第4話 魔法使いの弟子の師匠
「さて」
事前の言葉通り、五分程歩いたところにあった公園に入ったところで素子は足を止めた。
遊具もろくに無い、小さな公園だ。
平日の朝方ということもあってか、他の利用者は一人もいない。
「では、魔法の練習に入ろうか」
「待て待て待て待て」
開口一番そう言った素子に、淳太は手を突き出した。
「弟子になるつもりはないって言ったろ」
「あぁ、もちろん心得ているとも」
したり顔で頷いて、素子は手にしていたコンビニ袋の口を開けた。
そこから取り出したのは、白のチョークと……分厚い、ハードカバーの本だ。
表紙には、よくわからない文字と文様が描かれていた。
「だからこれは、単なる私の練習だよ」
と、素子は本を顔の横にまで持ち上げる。
「……何某かを教えることで、なし崩し的に俺を弟子とやらにしようって意図はないってことだな?」
淳太は、胡乱な目を素子の顔とその横の本へと走らせた。
「君も、もう知っているだろう? 私は、魔法を使えないんだ」
淳太の視線を、素子は愉快そうに受け止める。
「そもそも自身が使えないのに、君に教えられるわけもない」
「だったら、昨日の弟子云々のくだりは何だったんだよ……」
なんとなく脱力する淳太であった。
「私は、それしか他者との結びつきを知らないからね」
素子の言葉は、微笑みを湛えたままである。
「……はい?」
言葉の意味がわからず、しかしどことなく気になる響きを帯びていた気がして、淳太は眉根を寄せる。
淳太の疑問を、やはり表情を変えぬまま受け止めて。
「時間は有限だ。そろそろ始めようか」
けれど今度は答えることもなく、素子は手にした本を開いて目を落とした。
「これは、明治の頃に日本に持ち込まれたという由緒ある魔導書でね。私の教科書でもあるんだ」
淳太の質問を封じるかのように、間を置かずそう続ける。
「おっと、見せてはあげないよ? 君はまだ、私の弟子ではないのだからね」
それからイタズラっぽく笑って、本……魔導書(?)を隠す形で身体を捻った。
「……別に、頼まれたって見ねぇよ。まだ、っつーか予定もねーしな」
答えて、淳太は口を「へ」の字に曲げる。
その不機嫌さは、今の言葉に対してなのか、はぐらかされたことに対してなのか。
淳太自身もよくわからなかった。
「今日は……そうだなぁ。これにしようか」
魔導書(?)をペラペラと捲っていた素子が、その手を止める。
そして、腰を屈めてチョークで地面に白い線を描き始めた。
「魔法はね、魔法陣を正確に描くことで発動するようなんだ」
頼んでもいないのにそう説明しながら、チョークを走らせる。
「それが、まず始まり。いずれは魔法陣を省略出来るようになり、熟練の魔法使いともなれば念じるだけで魔法を使うことも出来るそうだよ」
その手付きは慣れたもので、話しながらでも淀みない。
「……なぁ」
それをぼんやりと眺めていた淳太が、ふと口を開いた。
「センパイは、どこまで本気なんだ?」
本気で、そんなことを言っているのか。
本気で、魔法使いになんてなれると思っているのか。
本気で、魔法なんてものが存在すると信じているのか。
本気で……淳太を、必要としているというのか。
幾重もの意味を込めた問いかけだ。
「どこまでも」
しかし、素子の答えは簡潔なものだった。
「どこまでも本気さ」
手を止めて、素子が顔を上げた。
腰を屈めた状態で、淳太を見上げる。
淳太は、その微笑をじっと見つめ……すぐに、やめた。
何かを判断するには、今はまだ『情報』が不足しすぎている。
「そうかよ」
だから、短くそう返すだけに留めた。
「そうなのさ」
それだけ言って、素子もまた顔を俯け手を動かし始める。
「………………ところで」
そこでふと、淳太は別の疑問に思い当たった。
「結局俺は、なんでここに連れてこられたんだ?」
その点について、未だ説明を受けていないことに気付いたのである。
「そうだね……君と共に魔法の深淵の縁を覗いてみたかった、というところかな?」
顔も上げぬまま素子が答える。
「……つまり?」
「これ、結構手間がかかってね。書いている間、割と暇なんだよ」
問いを重ねると、あっさりと口を割った。
「暇つぶしの相手かよ……」
一瞬天を仰いだ後、淳太は大きく溜息を吐く。
「……お手本があんのに、センパイは魔法が使えねーのか?」
けれど結局、そう話を続けた。
理由はともあれ、だ。
付き合うと決めた以上、淳太の中で素子を置いてこの場を去るという選択肢は既にない。
となれば、黙って素子が手を動かすのを見ているだけなど、それこそ暇すぎる。
「お手本、というわけではないよ。魔導書に書いてあるのは基礎理論だけさ。読んだ者が、それを基に魔法陣に起こす必要があるんだ」
「ふーん? めんどいんだな?」
「丸写しするだけで出来てしまっては、流石に簡単すぎる。魔法というのは、危険なものだからね。ちゃんとそれを認識し、考える力の者でなければ扱ってはならないのさ」
「だったら、くっちゃべりながら描いてる場合じゃないんじゃねーのか? ちゃんと考えながら描けよ」
「魔法陣の構築自体は、家で終わらせているからね。後は実際に書いてみるだけなのさ」
「ほーん?」
一応会話を交わしてはいるが、淳太としては大して興味のある話でもない。
あくびを噛み殺しながらの返事であった。
「つーかセンパイは、その魔導書とやらをどこで手に入れたんだ? 古本屋かどっかで見つけたのか?」
あるいは、どこかの詐欺師にでも売りつけられたか。
適当に思いついたことを口にしながら、淳太は素子が手にする本を観察した。
日に焼け所々が擦り切れた、一見古びた洋書であるように見える。
しかしだからといってその本自体が年代物であるとも限らないし、ましてそれが魔導書である証左とは全くならない。
出会ってから実質数時間も経ってはいないが、淳太は素子のことを頭の悪い少女であるとは考えていなかった。
むしろ言葉の選び方、表情の作り方、些細な点に至るまでに作為めいたものを感じている。
そんな彼女が、如何にして騙されるに至ったのか。
魔導書(?)自体には微塵も興味ないが、その点については少々気になった。
なお言うまでもないことではあるが、それが本物の魔導書であるという可能性については考慮に値しないと考えている。
「これは、私が師匠から受け継いだものなんだ」
素子の声のトーンが、僅かに上がった。
下を向いたままではあるが、笑みも深まっている。
それは、紛い物でない本物の歓喜が形作ったものであるように見えた。
「センパイに、師匠がいんのか」
意外に思って、淳太はそう口に出す。
「私は、魔法使いの弟子なのだよ? 師がいなければ成り立つまいよ」
「まぁ、そらそうなんだけどさ」
魔法使いの弟子、というのは素子が語感だけで使っている自称なのだと勝手に思い込んでいた淳太であった。
なんとなく、彼女が誰かを師と仰ぐ姿が想像出来なかったからかもしれない。
「なら、俺も一度挨拶してみてーもんだな」
無論、素子に妙なことを吹き込んだことに対して文句を言うために。
「ほぅ、いい心がけだね淳太くん」
淳太としてはただの皮肉のつもりだったのだが、思いがけず素子が食いついた。
手を止め、すっかり顔も上げている。
「なるほど確かに、私の弟子候補が見つかったという報告も必要だ」
「いや、その捏造報告は必要ないが……」
なぜかノリノリな素子に、むしろ淳太の方は引き気味となった。
とはいえ、文句を言うという案が実現するならば悪くもない。
「それで、その師匠ってのはどこに住んでるんだ?」
そう思って、淳太は問いかけた。
「さぁ?」
しかし、素子は首を傾けて肩をすくめるのみ。
特段、誤魔化している感じもなかった。
「じゃあ、連絡先は?」
「さぁ?」
続く問いにも、同じ反応。
「それも知らねぇのか?」
「別段、知る必要がないからね」
「向こうから一方的に来る関係ってことか?」
ますます怪しさを感じ、淳太は内心で警戒心を高めた。
「いや、そういうわけでもない。呼べば来てくれるよ」
しかし、素子の言葉に今度は混乱が高まる。
「けど、住んでるとこも連絡先も知らないんだろ?」
「それでも……ふむ、百聞は一見にしかずか」
言葉の途中で、素子は一人納得顔となって頷いた。
「師匠ー。すみませんが、少し顔を出していただけないでしょうかー?」
そして、宙に向かってそんな風に呼びかける。
「んな、猫や鳥を相手にしてんじゃねーんだからよ……」
呆れ気味に言ってから、その可能性もなくはないかと思い至った。
猫や鳥を相手に「師匠」と話し掛けている素子であれば、むしろ人と話している姿よりも想像しやすいような気すらする。
そう、淳太が納得しかけた時であった。
「やれやれ。そう気軽に呼び出されても困るんだがねぇ」
「うぉ!?」
すぐ後ろからゾクリと背を震わせるような声が聞こえて、淳太は反射的に横合いへと跳んだ。
(いつの間に!?)
身を隠す所も大して存在しない、小さな公園である。
素子と会話を交わしていたとはいえ、接近してくる人物に気付かないとは考えづらかった。
(何モンだ!?)
身構えながら、振り返る。
そこにいたのは、長身の女性であった。
第一印象は、黒。
腰辺りまで伸びるウェーブがかった髪も、長い睫毛も、切れ長の目の中央に位置する瞳も、全て黒い。
それだけならば、多くの日本人に共通するパーツではあるのだが。
どうにも彼女の場合は、闇が溶け出してきたかのような濃い黒に見えるのだ。
更に、その豊満な肉体を包む衣服もまた全て黒でコーディネートされていた。
その要素だけを切り出せば、実に『魔女』らしいといえばそうなのだが……彼女に対してその印象を持つ者が存在するのかは、かなり微妙なところだろう。
なにせ、ジャージである。
コーディネートというか、上下真っ黒なジャージを着ているだけであった。
それと、黒のスニーカー。
(センパイの服装は師匠譲りなのか……?)
まず考えることがそれかと、淳太は自身に苦笑しかける。
「いや、この子が勝手に私の真似をしているだけさ」
「っ!?」
しかし心中の言葉へ返答したかのような言葉に、思いがけずギョッと顔を引き攣らせることとなった。
(落ち着け……この二人を見りゃあ、誰でも思いつくことだ……)
深めに呼吸して、気持ちを落ち着ける。
そうして、淳太は改めて女性のことを観察した。
年の頃は、二十代前半くらいだろうか。
十人に聞けば、十人が美人であると答えるだろう顔立ちだ。
その肌は、病的までに白い。
ほとんど白と黒だけで構成される全身の中、そこだけ血のように真っ赤な唇が不気味に浮き出ているように見える。
その唇が、ニィと笑みを形作った。
「ほーう……?」
漆黒の瞳が真っ直ぐに射抜くのは、淳太である。
ゾワゾワと肌が粟立つのを、止めることが出来なかった。
「淳太くん、これが私の師匠さ」
そんな淳太の様子を知ってか知らずか、素子は誇らしげに胸を張って女性……師匠を手で指し示す。
「初めまして、荒井淳太クン」
「あ、ども……」
優雅に頭を下げた師匠に、淳太も反射的に頭を下げ返した。
(あれ……? 今、俺の名字……?)
遅れて、その事に気付いたが。
(センパイに聞いてただけか)
すぐに、そう結論づけた。
「そういうわけではないのだがね」
「っ」
またも心の中を読まれたような言葉に、再び淳太の呼吸が跳ねる。
「ま、しかしまずはそれよりも」
と、師匠が淳太から視線を外した。
ホッとした息が出かけたのを、淳太はどうにかこらえた。
「相変わらず成長しない弟子だねぇ……」
師匠が目を向けるのは、素子が描いていた魔法陣だ。
まだ半分も描き終わっていないように見えた。
「恐縮です……」
素子が、申し訳なさそうに頭を下げる。
「とりあえずその魔法陣、全く同じもんを今日中に百回描きな」
「ひゃ、百回ですか!?」
素子の驚いた顔というのを、淳太は初めて見た。
「し、しかし師匠。一回試して駄目だったなら、同じものを何度描いても結果は変わらないのでは……?」
「んなこと言ってるようだから、アンタの魔法は発動しねぇのさぁ」
肩をすくめて、師匠が睥睨する。
「いいからやりな。私の弟子でいたいならね」
「は、はい!」
ピシャリと言い放った師匠に、素子は背筋を正して返答した。
そして、すぐにチョークを手に魔法陣を描く作業に取り掛かる。
「さて、ここにいちゃあ弟子の邪魔になる。場所を移動しようか」
師匠は、歩き出しながら淳太の肩にポンと手を置いた。
軽く触れられているだけなのに、決して離れることが出来ないような印象を持ってしまったのはなぜだろう。
「いや、けど……」
淳太はチラリと素子の方に目を向ける。
「行ってくれたまえ、淳太くん。私から引っ張ってきておいて、申し訳ないのだけれど」
「あぁ、まぁ、それはいいんだが……」
淳太としては、この場を去ること自体に異論はない。
むしろ願ったりかなったりだ。
が、しかし。
「では行こうか、淳太クン」
(なんで、この女と一緒に行く流れになってんだよ!?)
心の中でそう叫びつつも、なぜか抗えず淳太は師匠と共に公園を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます