第30話 逆転劇

 紬に簪を突き立てられ、古空が真っ先に感じたのは、痛みや衝撃でなく驚きだった。


 紬には、永遠に夢の世界に囚われるという幻術をかけていた。

 古空自らか、それ以上の術者が幻術を解かない限り、決して目覚めることなく眠り続ける。そのはずだった。


 だが事実、紬は目を開いたばかりか、自分の手から逃れようと攻撃してきている。


「バカな!?」


 ありえない出来事に驚愕した直後、突き立てられた簪から、詩の妖力が流れ込んでくる。

 まるで体の中で爆発が起きたかのような、痛みと衝撃が走った。


「ぐぅっ!」


 弾けるように飛び跳ね、地面に倒れる。抱えられていた紬も、古空の手を離れ地面に落ちる。

 その瞬間を、詩は見逃さなかった。


「紬!」


 詩を押さえつけていたアヤカシたちも、この事態に動揺していたのが幸いした。

 狐火をまとった尻尾を振り回し、強引にそいつらを振りほどく。


 もちろん、驚いていたのは詩も同じだ。

 紬がなぜ動けたのかは、彼にもわからない。

 だが理由はどうあれ、助け出す好機が巡ってきた以上、それを逃すようなまねはしない。

 紬のところに向かって一目散に走っていき、その体を抱え起こす。


「紬、大丈夫? ケガはない!?」


 声をかけると、弱々しく手を伸ばしてきて、詩の頬に触れる。そこには、先ほど殴られた時にできた痣があった。


「バカ。私のことなんて放っておきなさいよ」

「それは、絶対に無理だから」


 そんな短いやり取りの後、詩は安心させようと、痛みをこらえて笑顔を作る。

 紬は何も応えず、そのままぐったりと、詩の腕にその身を預けた。


 これでは、紬はしばらくの間、まともに動けないだろう。

 ならば、何としても守らなくてはならない。


「もう少しだけ、我慢していて」


 短くそれだけを告げると、再び尻尾を伸ばし、狐火を起こす。

 その狙いは、未だ地面に倒れている古空だ。


「くそっ。舐めるな!」


 古空もそれに気づき、詩と同じように尻尾を伸ばし、狐火で応戦する。

 それから少し遅れて、他のアヤカシたちも詩に向かって攻撃を仕掛けてきた。


 詩は紬を抱えたまま走り回り、それらをかわし、蹴散らしていく。

 だが状況は、決して有利とは言えなかった。

 紬によってつけられた古空の傷は、決して軽いものではない。だが詩も、先ほど殴られた痛みが残っているし、数の不利は相変わらずある。

 だからこそ、仕掛ける。この状況を、一気に覆すために。


「うわぁぁぁぁぁっ!」


 吠えるように叫びながら、古空のいる場所に向かって駆け抜ける。途中、古空の放つ狐火が四肢を掠めるが、勢いは止まらない。

 どれだけ傷つこうと、紬にさえ当たらなければそれでよかった。

 古空のところにたどり着く直前、地面に落ちていた刀を拾う。そして、それを古空の首へと目掛け、勢いよく振るった。

 ただし、刃が肉に食い込む直前で、ピタリと止まる。


「全員動くな! 一人でも妙なまねをしたら、即刻この首を斬り落とす!」


 これは、ハッタリでもなんでもない。すぐに首を斬り落とさなかったのも、こうした方が他のアヤカシを押さえつけられると判断しただけだ

 狙い通り、その場にいた全員の動きが止まった。


「古空、観念しろ。お前の負けだ」

「くぅ……」


 古空は悔しそうに声をあげるが、すぐに敗北を認めようとはしなかった。

 この期に及んでも、まだどこかに逆転の目はないか探しているのかもしれない。

 詩も、決して油断はしていなかった。元々こちらが不利な状況だったのだ。妙な動きをする者がいないか、気を張り、睨みを利かせる。


「さあ、どうする」


 もう一度、古空に問う。

 すると彼が返答するより先に、遠くから足音が聞こえてきた。

 それも、ひとつではない。何十もの足音が、こちらに向かって近づいてくる。


「なんだ?」


 これには、詩も古空も何が起きたかわからず、怪訝な顔をする。

 だが間もなくして、足音の正体が判明する。暗い道の向こうから、それらは姿を現した。


「詩。それに古空。なにやら面白いことをやっておるようじゃの」


 そう言って現れたのは、沙紀。それに、彼女が引き連れてきた、何十体ものアヤカシたちだった。


「ご、ご当主様!?」


 声をあげたのは、古空配下のアヤカシだ。そこには、ハッキリとした動揺があった。

 自分たちのしていることは、紛れもなく彼女に対する反逆行為。だからこそ、こうして出奔しようとしていたのだ。

 中には逃げ出そうとする者もいたが、沙紀の連れてきたアヤカシたちが、先回りし行く手を塞ぐ。


「どうした? 私に挨拶のひとつもなく出ていこうというのか? 悲しいのう」


 悲しいと言いながらも、沙紀にそんな様子は全くなく、ニヤリと笑って古空を見た。

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