第38話 傷だらけの紬
いったい何が語られるのか。
全く想像ができずに、固唾を飲んで詩の言葉を待つ。
「どこから話そうか。ううん。話すだけでなく、見せた方がいいかな」
詩はそう言い、片手を上に伸ばして掲げる。
すると二人のすぐ側に、幼い頃の姿をした、もう一人の詩が出現した。
その体は、うっすらと透き通っている。
「これって、幻みたいなもの? これも幻術なの?」
「そうだよ。昔の俺の記憶を再現した幻。だから、これから起きることは、昔実際にあったことなんだ」
幼い詩は、いつも待ち合わせしていたあのお堂に腰掛けていた。紬を待っているのだというのは、すぐにわかる。
だが、いつまで経っても紬はやって来ない。そのうち詩は立ち上がり、山の中を歩いていった。
「なかなか紬が来ないから、何かあったのかもって思って、様子を見に行った。けど、もっと早くそうするべきだった」
幻ではない今の詩が、そう言って顔を歪ませる。それだけで、何か良くないことが起きたというのはわかった。
幼い詩は、たまにキョロキョロと辺りを見回しながら、山の中を歩く。だが視線の先に何かを捉えた瞬間、そこに向かって一目散に走り出した。
詩が駆けていった先にいたのは、六本腕の猿のアヤカシだった。しかも何体もいて、何かを取り囲むように群がっている。
そして中心にいるものを見て、詩は息を飲む。
「紬っ!」
猿のアヤカシたちの真ん中には、紬が倒れていた。
至るところに傷を負っていて、ピクリとも動かない。さらに猿のアヤカシたちは、そんな彼女の四肢を押さえつけるように手を伸ばす。
「やめろーっ!」
狐火を放つと、それに気づいて、一斉に散る。
だが以前とは違い、猿のアヤカシたちは複数いて、戦ってもなんとかなると思ったのだろう。
誰一人逃げることなく、腕を振り上げ詩へと向かってきた。
対する詩も、臆することなく応戦する。
その時、彼の心にあったのは、猿のアヤカシたちに対する怒り。それに、後悔だった。
おそらくこいつらは、ずっと紬を狙っていたのだろう。
紬がアヤカシに狙われやすい体質だというのはわかっていた。だが町の中ではそうそう襲われることもなく、この山の中でも、自分が一緒にいるなら大丈夫だと思っていた。
その結果がこれだ。
「うわぁぁぁぁぁっ!」
持てる全ての力を使い、狐火を放ち、尻尾を振り回す。
これには、猿のアヤカシたちも怯んだようだ。
その隙に一気に紬の元へと駆け寄り、その体を抱き抱える。
「紬! 紬っ!」
何度も呼びかけるが、返事はなく、ピクリとも動かない。
最悪の事態が頭をよぎるが、幸いなことに、息はまだあるようだ。
詩は、そのまま紬を抱えながら、なおも周りに群がる猿のアヤカシの集団を、燃えるような目で睨みつけた。
一方、目の前で幻たちがそんな光景を繰り広げているのを見て、本物の紬は呆然としていた。
「な、なにこれ……私、こんな目にあってたの?」
小さい頃、アヤカシに襲われたことなら何度もあったが、ここまで危険な目にあったことなど、さすがに滅多にない。
しかも、今までそれを全く記憶にないのだ。自分の身に起きた実際の出来事という実感が、まるでなかった。
「私、どうなったの? 今こうして生きてるってことは、無事だったのよね?」
幻を最後まで見届ける前に、詩に問う。これからどうなったのか、早く結果を知りたかった。
「あれを無事って言っていいのかはわからないけどね。猿のアヤカシたちはなんとか追い払ったけど、紬はひどいケガをしていた。その場で手当てできるものじゃないし、俺の住んでるアヤカシの世界に勝手に連れていくわけにもいかない。だから、紬の家に行くことにしたんだ」
「私の家?」
「うん。家がどこにあるかは聞いていたからね。紬を抱えて、そこまで連れていった」
詩がそこまで話すと、一度幻が消え、別の場面へと変わる。
そこは、紬がかつて住んでいた家だった。表札に書いてある文字は、綾野。紬のかつての苗字だ。
まだ月城家に引き取られる前。自分は綾野紬という名前だったということを、紬は今さらのように思い出す。
その家の玄関の前に、幼い紬を抱えた詩が立っている。何度も激しくドアを叩き、やがてそのドアが開かれる。
中から出てきたのは、思った通りの人物だった。
「お母さん……」
幻とはいえ、母の姿を見たのはいつ以来だろう。
志織は玄関の前で倒れている紬を見た瞬間、真っ青になって声をあげる。
「紬! 紬っ!」
体を揺さぶり、何度も何度も名前を呼ぶ。それを見て、心臓がキュッと痛くなる。
「何があったの? まさか、アヤカシに襲われた?」
まただ。そう、紬は思った。
自分がアヤカシに関わりケガをした時、母はいつも、こんな風に心配していた。とても不安にさせていた。
その罪悪感から、例え何かあっても、隠すようにした。怖いことなど何もなかったと、嘘をついていた。
だが、こうして知られてしまった。
志織のすぐ横では、詩が心配そうにそれを見ている。
だがアヤカシの見えない志織は、彼の存在に気づかないままだった。
「この後紬は、お母さんに手当てしてもらった。幸い、死ぬようなケガじゃなかったけど、熱が出て何日もうなされていた。お母さんは毎日その看病を続けて、俺もその様子を見に行った。もっとも、俺が行ってもどうすることもできずに、お母さんには気づかれないままだったけどね」
詩は、そう言って少しだけ目を伏せる。それは、何もできなかったことを悔しがっているようだった。
詩の言葉通り、幻の中の志織はずっと紬の看病を続けていた。
紬が苦しそうにしていると彼女も不安になり、熱が下がり様子が落ち着くと、ホッとしたように息をつく。
たまに、寝ている紬を見て涙が出そうになり、それを拭って看病を続けた。
「ごめんね、お母さん。たくさん、迷惑かけて。私のことなんて、放っておいていいのに」
思わず、そんな言葉が漏れる。
こんなに心配や迷惑をかけてしまう自分は、やっぱり嫌われて当然なのだと、そんな思いが湧いてくる。
「放っておけるわけないだろ。俺は、そばでずっと見ていた。お母さんが、どれだけ紬を大事に思っているかを」
詩がそう言った時、まるでそれに応えるように、志織が紬を眺めながら話し出す。
「ごめんね、紬。あなたが大変な目にあってるのに、何もできなくて。だけどお願い。早く良くなって。また、笑顔になって」
そうして、眠っている紬の頭を、頬を、何度も撫でる。まるで、大切な宝物に触れているようにも見えた。
「でも……」
詩がどうして母のことを知っていたのかはわかった。今のを見て、母がどれだけ心配してくれていたか伝わってきた。
だがそれでも、結局この後、自分は嫌われてしまったのだ。そんな気持ちが、どうしても拭いきれない。
自分を好きでいてくれるのなら、どうして月城の家なんかにやったのか。その事実が、心に引っかかって離れない。
だがその時、幻の映し出す映像に、異変が起きる。
家のチャイムが鳴り、誰かが訪ねてきた。
志織が玄関の戸を開け、訪ねてきた相手に向かって頭を下げる。
その相手を見て、紬の顔が歪んだ。
「大変な時にお邪魔してしまい、申し訳ない」
そう言ったのは、月城常貞。月城家の当主であり、後に紬を引き取ることになる相手だ。
常貞も、かしこまった態度で頭を下げる。だが頭を下げたその時、彼の口元には、意地の悪い笑みが浮かんでいた。
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