太は素子に続いた。


「そういえば」


 ふと、素子が疑問の目で見上げてくる。


「淳太くんはいつも見ているだけだけど、君自身の魔法の練習はしないのかい?」


「いいよ、俺は」


 淳太は、首を横に振って答えた。


「別に、魔法使いになりたいわけじゃないから」


 後になって考えれば、あの時なぜあんなことを言ってしまったのかわからない。

 人間、そんなことを口走ってしまうこともある。


 結局淳太は、今以て。

 素子と出会った屋上で、自分がなぜあんな言葉を口にしたのかわかっていない。


 けれどもし、何かの拍子にあの時に戻ることがあったとしても。

 間違いなく同じ言葉をもう一度紡ぐであろうと、確信出来る。


 何度でも、彼女の関係を始めるために。


 今のは、魔法なのか? と。


 自身が口にしたその問いへの答えも、今は持っている。


「魔法使いの弟子の弟子でいられれば、それでいい」


 あの出会いも、間違いなく一つの魔法であったのだと。






―――――――――――――――――――――

本作、これにて完結です。

最後まで読んでいただきました皆様、誠にありがとうございました。


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魔法使いの弟子の弟子 はむばね @hamubane

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