玉藻の家の総本山

第17話 玉藻の本家

 紬が詩と結婚し、一ヶ月がすぎた。

 結婚と言っても名ばかりのものだが、それでも今の彼女が詩の妻であることには変わりない。


 アヤカシの世界の中では名家と言われる玉藻家。その次期当主の妻である。

 しかし彼女の生活は、そんなところに嫁いだ者とは、とても思えないものであった。


「これでこの部屋の掃除は終わり。忍さん、あと、やってないところってあったっけ?」

「いえいえ。もう十分ですから、あとはゆっくり休んでください。朝からずっと働きっぱなしじゃないですか」


 忍の言う通り、紬は朝からずっと、食事の用意や掃除などといった家事全般をやっていた。しかも、最近はほとんど毎日こんな調子だ。

 とはいえ、うまくやれているかと言われると、自信が無い。


「ごめんなさい。私、手際悪いでしょう」


 今まで家事などろくにやったことのない身だ。本来これらをやるべきはずの使用人と比べると、どうしても見劣りしてしまう。


「そんなの気にしなくていいんですよ。私なんてここで働いてすぐは失敗ばかりでしたし、だいいち、こんなの本当は奥様にやらせることじゃないんですよ」

「だから悪いと思ってるのよ。あなたたちの仕事に、横から割って入ったようなものでしょ」


 何もしないのは申し訳ない。自分にも何かできることはないか。そう思って始めたが、本来やるべき者がいるのに自分がやるとしゃしゃり出るのは、それはそれで迷惑ではないかと思ってしまう。

 だが、それを聞いた忍は、口も目もないつるんとした顔で、ハハハと笑った。


「そんなの気にしなくていいんですって。私は奥方なんだから使用人なんてこき使って当然。って感じてふんぞり返られるより、ずっといいですよ」

「そんなことするわけないじゃないでしょ!」


 いくらなんでもそんな失礼なことできるわけがない。

 いや、月城の家の人間はだいたい使用人に対してはそんな態度だったのだが、それを間近で見てきたからこそ、そうはなるまいと思う。


「そもそも奥方と言っても、詩とは本当の夫婦とって言えるようなもんじゃないんだから」

「あらら。未だに詩様には惚れませんか。けどまあ、その辺は気長に考えてくださいな」


 そこまで話すと、忍はそれ以上、紬と詩との仲については何も言ってこなかった。

 彼女だけでなく、この家の使用人たちは皆、二人が本当の夫婦になれるか、紬が詩のことを好きになるかについては、何も言わずに見守ってくれていた。


 そんな中、屋敷の玄関の方から、突然大きな声が聞こえてきた。


「詩様はいますかーっ! 至急伝えたいことがありまーす!」


 声の主は喜八だ。昨日から詩に用事を言い渡されて出かけていたのだが、帰ってきたようだ。


「なに言ってんだい。詩様ならこの時間は仕事に行ってるに決まってるじゃないか」

「いけね。そうだった」


 玄関まで出ていった忍が呆れたように言うと、喜八はしまったという顔をして、もう一度出て行こうとする。

 しかしその慌てた様子を見て、忍が興味を持ったようだ


「ちょっと待ちなよ。そんなに急いで何があったんだい」

「急いでるってわかってるなら行かせてくれよ。いや、でも待てよ。紬様になら、先に話しておいてもいいか?」

「えっ。私?」


 紬はそこまで興味があったわけではないが、自分の名前が出てきたのならさすがに気になってくる。


「私にも関係してることなの?」

「大ありですよ。なにしろ、紬様を玉藻の本家に連れて来いって言われたんですからね」

「玉藻の本家?」


 本家というのは、今までにも何度か聞いたことがある。

 玉藻家の次期当主である詩だが、ということは、当然今当主を務めている者は別にいる。

 その現当主が住んでいて、一族の中心となる場所。それが本家だそうだ。


「ええ。あっしが昨日から使いに行ったのが、その本家なんですよ。と言っても、それ自体は大した用事じゃありやせん。けどその時、ご当主様に言われたんですよ。結婚して一ヶ月も経つのに、未だに嫁の顔も見せに来ないとは何事だ。もうすぐ一族を集めた宴会を開くから、嫁と一緒に絶対に参加しろってね」

「えぇ……」


 なんとも大変そうな話だが、当主とやらの言い分も理解できる。

 人間だって結婚すれば、普通は相手の親や親戚に挨拶するだろう。

 しかもこの結婚は、玉藻家と月城家という、家同士の盟約の下行われたものなのだ。


「じゃあ、私もその本家に行かないといけないね」

「そうですね。詩様がうまいこと言って断ってくれるならともかく、こいつは難しいかもしれません。というわけで、今から詩様にもこれを伝えに行ってきます」


 喜八はそこまで話すと、再び屋敷を出ていった。


 いつもならもっと遅い時間に帰ってくるはずの詩が喜八を連れて帰ってきたのは、それからしばらくしてからのことだった。


 普段なら、帰ってくると真っ先に紬の所へやって来て、笑顔でただいまと言うのだが、この日は珍しく表情が硬かった。

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