第7話 幸せな家族

 霊力のある娘を生贄として差し出す。

 そんな、虫唾が走るような盟約を月城の先祖と共に結んだ、狐のアヤカシの末裔である詩。

 彼も、力を得るため霊力のあるこの身が欲しくて仕方ないのだろう。

 自分のことなど、ただの餌としか見ていないに違いない。

 ずっと、そう思っていた。

 だが……


(どうしてそんな、悲しそうな顔をしてるのよ)


 紬にとってアヤカシとは、人間を餌としてしか見ないような怪物だ。

 そんな餌が自分に逆らい逃げ出したのだから、きっと怒っているものと思っていた。


 なのになぜ、こんな表情で自分を見ているのか。

 自分が傷つけてしまったのか。罪悪感が、僅かに胸に灯る。

 たが、すぐにそれを振り払う。


「餌を捕まえることができて、よかったわね」

「えっ……?」

「あなたが欲しがってた、霊力のある人間っていう餌があるのよ。喜びなさいよ」


 皮肉たっぷりに悪態をつく。わざと怒らせるようなことを言う。

 一度逃げ出した上に、頬まで引っぱたいたのだ。今更しおらしくする気は無い。


 どんな顔をしていようと、所詮は力を求めるだけのアヤカシ。自分たちの欲望のため全てを奪った月城のやつらと同類だ。

 その本性を暴いてやろうとする。こうすることで、怒らせ、殺されるのなら本望だ。


 しかし、詩は困った顔をする。


「えっと……とりあえず、ごめん」

「とりあえずって、何を……うわっ!」


 困惑する紬を、詩は問答無用で抱え上げる。

 暴れる紬だが、体をがっしりと掴む詩の力は強く、少しも抜け出せそうになかった。


「とにかく、いつまでもここにいるわけにはいかない。話ならちゃんと聞くから、今だけは大人しくしてて」


 そう言うと、詩は紬を抱えたまま走り出す。

 紬は大人しくする気など全くなかったが、一度走り出したら、怒鳴ることも暴れることもできなくなった。

 走る速度が、尋常でなく早いのだ。

 まるで風になったように街の中を進んでいき、見える景色が目まぐるしく変わっていく。


「大丈夫。絶対に落とさないから安心して」


 詩はそう言いながら、速度を落とすことなく駆けていく。

 そして間もなく、街の奥にあるひとつの家、いや屋敷の前へとたどり着いた。

 ずっと暮らしていた月城の家も大きさはかなりのものだったが、こちらも決して負けてはいない。

 その中に、詩は紬を抱えたまま入っていく。

 するとすぐに奥から、何体ものアヤカシがやってきた。

 身なりからして、どうやらこの家の使用人のようだ。


「詩様!? 花嫁様を迎えに行かれたのではなかったのですか?」

「いや、花嫁様はそこにいるだろう」

「では供の者たちは? 置いてきたのですか?」


 皆、二人の様子に目を丸くしている。

 まさか迎えに行った花嫁が途中で逃げ出し、一人で捕まえて来たとは想像もできないだろう。


「ちょっと色々あったからね。一緒に行ってたみんなにも、ちゃんと伝えておかないとな。誰か使いに行って、紬は無事だから屋敷に戻れって伝えてくれる?」

「は、はい。かしこまりました」


 使用人たちは戸惑いながらも頷くと、すぐに何人かが使いに走る。

 それから詩は、紬を抱えたまま屋敷の奥の部屋へと入っていく。

 広さはそこまでなく、床に敷き詰めてある畳を数えると、六畳。

 そこでようやく、紬は床に下ろされた。


「バタバタしてごめんね。よかったら、お茶を持ってこさせるけど……」

「いらない」


 まだ詩が言い終わらないうちに、ハッキリと断る。

 態度が悪いのは百も承知だが、好かれようなどとは思っていない。

 彼女の身に降りかかった不幸の一端は詩が担っているようなものなのだから、無理もない話だ。


 だがそれでも、茶を進めた時の気遣うような顔。それを断った時の困ったような顔を見ると、つい困惑してしまう。


 彼にとって自分は餌みたいなもののはずなのに、どうしてこんな表情を向けるものなのだろうか。

 そう思っていると、突然詩が頭を下げてきた、


「まずは、逃げ出すくらい、死んでもいいって思うくらい、苦しい思いをさせてごめん。けど、俺の話を聞いてほしい」

「な、なによ」


 話すことなど何も無い。本当なら、すぐにそう言いたかった。

 だがこうして頭まで下げれれると、どうにも調子が狂う。

 こうまでしているのに話すら聞かず断るのは悪いのではないか。そんな気持ちが湧いてくる。


「話したければ、勝手に話せば」


 相手が狐なだけに、化かされているのではないか。

 そんな警戒心を抱きつつ、それでも一応、詩の言葉に耳を傾ける。


「その前に聞きたいんだけど、紬は、俺が霊力目当てに紬を欲しがってると思ってる?」

「当たり前でしょ。アヤカシに嫁入りするっていうのは、そういうことなんだから」


 月城の先祖が残した記述にはそう書いてあり、常貞や寧々からも、お前はそうなる運命なのだと言われ続けてきた。

 先程街で出会ったアヤカシたちも、紬の霊力を感じとったとたん、食おうとしてきた。

 これで違うと言われても、到底信じられない。


「それは半分本当で、半分嘘」

「半分?」

「あっ、いや……八割くらい本当かな。ううん。本当だったって言った方がいいかも」

「どういうことよ?」


 八割も本当だというなら、紬の置かれた状況は、やはりろくなものではないだろう。

 とはいえ、これではわからないことだらけだ。


「最初に月城家と盟約を結んだ当時の玉藻家の当主だけど、元々は人間と交流を持ちたかったらしいよ。その思いを子孫にも伝えるため、百年に一度嫁入りさせるって約束を取り付けた。それと引き換えに、人間の世界で悪事を働くアヤカシがいたら、退治するって約束もつけてね」

「なら、アヤカシへの嫁入りは生贄みたいなものだってのは、嘘なの?」

「だったら良かったんだけどね。それから百年後。次に月城の家から花嫁を娶った玉藻の当主は、花嫁の霊力だけが目当てだった。餌みたいなものとしか考えていなかった」

「なによそれ」


 いったいどうしたら、そこまで極端に変わるのか。

 嫌悪感を顕にした紬を見て、詩は申し訳なさそうに話をつづけた。


「最初に決めた盟約で、花嫁を娶るのは、その時の玉藻家の当主か、次の当主になる者って決まってたんだ。けど玉藻家の当主ってのは、血筋でも思想でもなく、力で決まる。一族の中で一番力のある者が当主になるんだ。そうして当主になった奴が、人間と交流を持ちたがっているとは限らない」

「人間のことを、餌としか見てない奴が、当主になることだってあるわけね」

「うん。と言うか、歴代の当主のほとんどは、だいたいそんな感じ」


 紬にとっては、非常に不愉快な話だ。

 やはり、妖怪の花嫁とは生贄のようなもの。

 最初の一人は知らないが、これでは月城の家に伝えられてきたのとほとんど変わらない。


 だが落胆する紬に向かって、詩はさらに言う。


「けどね。俺は、最初の一人みたいに、もっと人間と歩み寄りたいと思ってるよ。もちろん、俺と一緒になる人は、幸せになってほしいから、望んで俺の妻になってほしい。それが、俺の望む結婚だよ」

「──っ!」


 真っ直ぐに見つめられ、紬の中になんとも言えない気恥ずかしさが湧いてくる。

 これまで、生贄として捧げられるだけとしか思っていなかった結婚。その相手から、こんなことを言われても、どう受け止めていいのかまるでわからない。


「れ、霊力が目当てじゃないなら、私じゃなくてもいいでしょ。アヤカシはアヤカシ同士で結婚すればいいじゃない」

「言っただろ。俺は、もっと人間と歩み寄りたいって」

「そのために、私と結婚しようって言うの?」


 紬の言葉に、詩はそこで一度話すのをやめ、そっと紬の頬に手を触れる。

 グッと近くに寄ってきた顔がほんのり微笑むのを見て、思わずたじろぐ。


「それもある。けどね、俺は他の誰でもなく、紬と一緒になりたい。俺が紬を好きになって、紬にも、俺を好きになってもらって、幸せな家族になっていきたいんだ。ダメかな?」

「家族……」


 ドクンと、紬の胸が大きく高鳴る。

 優しそうに語りかける詩の姿を見ると、思わず絆され、頷いてしまうかもしれない。

 そのくらい、彼の表情は優しく美しいものだった。


 だが…………


「や、やめて……」


 か細く震える声が、紬の口から零れる。


「そんなこと、できるわけない」


 そう言った紬の顔は、詩とは対照的に、驚くほどに青ざめていた。

 まるで凍えるように、全身を小刻みに震わせていた。

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