第22話 魔法使いの弟子の行方

 雨の日の決別から、一週間の時が経過した。


 あれ以来、淳太は一度も素子と会っていない。

 素子が荒井家を訪れることもなければ、淳太から会いに行くこともなかった。


 胸には、ずっとモヤモヤとしたものが漂っている。


「チッ……!」


 苛立ちと共に舌打ちし、淳太は繁華街への進路を歩んでいた足の向きを変えた。


 転じた先は、清川宅。


 が、しかし。


「……留守、か」


 全ての電気が消え、人の気配がない家を前に小さく呟く。


 そして、踵を返した。


 ホッとする気持ちが浮かんだのも事実ではある。

 けれどもちろん、胸のモヤモヤが晴れることはなかった。



   ◆   ◆   ◆



 それから、更に一週間が経過した。


「……今日も?」


 この一週間、淳太は毎日清川家に足を運んでいる。


 しかしいずれかの部屋に電気が灯っているのを見たこともなければ、人がいる気配を感じたこともない。

 朝、昼、夜、と訪れる時間を変えても、一度もだ。


「どうなってんだ……?」


 ガシガシと頭を掻いた後、淳太は今日も踵を返した。

 いつもであれば、自宅に戻るか適当に時間を潰せる場所へと赴くところだ。


 向かう方向こそ同じだが、今回の目的地は違う。


 今朝の淳太は、制服に身を包んでいた。


 夏休みは、もうとっくに終わっている。



   ◆   ◆   ◆



 淳太を知る者からの奇異の視線を多少鬱陶しく感じつつも、登校した淳太は職員室へと真っ直ぐ向かった。


「おぉ、荒井。どうした?」


 中村教諭が、意外そうな表情と共に立ち上がって淳太を迎える。


「あの……ちょっと聞きたいんスけど」


 どう切り出したものかと、淳太は逡巡した。


「センパイ……清川センパイって、最近登校してるんスか?」


 結局、やや迂遠な質問を投げる。


「清川? 夏休み前の追試の時以来、来てないと思うぞ?」


 中村教諭の表情は、何を当然のことを、と言わんばかりのものだった。

 実際、淳太もその回答は半ば以上確信を伴うレベルで予想済みである。


「お前や清川が登校すると、職員室がザワッとするからな。間違いないと思うが?」


 冗談めかして、中村教諭がそう付け足した。

 その言葉を裏付けるかのように、淳太が訪れた職員室は現在やや落ち着きのない雰囲気を漂わせている。


「あの……」


 再び、短い逡巡。


「先生は、センパイの家族のことって知ってますか?」


 今度は、核心に近い問いだ。


 中村教諭は、少しだけ面食らったような表情を浮かべた。


「……そうか、清川は話してないか」


 若干の間を空けた後に、小さくそう呟く。


「まぁ、知ってはいる」


 次いで、渋面で僅かに頷いた。


「それって……」


 淳太は身を乗り出す。


「おいおい。今日び、生徒の個人情報なんて漏らした日にゃ大問題だ。俺をクビにする気か?」


 突き放すような口調で、中村教諭はヒラヒラ手を振りながら椅子に座った。


 そう言われてはこれ以上強弁も出来ず、淳太は拳を握る。


「……ところで、これは独り言なんだがな」


 淳太から視線を外し、中村教諭は声量を落としてそんな言葉を口にした。


「去年の、六月頭。その頃の新聞に、何か重要な事が書かれてた気がするなー」


 わざとらしく、棒読みで告げる。


「……ありがとうございます」


 淳太は、深く頭を下げた。


 視線を外したまま、中村教諭は再びヒラヒラと手を振る。

 白々しい、「俺は関係ない」アピールのようだ。


 軽く笑ってもう一度頭を下げた後、淳太は踵を返した。


「……頑張れよ、若人」


 背中に、小さくそんな声が届いた。



   ◆   ◆   ◆



 職員室を出た淳太は、すぐに図書室へと向かった。


 駆け足気味で扉をくぐり、新聞の縮刷版を探し出してページを捲る。


 程なく、目的の記事は見つかった。

 地方版の片隅に、まるで何ら重大ではないことのように記載されていた。


 『大型トラックと正面衝突、乗用車の夫婦が死亡』。


 そんな見出しだ。


 『会社員の清川大輔さん(41)さんと妻の陽子さん(40)は病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認され――』。


 そこまで読んだところで、淳太は縮刷版を乱暴に棚へと戻した。


 チラリと目に入っただけだが、記事の日付は鮮明に頭の中に残っている。


 それは、淳太が素子と出会った日のちょうど一年前で。

 つまりは、素子が師匠と出会ったというその日の出来事だった。


 同時に、素子がどこかの山奥とやらに行った日でもあることを指し。

 果たして彼女は、元々何の用があってそんなところに赴いたというのか。


 淳太と出会わなければ死のうと思っていた……そんな日の、一年前に。


 両親が亡くなった、その日に。


「何が……演技は苦手、だよ」


 猛烈に嫌な予感を覚えつつ、淳太は駆けた。


「ずっと、強がってたってのかよ……」


 淳太でも『読』みきれない心の奥底に、彼女が何を封じ込めていたのかを思う。


「クソが……! 馬鹿かよ俺は……!」


 自身に対して毒づいた。


 慢心していた。

 『見』えるからこそ、見落としていた。


 気付くチャンスは、いくらでもあったはずなのに。


 素子の危うさを感じた時にでも。

 素子の部屋に上がった時にでも。


 あるいは、初めて出会ったその時にでも。


「知ってりゃあの時、俺は……」


 思い出すのは、素子と最後に会った日のことである。


「……いや」


 口元が、皮肉げに歪む。


「結局、変わらないか」


 いずれにせよ、素子を受け入れることは出来なかっただろう。


 恐らく、決断までに費やす苦悩はもっとずっと大きくなっていただろうが。


 あるいは、それすら見越して素子は淳太に話していなかったのか。


「やっぱ、俺はセンパイの手の平の上ってわけかよ」


 出会った時から、それはずっと変わらないようだった。


 いくら感情が『読』めたところで、肝心な時には何の役にも立たない。


 淳太は歯噛みしながら、全力で駆けた。



   ◆   ◆   ◆



 学校を出て走ることしばらく、目的地に到着する。


 素子と出会った翌日に訪れた公園だ。


 それから。


「師匠さん! もし、いるんなら出てきてくれ!」


 素子が師と呼ぶ人物と、淳太が初めて会った場所でもある。


「頼む! センパイがやべぇかもしれねーんだ!」


 虚空に向かって叫んだ。


 返事など、あるわけもない。

 自分でも、馬鹿馬鹿しいことをしているという自覚はあった。


 けれど、他に頼れるものがない。


(何やってんだ、俺ぁ……)


 自分の無力さを、噛み締めたところで。


「まったく……どいつもこいつも、そうそう気軽に呼び出さないで欲しいもんなんだけどねぇ」


 そんな声が、すぐ後ろから聞こえた。


「!?」


 以前と同じく、誰かが近づいてくるような気配は全く無かった。

 にも関わらず、振り返るとすぐそこに妖艶な姿があった。


「すまねぇ、教えてくれ!」


 しかし驚きもそこそこに、淳太は師匠へと迫る。


「センパイは今、どこにいるんだ!?」


 これもまた、荒唐無稽な質問と言えるだろう。

 けれど、なぜだか目の前の相手が答えを知っているという確信があった。


「目星は、ついてるんだろう?」


 知っているとも知らないとも言わず、師匠はそんな問いを返してくる。


「……恐らくは、センパイがアンタと初めて出会った場所だと思う」


 根拠はないが、これもほとんど確信していた。


「センパイはたぶん、もう一度魔法に縋ろうとしている」


 両親を失った日に見つけたという、最後の逃避先。


 それと出会った所に、きっと素子はいる。

 他には、もう縋るものがないから。


「行って、どうしようってんだい?」


 やはり否定も肯定もせず、師匠は問いを重ねる。


「俺は……」


 それは、淳太の中で未だ答えが出ていない問題だった。

 どうすればいいのか、どうすべきなのか、どうしたいのか、自身の気持ちすら定まっていない。


「あぁ、やっぱり言わなくていい」


 数秒淳太と視線を交わした後、師匠は軽く首を横に振った。


「あの子に会った時に答えがあれば、それでいいさ」


 相変わらずの、丸っきり内心を見透かしたかのような発言。


「私とあの子が出会った場所は――」


 妖しげに微笑み、師匠は言葉を続けた。



   ◆   ◆   ◆



「チッ、どうする……!?」


 淳太は、焦りを抱えたまま街の中を駆ける。


 場所の情報だけを告げて、師匠はそのまま立ち去っていった。

 これ以上関与するつもりはない、ということだろう。


 それはいい。


 問題は、告げられた場所が隣県の山奥だったという点だ。

 とても歩いていける距離ではないし、公共交通機関もどこまで通っているか。


 差し当たり駅に向けて走ってはいるが、胸の中はもどかしい気持ちで一杯だった。


 と、視界の端に見知った顔が映り込む。

 普段であれば、このまま見なかったことにして駆け抜けるところだ。


 なにせ、好んで見たい顔ではない。

 が、今だけは状況が異なった。


「大田!」


 身体に急制動をかけながら、呼びかける。


「あん?」


 そこで初めて淳太の姿に気付いたらしい大田が、怪訝そうに顔を上げた。


 周囲には、数名の男が一緒にたむろしている。

 淳太の見知った顔と見知らぬ顔、半々くらいだ。


「なんだぁ淳太、おめぇから声かけてくるなんて珍しいな?」


 駆け寄った淳太に、大田が意外そうに片眉を上げた。


「頼みがある!」


 実のところ、淳太にとって用があるのは大田本人ではない。


「そのバイク、貸してくれ!」


 彼が身体を預けている、大型の自動二輪車だ。


「なんだ荒井、いきなりてめぇ!」


「なめてんのか!」


「ぶっ殺すぞ!」


 勢い良く頭を下げた淳太に、周りの男たちがいきり立つ。


「……なぁ、淳太よぉ」


 唯一の例外が、大田だ。


「そらぁ、あの女のためか?」


 低い声で尋ねてくる。


「……あぁ、そうだ」


 一瞬躊躇したが、結局淳太は正直に頷いた。

 頭を下げることしか出来ない現状、それが淳太が見せられる唯一の誠意だ。


「顔を上げろよ、淳太」


 言われた通りに顔を上げる。

 殴るつもりかと少々身体を強張らせたが、拳が飛んでくる気配はなかった。


「淳太、俺ぁよぉ……」


 ただし、大田の表情には煮詰めたような怒りが『見』て取れる。


 これは交渉決裂だな、と淳太が踵を返そうとしたところで。


「……いや」


 大田は、軽く首を横に振った。


「好きにしろ」


 そして、腰を浮かせてバイクを親指で指す。


「ちょ、大田さん!?」


「何言ってんすか!?」


 周りの男たちがざわめいた。


「うるせぇ」


 大田の顔には、未だ今にも爆発しそうな怒りが『見』える。

 淳太ならずともそれが察せられたのか、静かな大田の声に周りは怯えた顔となって黙り込んだ。


「……急いでるんじゃねぇのか?」


 どういうことかと訝しむ淳太を、大田が睨む。


「あ、あぁ……悪い、恩に着る!」


 その意図は読めなかったが、今は気にしている場合ではないと判断。

 淳太は素早くバイクに跨り、エンジンキーを回した。


「どうでもいいけどおめぇ、免許持ってたんだな」


「持ってねぇが、見たことはあるから扱い方ならわかる!」


 本当にどうでも良さげな響きを伴った大田の言葉に対して、エンジン音に負けないよう大声で答える。


「はぁ?」


 そんな、大田の疑問の声を。


 淳太は、アクセルを勢い良く捻ることで置き去りにした。

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