生贄花嫁はアヤカシ狐からの溺愛を受け入れられない

母と子

第42話 醜き本性

　月城家当主、月城常貞。彼はここしばらくのところ、すこぶる上機嫌だった。

　それもそのはず。百年に一度、霊力のある月城の娘をアヤカシに嫁がせるという、先祖代々の使命を果たすことができたのだ。

　もしもこの使命を果たすことができなければ、月城家は、そして当主である自分は、どうなるかわからない。そう不安になったこともあったが、それももう過去の話。あとは約束された繁栄の下、好きなだけ贅沢をして面白おかしく暮らしていけばいい。

　百年後は、今度こそ月城家から霊力を持った娘が完全にいなくなるかもしれないが、そうなる前に自分はとっくに死んでいるだろう。後のことなどどうでもよかった。

　しかしこの日は、そんな彼の機嫌が珍しく悪かった。

　その元凶は、突然家に訪ねてきた、綾野志織。アヤカシに花嫁としてくれてやった、紬の母親だ。

　実は少し前から何度も訪ねてきては、その度にあれこれ理由をつけて会わずにいたのだが、それももう限界だった。

　仕方なく客間に通し向かい合って座ると、志織が早速口を開いた。

「あの子に……紬に、会わせてください」

　やはりそうかと、心の中でため息をつく。突然尋ねてくるなど、それ以外考えられない。

　だが、もちろんそんなことできるわけがない。紬は、既にこの家にはいないのだから。

「困りますな。あの子はもう月城の娘で、あなたとはなんの繋がりもない。そういう約束で私が引き取ったのではないですか」

「なら、せめて遠くから一目だけでも姿を見せてください」

　志織の目には並々ならぬ意志を感じ、そう簡単に引き下がるとは思えなかった。

　それを見て、常貞は心の中でチッと舌打ちをする。

　紬がいなくなって間もないうちにこんなことになるなど、偶然とは思えない。

　もしかすると彼女は、どこかで知ったのかもしれない。紬が、この家から姿を消したことを。

　実は常貞が紬を引き取ってからも、志織とは時々連絡をとり、紬がどうしているか近況を教えてはいた。そうでもしないと、志織が納得しなかったからだ。

　アヤカシから紬を守る。時々近況を報告する。かつてその二つを熱心に伝え、ようやく説得することに成功したのだ。

　しかし本音では、アヤカシの花嫁にできる紬さえ手に入れられれば、あとはどうでもよかった。

　最初のうちこそ、紬は楽しくやっているといったそれらしい嘘を並べていたが、次第にそれも面倒になり、どんどん嘘が雑になっていった。

　それを、志織は怪しいと思ったのだろう。最近こそこそとあれこれ調べているらしいというのは知ってはいたが、その中で、最近紬の姿が見えないという話を聞いたに違いない。

（まったく。全て円満に終わったと思ったら、面倒なことだ）

　もう一度心の中で舌打ちをし、悪態をつく。

　志織の訴えも、彼にとってはただ煩わしいだけのものだった。

「残念ですが、それはできませんな。あの子はもうここにはおりません。とっくに、アヤカシの花嫁としてもらわれていきましたからな」

「えっ────!?」

　信じられないといった風に、志織の目が見開かれる。

　少し前までなら常貞もここまでハッキリとは言わなかっただろう。だが全てが終わった今、取り繕うのも面倒だった。

「その反応。やはり兄さんは、あんたに何も話していなかったようだな。百年に一度、月城の家に生まれた霊力のある娘は、アヤカシに花嫁として捧げることになっているんだよ。兄さんはそんな我が家の風習に嫌気がさして家を出たようだが、その娘であるあいつは役に立ってくれたよ」

「そんな……」

　志織自身は、アヤカシに関してはほとんど無知だ。知っていることといえば、夫や娘である紬から、僅かに話を聞いただけ。アヤカシの花嫁などと言われても、詳しいことは何もわからない。

　だが、常貞の悪意のこもった様子から、良くないものだと判断するには十分だった。

「どういうことですか。あなたは、紬を守ってくれるんじゃなかったのですか！　なのに、どうしてそんなことに!?」

　立ち上がり、今にも掴みかかりそうな勢いで叫ぶ志織。

　だが彼女が怒ろうが嘆こうが、常貞にとっては取るに足らないことだ。

　ただ、月城家の当主である自分がこんな奴に怒鳴られてるというのは、面白くはなかった。

「うるさいやつだな。あんな不気味な娘一人に、ガタガタ騒ぐんじゃない！」

「なっ！」

「約束通り、守ってやったとも。大事な、アヤカシの花嫁としてな。そうでなければ、あんなやつとっくにアヤカシに食われて死んでたんじゃないのか。あんたもそう思ったから私に預けたんだろうが。その結果この歳まで生きながらえることができたんだ。十分だろうが！」

　常貞もまた、立ち上がり怒鳴りつける。その姿は、昔紬を引き取りたいと言ってきた時とはまるで別人だった。

　かつて信じた男の言い放った、あまりにも身勝手な言葉。それを聞いて、志織は一気に青ざめる。

「じゃああなたは、最初からそうするつもりで、紬を……」

「当たり前だ。でなければ、わざわざあんなのを引き取ったりするものか」

　ショックで畳に膝をつく志織。それを見ても常貞に一切悪びれる様子はなく、それどころか、嘲笑うような笑みを浮かべていた。

「あんたにとっても悪い話じゃなかっただろう。アヤカシが見え、騒ぎを起こすようなやつだぞ。本当は、いなくなって清々たんじゃないのか？」

「──あ、あなたという人は！」

　今度こそ、志織は常貞に掴みかかった。這うようにして擦り寄り、服の襟を握りしめる。

「紬は私の大事な娘よ！　紬を返して！」

　紬のアヤカシが見える力によって苦労を背負い込んだのは、一度や二度ではない。その度に、大変な思いをしてきた。

　だが、それで紬を煩わしく思ったことなど一度もない。何があっても、志織にとって紬は大切な我が子だった。それをこんな風に吐き捨てる常貞が許せなかった。

　だが、こんなことで堪える常貞ではない。掴んできた志織の手を振り解き、乱暴に突き飛ばす。

　畳の上に倒れた志織は、悔しそうに常貞を睨みつけた。

「そんなに大事なら、アヤカシの世界にでも行って取り返してきたらどうだ。それとも、無理やりアヤカシの嫁にさせられたと、世間に訴えてみるか？」

　そんなことできるわけがない。そうわかっていて、常貞は小馬鹿にしたように言う。

　胸の奥から、後悔が溢れてくる。

　なぜ、この男を信じてしまったのか。なぜ、行きたくないと言った紬の言葉を聞き入れなかったのか。

　絶望に打ちひしがれる志織を見下ろしながら、常貞はパンパンと手を叩く。すると、近くで待機していたのか、部屋の外から数人の男たちがやってきた。

「こちらの方がお帰りだ。外まで連れていってやりなさい」

　命令を受け、男たちが志織の腕を強引に掴み、無理やり引っ張って行こうとする。

「待って！　話はまだ──」

　抗議の声をあげる志織だが、常貞も男たちも、そんなものは聞いちゃいない。ただ、うるさく騒ぐ姿は目障りだった。

「痛い目にあえば、少しは大人しくなるかな。おいお前たち、そのまま取り押さえていろ」

　その言葉を聞いて、志織はさらに抵抗しようとするが、男たちの力は強くビクともしない。

　そして常貞は、そんな彼女の青ざめた頬を打ち付けようと、勢いよく手を振りあげた。

　しかし……

「うわっ！」

　志織を掴んでいた男たちが、突然声をあげて仰け反った。

　急に、嵐のよう強い風が吹き荒れたのだ。

　だが、ここは部屋の中。風など吹くわけがない。

「な、なんだ!?」

　常貞も、いったい何がおきたのかわからず目を丸くする。そして、すぐに次なる異変がおきた。

　急に男たちから手を離され、よろめく志織。その時、近くの部屋からドカドカと畳を蹴る音が聞こえてきた。

　そして、急に何者かが現れ、倒れそうになる志織を支えた。

　その者の顔を見たとたん、常貞は息を飲む。

「お、お前。どうして……」

　呆然としながら呟く彼の前に現れたのは、アヤカシの花嫁として送り出したはずの、紬本人だった。