第20話 玉藻の当主

 玉藻沙紀たまもさき

 それが、玉藻家の現当主の名前だった。


 アヤカシの世界で代々続く名家の当主。紬はそう聞いてずっと、常定のような中年の男か、あるいはもっと歳をとった老人を想像していた。

 なので詩から、今の当主が女性だと聞いた時は驚いた。


 女性でも当主になれるのかと尋ねると、最も力を持つものであれば、男も女も関係ないとのことだった。


 つまり、ここに集まった何人ものアヤカシの中で、一番の力を持つ者。

 それが、目の前にいる彼女だ。


「挨拶に来るのが遅れてしまい、申し訳ありません。月城家の娘、紬にございます」


 詩と一緒に沙紀の目の前までやって来て、膝をつき挨拶をする。

 間近で見た沙紀は意外なくらい若々しく見えたが、外見の印象がそのまま実際の年齢に当てはまるのかはわからない。


「よいよい。そんなことより顔を上げて、もっとよく見せてみよ」

「は、はい」


 言われるがまま、顔を上げる紬。

 すると、いつの間に近づいたのだろう。ついさっきまでわずかに離れて座っていたはずの沙紀の顔が、張り付くつらいの距離にある。


「わっ!」


 思わず声をあげて後ずさりしそうになるが、その前に沙紀の手が伸び、紬の背中に回された。

 そのまま引き寄せられ、さっきまでよりさらに密着する。

 ますます驚く紬を見て、沙紀はニヤリと笑った。


「ほう、なかなかの器量良しじゃな。それに、良い霊力の匂いがする。詩に譲るのではなく、私の嫁としてもらった方がよかったかの?」

「えっ!?」


 一瞬、紬の頭に同性婚やパートナーシップというのが浮かんだが、恐らく彼女が言っているのはそういうことではないのだろう。

 妻とは名ばかりの、霊力をいただくための生贄同然の存在。

 そういう意味だ。


 彼女の笑顔が、ご馳走を前にした獣のそれと同じように見えた。


「ご当主様。夫の目の前で妻に手を出そうとするのはおやめください」


 そんな沙紀を諌めるように、詩が声をあげる。

 さらに二人の間に手を入れ、紬を後ろに下がらせた。


「なんじゃ。妬いておるのか?」

「それはもう。ずっと待ち望んでいた愛しの妻ですから。ねえ、紬」


 詩が紬の霊力には興味はないというのは、他の玉藻の一族にも、既に話してあるという。

 霊力を得るための餌ではなく、一人の女性として愛する。そのことを強調させるように、紬の肩に手を置き、丁寧に抱き寄せた。


(ち、近い……)


 詩とは夫婦とはいえ、未だその関係は形だけのもの。

 ここまでくっつく機会など滅多にないが、ここで動揺するわけにはいかない。

 本当の夫婦にはなっていないなど、この場で知られても良いことなどないだろう。

 なのでここでは、仲睦まじい夫婦を演じようと、事前に決めていた。


「……ありがとう、詩」


 恥じらいながらも、詩の手を取り、嬉しそうに笑う……フリをする。

 しかし、心の中はとても笑ってなどいなかった。


(今の、おかしくなかった? 夫婦って、こういうので合ってる?)


 周りに仲睦まじい夫婦と思わせるためには、演技だってする必要がある。

 それはわかっているのだが、具体的にどうするのが正解かなどわからない。


 変に思われなかっただろうか。

 恐る恐る沙紀の様子を伺うと、彼女はクククと笑っていた。


「霊力をいただくのではなく、妻として愛するか。そういえば、そんなことを言っておったの。私には思いもよらぬこと故、すっかり忘れておった」

「何を言いますか。最初に月城家と盟約を交わした遥か先代の当主は、花嫁を愛したそうですよ」

「そうであったな。我らが祖先とはいえ、酔狂なことよ。酔狂といえばお主の親もそうであったが、お主のそれは親ゆずりといったところか」


 沙紀はそこまで話すと、一度言葉を切り、詩と紬を交互に見た。


(親ゆずりって、どういうこと?)


 沙紀の言った言葉の意味がわからず、詩を見る。しかし彼は何も言わず、質問しようにも、とてもできるような雰囲気ではなかった。


 ただ、前に喜八が、詩の親について何か言いかけていたのを思い出す。

 といっても、話の途中で詩の母という言葉が出てきただけで、詳しいことは何も聞けずに終わってしまったのだが。


(お母さん……)


 心の中で呟くと、体の奥底から、なんだか落ち着かない気持ちが込み上げてくる。言いようのない苦しさが、溢れそうになる。


 だがこれは、詩とは全く関係ないことだ。母親という存在に、自分が勝手に反応しただけ。それよりも、目の前のことに集中しなくては。

 そう自分に言い聞かせて、続く沙紀の言葉に、耳を傾ける。


「しかしのう、詩。お主がいくらその娘を愛そうと、月城の娘を嫁としてもらうのは、あくまで玉藻家の当主。今のお前は、筆頭とはいえその候補にすぎない。そして、お前に当主が務まるのか疑っている者は、少なからずいるようじゃぞ。例えばそう、この場にもな」


 その瞬間、広間をどよめきが包む。

 どうやら今の言葉は、この場にいる誰にとっても予想外のものだったらしい。


「あの、ご当主様。恐れながら、そのような言葉は今この場では相応しくないのでは……」


 近くにいた一人がやんわりと口を挟むが、沙紀は少しも気にした様子はなく、むしろ心外だと言うように鼻を鳴らした。


「私はただ、一族のこれからを思っておるのじゃ。せっかくこうして、当主に捧げられる極上の品がやってきたのじゃ。誰が当主に相応しいか、話し合うには良い機会だと思わぬか?」


 そう言うと、口を挟んだ相手もそれ以上は何も言えなかったようだ。

 紬としては、自分を物同然に扱うような言い方は気に入らなかったが、ほとんどのアヤカシにとって人間がこの程度の扱いだというのは知っている。


 ぐっとこらえて詩を見ると、彼も顔をしかめていたが、すぐに笑みを浮かべた。


「何を今更。次の当主に最も相応しいのは俺でしょう。沙紀様も、それを認めたから紬を俺のところに住まわせたのではないですか。不満に思う者がいるなら、ぜひ話を聞いてみたいものです」


 そうしてこの場に集まった一同を見渡すが、みんなすぐには何も言わない。


 腹の内はどうか知らないが、さすがに面と向かって文句を言うことはできないのか。そう思った時だった。


「そういうことなら、言わせてもらおうか」


 それまで広間の端にいた男がスッと立ち上がり、挑むような目をしながら、詩の前へとやってきた。

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