第5話 自称不良と師匠
「……で」
『師匠』と呼ばれる女性と共に連れ立って公園を出て、しばらく。
その間ずっと続いていた沈黙を、淳太は意を決して破った。
「俺に、何か用なんスか?」
同じ高さにある目を睨みつけながら、尋ねる。
女性と話す際に視線を下げる必要がないというのは、淳太にとって久方ぶりの経験であった。
彼女の一挙一動を見逃すまいと、『記録』する。
そして、気付いた。
「なに、キミに少し興味が沸いただけさ」
彼女もまた、淳太とよく似た目でこちらを『観察』してきているということに。
「観測者……予知……いや、読心……? おやおや、まさか君も……」
ゾワリ。
全身の毛穴が開き、冷や汗が溢れ出た。
「あぁ、違うな。自分の脳だけでやっているのか」
まるで、身体の内側に直接触れられているような感覚。
「はは、面白い」
いつの間にか、欠片も自身の身体を動かせなくなっていた。
そんな淳太を、『師匠』は無遠慮に眺め回す。
「下手な魔法使いよりもずっと魔法使いだぞ、キミは」
『師匠』が何を言っているのか、淳太には……。
わかった。
『師匠』の表情から『読』めたわけではない。
そこからは、何も『読』み取れなかった。
こんな人間が果たして存在するのかと思う程に、何も。
しかし、淳太には彼女の言っていることに心当たりがあったのだ。
(落ち着け……どうせ、誰にでも似たようなこと言ってんだ……!)
必死に自分に言い聞かせる。
「そんなことはない。私なりに確信を得たからこそ言っているのさ」
またしても、淳太の心中を読んだかのような言葉。
「そこで、提案なんだが」
お互い、視線は真っ直ぐ交わしあったまま。
「キミ、私のモノにならないか?」
そんなことを言われて、淳太は息が止まりそうな程に驚いた。
言葉の内容、それそのものに驚いたわけではない。
反射的に頷きそうになった自分に対して驚いたのだ。
「はっ……」
淳太は不敵に笑って見せる。
たったそれだけのために、全神経を集中させる必要があった。
「俺は、誰のものでもねぇ。俺だけのものだ」
出てきた声は、思ってもみなかった程に掠れていた。
いつの間にか、口の中がカラカラに乾いている。
「ふぅん……?」
『師匠』の目が、怪しく光った気がした。
今度は、息すらも出来なくなった。
(薬物、か……!? こっち風上だぞ……!? いや、この際原因はいい! どうする!?)
淳太が、頭をフル回転させる中。
「ま、弟子のお手つきを横から掻っ攫うってのも大人気ないか」
『師匠』がそんな言葉と共に鼻から息を吐き出した途端、淳太の身体に自由が戻った。
(薬じゃなかったのか……? だとすれば、催眠術の一種……? まさか、
淳太の脳は変わらず、むしろこれまで以上にその回転数を上げていく。
「それに、意外とウチの弟子たぁお似合いかもしれん」
そんな淳太を見て、フッと『師匠』は笑みを浮かべた。
「キミもあの子も、どうにも頭で考えすぎるきらいがある」
それは先程までの怪しい笑みではなく、意外にも優しげなものだった。
まるで、我が子を慈しむかのような。
「もう少し、直感的に物事を見てみるといい。この世界は、キミたちが思っているよりはもう少し優しく出来ているよ」
「ハン……」
淳太は鼻で笑った。
笑うことが出来た。
そんなわけがない、と断言出来たから。
「なぁおばさん、アンタ何歳だよ?」
ようやく調子を取り戻し、淳太は『師匠』を相手に視線を冷たくする。
「流石に、笑って見てられるのもギリでセンパイの歳くらいまでだぜ?」
魔法使い。
いるはずもないそんなものを目指しているのも滑稽だが、自ら名乗るなどそれ以上だ。
「さぁて……もう何年生きたのかなんて忘れちまったねぇ……」
対する『師匠』は、微笑んだままだ。
いつの間にか、その笑みは怪しげな色を帯びたものに戻っている。
「あくまでそのスタンスかよ」
再び、淳太は鼻を鳴らした。
「まぁ、あんたがいくつまで痛い妄想抱えてようがぶっちゃけ別に構わねぇ」
視線を一層鋭くし、睨め付ける。
「だが、センパイに妙なことを吹き込むのはやめろ」
なるほど自分はこれを言いたくて『師匠』とやらについて来たのだな、と淳太は今更ながらに納得した。
半ば以上、無理矢理に。
「あの娘に惚れたかい?」
「んなわけあるか」
揶揄する調子の『師匠』の声に、冷笑する。
「ただ、センパイがアレを卒業しねぇとなぜか俺まで巻き込まれる雰囲気なんだよ」
「それはお気の毒様だ」
悪びれた様子もなく、『師匠』は軽く肩をすくめた。
「元はと言えば、アンタがセンパイに魔法だなんだを吹き込んだせいだろうが」
恐らくは今も師の言葉に従って魔法陣を描き続けているのであろう、素子の姿を思い浮かべる。
「今からでも遅くはねぇ。魔法なんて存在しねぇって、センパイに言ってやれよ。そうすりゃ、あんな無駄な時間も過ごさずに済む」
「はっ」
今度は、『師匠』が鼻で笑った。
「あの子から魔法さえも取り上げようというのか。なかなか酷いことを言うな、キミは」
蔑むというよりも、憐れむような目だった。
(さえも……?)
言葉の意味がわからず、淳太は眉根を寄せる。
「勘違いするな。私が望んでいるわけじゃない。あれが勝手についてきているだけだ」
しかし結局それが説明されることはなく、『師匠』は身を翻した。
「やめさせたければ、キミがやめさせればいいだろう。あるいは、キミの方があの子から離れてもいい。全てはキミの自由だ」
背中越しにそう言ったきり、『師匠』は歩き始める。
その足取りに迷いはなく、振り返る気配は微塵もなかった。
「……まぁ、それはそうなんだけどよ」
何とは無しにそれを見送りながら、淳太はポツリとそう漏らす。
実際問題、淳太に素子や『師匠』に対して何かを強要するような権利などあるはずもない。
反面、淳太がどうするかは当然淳太の自由である。
このまま帰るのも、素子がいるはずの公園に戻るのも。
◆ ◆ ◆
「……よぅ、センパイ。調子はどうだい?」
結局淳太は、公園に戻ることを選んだ。
なぜなのかは、自分でもよくわからない。
『師匠』との会話で荒んだ心を癒やしたかったのかもしれない。
(センパイに癒やしを求めるとか、末期にも程があんだろ……むしろ安寧を乱す側の代表格だぞ、この人ぁ……)
そんな思いが、淳太の表情を半笑いに形作った。
「おぉ、淳太くん。ちょうど今、百個目の魔法陣を描き終えたところだよ」
「ん……?」
素子の言葉に、おや? と淳太は眉根を寄せる。
公園の地面には、完成品と思しき魔法陣が一つ描かれているだけである。
それはいい。
狭い公園だ、恐らく逐一消さなければ新たな魔法陣を描くこともままならないだろう。
しかし、淳太が『師匠』と話していたのなどせいぜい小一時間程度だ。
そんな短時間で、直系二メートルはあろうという複雑な魔法陣を百回も描けるとは思えない。
とはいえ、素子がそんなところでサバを読むとも思えなかったのだが。
「随分と遅かったね。『師匠』と話が弾んだのかい?」
そんな素子の言葉に、淳太は何気なく空を見上げた。
どの程度の時間が経過したのか、大まかな目安くらいにはなるかと思ったのだ。
「は……?」
そして、ポカンと口を開けた。
太陽は既に傾き切り、空が紅から黒へと染まりかけていたから。
淳太が家を出たのは、登校には早すぎる午前七時台。
この季節、日暮れは一九時を優に回るだろう。
つまり、十二時間前後が経過している計算になる。
(お、思ったよか長い間あの人と睨み合ってた……って、こと……か……?)
流石に、如何にも説得力のなさすぎる仮説である。
しかしながら、淳太には他の理由を見出すことが出来なかった。
悩んだ末に、淳太が選択した行動は。
「なぁセンパイ、これって昨日屋上に描いてたのと似てるけどちょっと違うよな? どういうことなんだ?」
現実逃避であった。
淳太は、魔法陣の一点――淳太の記憶にあるものと唯一違う箇所――を指して素子に向け首を傾げて見せる。
「ほぅ、よくわかったね」
素子が感心の表情となった。
「君も、魔法に興味が出てきたのかい?」
「たまたま気付いただけだ」
あまり期待させるわけにもいかないので、そう言って軽く肩をすくめる。
「そこはね、魔法陣の中では威力の調整を司る部分なんだ。発動もしないのに、調整も何もないと思うかい? しかし魔法陣とは繊細なもので、どこか一部分でもおかしければ魔法が発動すらしないようなんだ」
尤も、それでも素子は嬉々とした様子で話し始めてしまったが。
「それでね、私としては個々の理論は間違っていないと思うんだよ。つまり後は組み合わせの問題なわけだ。そうなってくると、まず疑うべきは調整の部分で……」
滔々と語る素子の言葉を、適当に聞き流す。
「なぁセンパイよぉ……」
そしてふと、淳太は素子を呼んだ。
「つまり今回の失敗は……うん? なんだい? 質問かい?」
話を止めて、素子が軽く首を傾ける。
自分から話を振っておいて申し訳ないと、ほんの少しだけ思いながら。
「世の中には、上には上ってのがいるもんだなぁ」
しみじみと、呟いた。
唐突な言葉に、素子は目をパチクリと瞬かせる。
「師匠のことかい?」
しかしすぐに思い当たったのか、破顔した。
「あぁそうだろうとも、師匠は私の目標だからね」
そして、誇らしげに胸を張る。
淳太の言葉が『師匠』のことを指していたという推論、それそのものは間違っていない。
ただし。
(センパイとこんな話してんのに、マジで癒されてやがんだもんなぁ……)
そこに込められた意味は、ある種真逆とも言えるものであったが。
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