第6話 魔法使いの弟子と登校
「やぁ、淳太くん」
淳太が自宅の玄関を開けると、そこに素子が立っていた。
それそのものに対して、淳太は最早何の感情も抱かない。
淳太が素子と出会って、およそ一ヶ月半。
その間、素子は一日も欠かさず毎朝玄関前で淳太を待ち構えているのだから。
「またかよ……」などと淳太が呟いていたのも、最初の三日だけである。
なので、目の前に素子が立っていることに問題はない(問題はない、と判断するようになってしまったことは問題かもしれないが)。
にも拘らず淳太がその表情に僅かな驚きを浮かべたのは、素子の服装に対してである。
彼女が今身に着けているのは、いつもの芋ジャージではない。
初めて出会った時以来、淳太としては一ヶ月半ぶり二回目に見る制服姿だ。
「やはり、君も今日は登校のようだね」
尤も、彼女の言う通り。
珍しくも制服を着ているのは、淳太も同じである。
となれば、彼女が制服を身に着けている理由も淳太と同じであろうと容易に想像がつく。
「センパイも、呼び出し食らったか」
少なくとも淳太は、担任からの要請に従って登校に至った形である。
素子は、軽く肩をすくめることで答えた。
肯定ということだろう。
それから、二人はどちらともなく連れ立って歩き始める。
「……つーか」
そこで、淳太は一つの疑問に思い至った。
「なんで学校行くのに、俺んちの前にいたんだよ……? 一人で勝手に行けよ……」
「なに、旅は道連れ世は情けと言うじゃないか」
「言う程の距離かよ……」
ちなみに、淳太の家から学校までは徒歩十五分程の距離である。
淳太が郡原高校への進学を決めた最大の理由でもあった。
「少しでも君と一緒にいたいと願う、いじらしい乙女心だとは思わないかい?」
「俺の彼女か何かかよ……」
淳太がげんなりと言うと、素子は一度目をパチクリと瞬かせる。
「いや、彼女ではないね」
「知っとるわ」
何を言い出すのかと思えば、あまりに当たり前の発言に淳太のげんなり具合が増す。
それでも。
「なにせ私と君の関係は、師と弟子候補なのだから」
「候補になった覚えもねぇよ……」
それでも、以前に登校した時と比べれば。
自分の足取りが幾分軽いものであることに、淳太は気付かないふりをした。
◆ ◆ ◆
「それじゃ追試の概要、わかったな?」
「ウス」
遠く運動部の掛け声が聞こえてくる職員室にて、淳太は自分の担任である中村教諭に向けて頷いた。
既に夏休みが始まっているからか、室内にいる人はまばらだ。
「いつもすんません、わざわざ」
心からの謝罪と共に、淳太は頭を下げた。
「構わんよ。学校もお前には期待してるんだ。特別追試くらい、いくらでも用意するさ」
『嘘』である。
中村教諭の表情を『読』んで、淳太はそう判断した。
入学当初ならいざ知らず、淳太の生活態度が知れ渡った今では特別扱いに懐疑的な声も多いだろう。
淳太の味方がどれだけいるのかは知らないが、恐らく中村教諭はその数少ない側として大いに庇ってくれているのだ。
上手く隠してはいるようだが、淳太から『見』れば中村教諭の顔には疲れがありありと表れており、苦労をかけていることが見て取れる。
「ありがとうございます」
だから淳太はもう一度、先程よりも幾分深く頭を下げた。
「いいって」
笑って中村教諭はヒラヒラと手を振る。
「それより荒井、やっぱりまだ普通に登校する気にはなれないか?」
それから、そう言って表情をやや困ったようなものに変化させた。
「すんません」
淳太は、今一度頭を下げる。
つい一ヶ月半前に――他ならぬ中村教諭に促されて――教室で過ごし、再確認したばかりである。
やはり、自分に向けられる視線には苛立ちを禁じ得なかった。
そういう意味でも、中村教諭は淳太にとって希少な存在と言える。
中村教諭が淳太を見る目は、比較的フラットなものであった。
「そっかー」
茶化す調子で、中村教諭は大げさに肩を落とす。
「みんなも、心配してんだけどなー」
これも、『嘘』。
「ぶっちゃけ、俺も心配だよ」
これは『本当』らしい。
「お前、そんなんで社会に出てやってけんのかな」
こういう心配を『本気』でしてくるから淳太は彼のことを嫌いになれず、そしてだからこそ厄介でもあった。
「一人で出来る仕事くらい、いくらでもありますから」
強がりではなく、これは淳太の本心である。
「そっか。まぁお前なら、きっと何なっと上手くやってけるんだろうけどさ」
これも『嘘の言葉ではない』と、淳太は中村教諭の表情から『読』んだ。
「高校くらいは出とけよ。出来れば、いい思い出作ってな」
この言葉も、また。
実際問題、淳太自身は高校卒業という経歴にさほどの重要性を感じていない。
それでもこうして在学を続けるための労力を多少なりとも費やしているのは、この担任の存在が大きかった。
「あぁ、そういえば」
と、中村教諭がチラリと視線を外す。
淳太もその先を目で追った。
少し離れた場所で素子が、恐らくは自身の担任なのであろう先生の前にて頷いている。
その顔に浮かぶのは、淳太といると時と同様の飄々とした笑みだ。
「お前、最近清川と一緒にいるらしいな」
「……何か問題が?」
淳太は、自分の声がやや固くなっていることを自覚した。
「いや、何も?」
教諭が『本心』からそう言っていることを『読』んで、肩に入りかけていた力を抜く。
「むしろ、俺は安心してるんだよ」
言葉通り、頬を緩めた中村教諭。
「お前も、一緒にいられる誰かに出会えたんだってな」
その言葉に、淳太は一瞬虚を突かれた。
単なる『クラスに馴染めない子』ではなく、中村教諭が思った以上に淳太の本質を理解していたことに今更ながら気付いたためだ。
「お前ら、付き合ってんのか?」
「あ、いや、そういうわけじゃ……」
若干動揺を引きずりながら返答する。
半ば反射的に否定したが、間違いではない。
ならばどういう関係なのかと問われると、説明が難しいところではあるけれど。
「そうか」
それ以上二人の関係性について突っ込んでくる気配はなさそうで、淳太は内心小さく安堵した。
「別に男女の関係でも、ただの友達でもいい」
座ったまま、中村教諭は淳太の肩をバンと叩く。
「青春を謳歌しろよ、荒井」
「はぁ……」
果たして、延々魔法陣を描く女の暇潰しに付き合って雑談する事が青春を謳歌する内に含まれるのか。
そんなことを考えながらの淳太の返事は、大層微妙な響きを伴った。
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