第35話 開く扉

「この扉をくぐれば、人間の世界に行けるのよね」

「そうだよ。アヤカシの世界と人間の世界では、空間が繋がる時に歪みが起きてるから、紬がこっちに来たお堂とは、かなり遠く離れた場所に通じているはずだよ」


 その辺りの理屈はまるでわからないが、こうして別の世界に来ているのだ。今さら不思議なことがひとつくらい増えても何も思わない。


 それよりも、どうして詩はわざわざこんなところに連れてきたのか。そちらの方がずっと気になる。


 詩が扉に手をかけ、呪文のようなものを唱える。その瞬間、辺りの空気が少し変わったような気がした。


「さあ、これで人間の世界と繋がった」


 そう言って、ゆっくりと扉を開く。

 この先にあるのは、人間の世界。紬にしてみれば、詩の元に嫁入りして以来、初めて戻ることになる。


 いったいどんな場所に通じているのか。

 緊張しながら、扉を通り外に出るが、次の瞬間、僅かに拍子抜けする。


「ここが、人間の世界?」


 正直なところ、戻ってきたのだという感慨は、特にはわかなかった。

 扉の先には、何かがあったわけでもない。ただの荒れた山道が広がっていた。


(まあ、嫁入りの際に使ったお堂も、こんな山の中だったか。そもそも二つの世界を繋ぐなんて場所が街中にあっても大変よね)


 詩が連れていきたい場所というのは、ここから更に歩くことになるのだろうか。


「ねえ、紬。この場所を見て、何か思うことってない?」

「えっ?」


 急にそんなことを聞かれて、もう一度辺りを見回す。

 だがそう言われても、お堂以外には何も無い場所。思うことなんて、特にあるわけがない。

 そのはずだった。


(…………あれ?)


 何の変哲もない、ただの山道。そのはずなのに、なぜか頭の中に引っ掛かりを感じる。

 不思議に思い、少しだけ、山道を進む。


(多分この道、もう少し先に行ったら、二つに分かれてる)


 なぜかそんなことがわかって、実際に行ってみたら、本当に道が二つに分かれていた。


「どういうこと?」


 わけがわからず、後ろからついてきていた詩を見る。

 すると彼は、すぐにはそれに答えず、もう少し先に進んでいく。

 そこは周りの木々が刈り取られていて、端の方によると近くにある町を見下ろすことができた。

 町といってもそう大きくはなく、どこにでもあるような田舎町といった雰囲気だ。


 だが町の様子をよくよく見た時、紬の頭の中にある引っ掛かりが、ますます大きくなる。


(私、あの町を知ってる。というかあれって、昔私が住んでいた町じゃない!)


 それは、月城の家に引き取られる前。まだ、母親と一緒に暮らしていた時の話だ。

 一度離れて以来戻ることなかったが、遠くに見える建物のいくつかには、覚えのあるものもあった。

 それに気づいて、ハッと息を飲む。


「ねえ。いったい、どういうことなのよ!」


 さっきとほとんど同じ質問を、もう一度ぶつける。

 ここに来る途中のお堂は、詩の父親が管理していたと言っていた。そこから繋がる先が、自分が昔住んでいた場所のすぐ近くなど、とても偶然とは思えない。


 問われた詩はというと、少し前まで見せていた笑顔は消え、真剣な表情で紬を見ていた。


「うん、全部話す。と言うより、思い出させる」

「どういうこと……?」


 詩の言っていることがわからず、困惑する紬。そんな彼女に向かって、詩は手を伸ばす。

 一度頬に触れ、それから、額へと指先を移動させた。


「詩……?」


 ますますわけがわからず、小さく声をあげる。

 だがその時、頭の中で声が響いた。


『紬────紬────』


 幼い男の子の声。だが、それが誰のものなのかはわからない。全く聞いたことのない声。最初は、そう思っていた。

 だが……


『紬────紬────』


 また、頭の中で声が響く。同時に、遠い昔の記憶が蘇えってくる。

 まだ幼かった頃の、かつてこの町に住んでいた頃の記憶だ。

 なぜ急にこんなことが。

 混乱する紬を見ながら、詩の顔が歪む。


「ごめんね。本当は、もっと早くこうするべきだったかもしれない。けど、あの時俺が何をしたのか、紬に知られるのが怖かった」


 そこまで聞いたところで、閉じられていた記憶の扉が、一気に開いた。

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