第43話 再会

 突然現れ、母である志織の体を支える紬。

 それを、常貞は信じられないような目で見る。

 彼女がこの場にいるはずがない。それどころか、この世界にいるはずがない。そう思っていた。


 一方紬は、そんな常貞には目もくれず、ただ志織だけを見ていた。


(お母さん……)


 彼女に不吉な何かが迫っている。しかも、月城家が関わっているかもしれない。

 そう聞いてからの、紬たちの決断は早かった。


 母に会いたい。そして、もしも何か危ない目にあっているのなら、助けたい。

 どうしたいかと詩に問われそう答えると、詩はすぐさまアヤカシの世界に戻り、配下の者たちと駕籠を呼び寄せた。

 そうして紬はアヤカシたちの担ぐ駕籠に乗り、あっという間にここまでやってきたのだ。


 彼女にとっては、数年ぶりに見る母の顔。かつては見上げるくらい身長が違っていたが、今ではほとんど同じになっている。

 それだけ変わってしまったのだ。もしかすると、目の前にいる自分が娘だとわからないかもしれない。

 そんな不安から、言葉が出てこない。

 しかし志織は、そんな紬の顔を見て声を震わせる。


「あなた……紬なの?」


 一言、名前を呼ばれる。たったそれだけで、心が揺さぶられる。


 何か、何か返事をしなければ。

 しかし紬が何か言う前に、常貞が大声で怒鳴りだした。


「ば、バカな! どうしてお前がここにいる。まさか、アヤカシの世界から逃げてきたとでも言うのか!」


 紬がここにいることが、到底信じられないのだろう。

 同時に彼は、心の底から焦っていた。

 もしも紬が本当にアヤカシの所から逃げてきたというのなら、自分までアヤカシの怒りを買うかもしれないのだ。


「お前たち、こいつを捕まえろ! すぐに送り返さなくては!」


 我が身の破滅を恐れて、配下の男たちに命令を下す。

 だが男たちが動く前に、部屋の中に別の声が響いた。


「その必要はないよ。紬は、俺と一緒にここに来たんだから」

「だ、誰だ!?」


 その声は、すぐ近くから聞こえてきた。なのに常貞がいくら周りを見回しても、声の主はどこにも見当たらない。

 男たちも、志織も、何が起きたのかと困惑していた。


「ああ。霊力のない人間にも俺のことがわかるようにしたつもりだったけど、これじゃまだ声が聞こえるだけか。なら、これならどうかな」


 再び声が聞こえてきたかと思うと、常貞たちの目の前に、突如何者かが出現する。

 何もない空間から、いきなり現れた。常貞たちには、そう見えているだろう。

 だが紬にだけは、ずっと前から彼の姿が見えていた。

 狐の耳と尻尾のついたアヤカシ。詩の姿が。


 霊力のない人間は、アヤカシの存在を認識できない。だが特殊な術を使えば、そんな人間でもアヤカシ声が聞こえ、姿が見えるようになる。詩はその術を使い、全員に自分のことがわかるようにしたのだ。


「ひ……ひぃぃぃっ!」


 詩の姿を目にした途端、常貞が腰を抜かして後ずさる。

 驚いたのは、志織も同じだったのだろう。体をくっつけていた紬には、一瞬ビクリと震えたのがわかった。

 そんな彼女を安心させるように言う。


「大丈夫。大丈夫だから」


 一方、姿を現した詩は、ゆっくりと常貞に歩み寄っていく。

 咄嗟に、常貞配下の男たちが止めようとしたが、詩が手をかざしたとたん、彼らはまるで金縛りにあったように動けなくなってしまった。


「あ、あんたいったい何しに来た。約束通り、花嫁はくれてやったはずだろ!」


 荒々しく声をあげる常貞。しかし腰を抜かした状態でいくら叫んでも、まるで迫力などなかった。


「ああ、そうだな。素敵な花嫁殿をもらって、今は大事な俺の妻だ。それで今日は、そんな妻の家族に会いに来たんだ」

「か、家族だと……?」

「そう。言っとくけど、あんたのことじゃないから。あんたも、紬のことを家族なんて思ってなかっただろ。でないと、あんな扱いなんてできるはずがない」

「なっ──!?」


 詩の目が鋭く光り、常貞は心の底から恐怖した。


 詩の言うあんな扱いが何を指すのか、心当たりが多すぎた。

 紬に対する酷い扱いなど当たり前のようにやっていた。

 その挙げ句、最後はアヤカシのところに送って、全てお終い。そのはずだった。


「そして今度は、紬だけでなくその親にまで手をあげようとした。あんたが人に与えてきた痛み、自分でも味わってみるか?」

「ま、待て! 待ってくれ!」


 アヤカシの花嫁は、生贄と同意。そこに愛情など欠片も存在せず、二度と戻っては来れない。そう、先祖代々言い伝えられてきた。


 なのに、どうして紬は戻ってきたのか。どうしてこのアヤカシはこんなにも怒っているのか。常貞には何もかもわからない。

 わかっているのは、自分に危機が迫っているということだけだ。


「つ、紬! 私がお前を引き取らなければ、お前はとっくに死んでいたかもしれないのだ。わかるだろ!」


 すがるような思いで、紬に向かって声をかける。

 このアヤカシが何を考えているかは知らないが、紬を味方につければ、助かるかもしれない。

 ずっと見下してきた彼女にすがるなど、屈辱以外の何者でもない。だがどうにかなるなら、プライドなどどうでもよかった。


「私は、私は、お前のために必死で────」


 だが、喋るのに夢中で気づいていなかった。

 自分が叫べば叫ぶほど、紬の顔が、怒りと苦痛で歪んでいくのが。

 そして、それもとうとう限界を迎える。


「────うるさい!」


 紬の叫びが、その場にある全ての音を打ち消した。

 さっきまで喚いていた常貞は言葉を失い、部屋の中がしんと静まりかえる。


「……あなたが私にしてきたことも、お母さんを騙したのも、全部自分のためじゃない!」


 紬の声は震えていた。声だけでなく、体すべてが震えていた。

 月城の家に来てからずっと、常貞に逆らうことなど許されなかった。どれだけ酷い扱いをされても、受け入れるしかなかった。

 こうして向き合うと、積み重なった恐怖と恨みで、心が張り裂けそうになる。


「紬──」


 詩が、心配するような眼差しを送る。

 もしもここで、今までの恨みを晴らしてほしいと頼んだら、彼は協力してくれるだろうか。そんな思いが頭をよぎる。

 だが…………


「私にも、お母さんにも、二度と関わらないで! これ以上何かするようなら、絶対に許さない!」


 涙を流しながら、そう言い放つ。

 詩に頼めば、積もりに積もった恨みを晴らしてもらえるかもしれない。しかし、そんなことは口にしなかった。


「いいの、それだけで?」


 確かめるように、詩が聞いてくる。

 いいと、すぐに答えることはできなかった。

 復讐してやりたいと、何度思っただろう。これを逃せば、その機会を永遠に失うかもしれない。


 だが、自分が有利な立場になったとたん、それを利用し、虐げる。それは、ずっと憎み続けてきたこの男と同じような気がした。


「私は、こいつみたいにはならないから」


 許すなんてきれいな感情ではない。心の底から憎い相手と同じところに落ちるのが、どうしても嫌だっただけだ。


 そんな紬の気持ちを、詩がどこまで理解したかはわからない。

 ただ、そうかと小さく頷き、常貞に向き直る。


「紬がこう言ってるんだ。俺も、あんたとは二度と会うこともないだろう。本当なら、この場で八つ裂きくらいにはしたいけどね」


 その言葉を、常貞がどれだけまともに聞いていたかはわからない。

 恐怖でとっくに頭が回らなくなり、「あ……あ……」と、まるでうわ言のように声を漏らすだけだった。


 それから詩はパンと柏手を打ち、そこで更なる異変が起こる。

 部屋の中から見える、月城家の庭。そこに、新たなアヤカシが現れた。

 詩の配下のアヤカシたちが、駕籠を担いで並んでいた。


「さあ、帰ろうか、紬」


 詩はそう言って、紬の手を取る。呼び寄せた駕籠に、彼女を乗せようとする。

 だがそれを見て黙っていられない者がいた。志織だ。


 このまま紬が駕籠に行ってしまったら、今度こそ会えなくなってしまうかもしれない。

 そう思うと、黙ってなどいられなかった。


「待って! あの……紬と、話をさせてもらえませんか?」


 すがるように、詩に頼む。

 彼女にしてみれば、見ず知らずの相手。初めて目にしたアヤカシだ。恐れはもちろんある。

 それでも、何もしないで紬と離れたくはなかった。


「もちろんです。けどここでは落ち着いてできないでしょうから、場所を移しませんか?」


 そんな詩の言葉と共に、志織の前に、一台の駕籠が止まる。

 アヤカシたちの担いでいた駕籠は、全部で三台。まるで、最初からこうなることを予期していたかのようだ。

 さらに、紬がたどたどしい口調で言う。


「大丈夫。みんな、信用できると思うから。だから、その……話があるなら、来て。む、無理にとは言わないけど……」


 それからは困ったように口を閉じてしまったが、これでもう、志織の心は決まった。


「どうか、お願いします」


 そうして志織は、深く頭を下げた。

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