第36話 幼き日の出会い

 その頃、紬はまだ小学生だった。そしてその日は、町の神社で夏祭りが開かれていた。


 友達と一緒に、お祭りに行って遊んでくる。

 紬がそう言うと、母親はたいそう喜び浴衣を用意してくれた。それに、臨時のお小遣いまでくれた。


 そうして紬は、ニコニコ笑いながら家を飛び出し、お祭りのある神社へと向かう……なんてことはなかった。

 彼女が向かったのは、神社とはなんの関係もない、近くの山の中だった。


 本当は、祭りになど最初から行くつもりはなかった。一緒に行く友達などいなかった。


 変なことを言う、気味の悪いやつ。それが、紬の学校での周りからの評価だった。

 これよりもずっと小さい頃から、紬には時々おかしなものが見えた。人の顔をした動物や、ツノのはえた大男。つまりはアヤカシだ。

 人間の世界にも、極わずかではあるがアヤカシがいる。だがほとんどの者は、そんなもの知らない。アヤカシの存在など信じない。

 だから、いくら紬がアヤカシを見て声をあげようと、襲われ泣き叫ぼうと、それがなんなのかわからない。突然おかしなことを言い出す紬は、変なやつ以外の何物でもない。

 そうして彼女は、バカにされ、孤立していった。


 もちろん、こんなのと一緒に祭りに行くという物好きなどいるはずもない。

 なのに母親に嘘をついたのは、心配をかけたくなかったからだ。


(私が学校で一人だって知ったら、お母さんが悲しむ。アヤカシのせいでそうなったってわかったら、すごく心配する。そんなの嫌)


 昔から、紬がアヤカシのせいで大変な目にあう度、母親はすごく心配していた。

 時には紬以上に泣きそうになり、ケガして家に帰ろうものなら、酷く狼狽し、憔悴した。学校で変なやつと言われたと話したときには、とても悲しそうな顔をしていた。

 紬にとって、そんな母を見るのは、自分が危ない目にあうよりも辛かった。自分が母を苦しめているのだと、申し訳なく思った。


 だから、アヤカシのことを話すのをやめた。学校で一人になっていることも隠した。

 毎日が平和で、友達と一緒に楽しくやっている。そう話すようになっていた。

 今日のお祭りだってそうだ。


 だが実際には、一緒に遊ぶ友達など誰もいない。今日だって、もしもお祭りのある神社で学校の誰かと会ったら、またバカにされるかもしれない。

 それが嫌で、神社には向かわず、こうして山の方に歩いてきた。

 この山は、わざわざやって来る人など滅多にいなくて、身を隠すにはもってこいの場所だった。

 今までも、友達と遊んでくると言って、ここで時間をつぶしたことは何度もある。


「帰ったら、お母さんに何を話そう。すごく楽しかったって伝えなきゃ」


 自分が楽しく話をすると、とても喜んでくれる。だから今日も、うんと楽しい話をしなければならない。


「みんなと一緒に、お祭りを回って、かき氷を食べて、金魚すくいをしたんだ。すごく、すごく楽しかったんだ」


 そう、笑顔で話さなければならない。なのになぜだろう。楽しい想像をすればするほど、目から涙がポロポロとこぼれた。


 ダメだ。涙の跡など見せたら、間違いなく心配する。悲しませる。

 そう思って、必死に涙を拭う。


 するとその時、近くの茂みから、急にガサガサと音がした。


「な、なに!?」


 何かの動物だろうかと思って身構える。

 だが現れたのは、それよりももっと厄介で、恐ろしいものだった。


 最初は、ただの猿だと思った。だがよく見ると手の数がおかしい。

 体の右と左に、それぞれ三本ずつ。合わせて六本の腕がはえている。

 どう見てもアヤカシだった。


「ひっ!」


 思わず声をあげるが、それがまずかった。

 六本腕の猿は、ギョロリとした目でこちらを向くと、興味深げに紬を眺めた。


「ほう。人間のくせにワシが見えるとは珍しい。それに、なんだか美味そうな匂いがするな」

「やっ!」


 アヤカシの中には、時々こんな風に、紬を餌のように見てくる者がいる。

 一目散に逃げようとするが、服装が着慣れていない浴衣ということもあり、思うように走れなかった。

 あっという間に追いつかれ、強く背中を押される。転倒したところに六本の手が伸びてきて、手足を掴まれる。


「嫌っ! 離して!」


 今までアヤカシに襲われたことは何度もあったが、最悪の事態になることなく切り抜けてきた。しかし、今回もそうだとは限らない。

 ジタバタと暴れながら、必死になって叫ぶ。

 だが押さえつける腕の力は強く、まともに身動きすることすらできなかった。


 だがその時、場違いなくらいの、のんびりした声が辺りに響いた。


「ねえ。何してるの?」


 ちょっと声をかけてみた。そんな感じの、緊張感など全くない声。紬も猿のアヤカシも、思わず声のした方に顔を向ける。


「なんだ、お前は?」


 猿のアヤカシが、いぶかしげな態度で言う。

 そこに立っていたのは、着物を着た少年だった。

 背丈は紬より高く、歳上かもしれないが、よくわからない。なぜなら彼は狐のお面をつけていて、素顔が全く見えないのだ。

 お祭りで買ったお面だろうか。そう思ったが、お祭りで売っているお面は、大抵がマンガやアニメのキャラクター。

 対してその少年がつけていた狐のお面は、神社に飾られているような古めかしいものだった。


「その子、怖がってるよね。離してあげなよ」


 狐面の少年は、猿のアヤカシの質問には答えず、そんなことを言ってくる。

 だが猿のアヤカシも、それを素直に聞いたりはしなかった。


「うるさいヤツだな。お前から食ってもいいんだぞ!」


 猿のアヤカシは紬から離れ、腕を振り上げ少年の方に向かっていく。

 危害を加えようとしているのは明らかだ。

 だが、その腕が少年に向かって振り下ろされるより先に、鈍い音と共に、猿のアヤカシの体が吹っ飛んだ。


「な、なんだ!?」


 地面に倒れ、信じられない様子で少年を見る。そして、その時気づく。少年の後ろから、長くて大きな尻尾が伸びていることに。

 先ほど吹っ飛ばされたのは、この尻尾が素早く伸び、鞭のように打ち付けられたからだった。


「俺の一族は、人間に悪事を働くアヤカシがいたら、やっつけるっていう盟約を結んでるんだってさ。って言っても、俺は詳しいことはよく知らないけどね。でも、このまま酷いことを続けるようなら、やっつけた方がいいかな」


 少年は、特別凄みをきかせて言ったわけではない。だがその言葉と同時に、伸ばした尻尾の先が、炎に変わっていく。

 もしも引かないようなら、次はこの炎で焼き払う。そう言っているかのようだった。


「くそっ!」


 敵わないと判断したのだろう。猿のアヤカシは悔しそうにそう吐き捨てると、一目散に逃げていく。

 そうしてその場には、狐のお面の少年、それに、地面に倒れたままの紬の二人だけが残った。


「災難だったね。大丈夫だった?」


 そう言って、少年がは紬にむかって手を差し伸べてくる。

 だが紬は、その手をとろうとはしなかった。それどころか、バシッと大きな音を立て打ち払った。


「こ、来ないで! あなたも、アヤカシなんでしょ!」


 後ろから伸びた長い尻尾に。こんなもの、普通の人間にあるはずがない。

 そしてアヤカシなら、さっきの六本腕の猿と同じく、紬にとっては恐怖の対象でしかなかった。


「えぇーっ。俺、今君を助けたじゃないか。アヤカシかどうかなんて、別にどうでもよくない?」


 狐のお面の奥から、不満そうな声があがる。

 だが、いいわけがない。アヤカシのせいで、今までどんな目にあってきたか。どれだけ、辛く苦しい思いをしてきたか。

 にも関わらず、どうでもいいなどと言われたのが、紬には悔しくてたまらなかった。


「う、うるさい!」


 怒りが恐怖を上回り、気づけば震えながら叫んでいた。


「あ、あなたたちアヤカシのせいで、たくさん怖い目にあった! お母さんにも心配かけた! な、なのに、お母さん以外は誰も信じてもくれなくて……み、みんなからは、変なやつって言われて……全部、あなたたちのせいじゃない!」


 涙を流し、何度もしゃくりあげながら叫ぶ。めちゃくちゃに手を振り回して暴れる。

 アヤカシ相手にこんなことをするなんて、どうなるかわからない。それでも、怒りをぶつけずにはいられなかった。


 振り回した手が狐のお面に当たり、その拍子にお面が外れる。

 当然、その下にある顔が顕になる。その瞬間、振り回していた手が止まった。


「えっ──?」


 お面の下の素顔は、一言で表すならとても美しかった。テレビで見るモデルやアイドルだって、ここまでの者はそうそういないだろう。

 だが紬が手を止めたのは、相手が綺麗だったからではない。

 そんな、息を飲むくらいに綺麗な顔が、酷く困ったような表情をしていたからだった。

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