第40話 私の幸せ

 目の前で繰り広げられていた幻による映像が、ようやく終わりを迎える。


 かつて何があったのか。どうして今までそれを忘れていたのか。全てを知った紬は、ガクガクと震えていた。


「これが、紬が忘れていた理由だよ。俺が、紬の記憶を封印した。その方がいいって勝手に決めて、紬の意思を無視してね」


 そんな紬を見ながら、詩が静かに言う。その言い方は、自分自身を責めているようにも見えた。


 だが、今の幻で見た光景だけでは、まだわからないことがある。


「あ、あなたが私の結婚相手としてまた会えたのって、偶然じゃないわよね?」

「ああ。ある時知ったんだ。俺たち玉藻家の当主は、百年に一度、月城って人間の一族から花嫁をもらうって。それを聞いて、すぐに紬のことを思い出した。それで、不思議に思った。あの時紬を引き取りに来た人は、そんなこと何も話してなかったから。けど、とにかく当主になれば、また紬に会えるかもしれない。紬はもう俺のことを覚えてないけど、それでもまた会いたいって思った」


 これで、ずっと抱えていた謎が解けた。

 出会ってすぐに、彼に告げられた、好きという言葉。何も知らない相手にどうしてそんなことが言えるのかと困惑し、ふざけているのかと腹も立った。

 だが今は、その言葉の持つ重みも、全く違うものに感じた。


 しかしだからといって、詩のしたことを何もかも受け入れられるかと言われれば、別の話だ。


「勝手ね。記憶を消しておいて、また会いたいなんて」

「ああ、そうだね」


 詩の顔が、苦しそうに歪む。今の言葉が、彼の心を抉ったのがわかる。だが取り消そうとは思わなかった。

 それどころか、怒りの言葉が次から次へと出てくる。


「詩だけじゃない。お母さんだって勝手よ。私のことなのに、全部勝手に決めて」

「……うん」

「私がどうしたいかなんて、ちっとも聞いてくれなかった。嫌だって言っても、なんにもならなかった」

「……うん」

「しかも二人とも、それが私のためだって思ってやってた。そうしたら私が幸になれるって、本気でそう思ってた!」

「うん、そうだね。けどそのせいで、紬はたくさん苦しい目にあった。ごめん」


 涙まじりで叫ぶ紬の言葉を、詩は一切反論せずに受け止める。

 あの決断の結果、月城の家に行った紬がどんな目にあったかを思うと、反論などできるはずもない。


 だが紬にとって、一番重要なのはそこではない。月城家で受けてきた仕打ち以上に、伝えたいことがあった。


「二人とも、わかってない。私が、お母さんや詩と一緒にいてどれだけ幸せだったか、全然わかってない!」


 より一層涙を流しながら、今まで以上に大きな声で叫ぶ。

 月城の家でぶつけられた心無い言葉も、いくつもの折檻も、どれも辛く苦しかった。

 だがそれ以上に苦しかったのは、そんな時、大切な人がそばにいないこと。


 いつも優しかった母。初めての友だちだった詩。その二人にどれだけ支えられ、幸せをもらってきたか。

 なのに本人たちは、それをまるでわかっていなかった。二人がいてくれたら、どんなに苦しくても幸せだったのに。


 そんな不満を全て吐き出すように、詩に縋り付き、涙ながらに叫び続ける。


「……ごめん。ごめんね、紬」


 これにも詩は、反論することなく、ただ謝る。


 そんな紬の叫びもようやく尽きてきたところで、落ち着かせるように背中をさすった。

 そして、言う。


「紬の言う通りだよ。紬のためって思いながら、紬がどうしたいか、まるで聞いてなかった。だから、今度こそ聞きたいんだ。紬がどうしたいのかを」

「……どうしたいって、今さら何を決めるっていうのよ」


 紬には、詩が何を言っているのかわからない。

 今さら決めなければならないことなど、何があるというのか。


「お母さんのことだよ。会おうと思えば、今からでも会うことができる。紬は、どうしたい?」

「えっ────?」


 そこで、ようやく気づく。

 詩がここに連れてきたのは、封印していた記憶を解き放ち、かつて何があったか伝えるため。それだけだと思っていた。

 だが、そうではない。

 ここからなら、紬が昔住んでいた家までは、すぐに行ける距離。つまり、そこに住んでいる母とも、会おうと思えば会うことができるのだ。

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