第27話 夢という牢獄
次に紬が気がついた時、彼女は何も無い真っ暗な空間に立っていた。
本当に何もなく、闇が無限に続いているようだ。
「ここ、どこ?」
こんな場所、どう考えても普通ではない。できることならすぐに退散したいが、どこへ行けばいいかもわからない。
もしかすると、ずっとこんな暗闇の世界をさまようのではないか。そんな不安が頭をよぎる。
だがその時、突然目の前に、パッと複数の人影が出現する。
それを見て、紬は目を見開いた。
「なんで? どうしてあなたたちがここにいるの?」
現れたのは、常貞や寧々、紅葉といった、月城家の者たちだった。
しかし彼らは、紬が声を挙げてもなんの反応もない。さらにそこに、新たにもう一人現れた。
「これって、私?」
現れたのは、紬自身。正しく言うなら、今より僅かに幼い頃の彼女だった。
そんなかつての紬に向かって、常貞たち月城家の面々は、口々に罵詈雑言をぶつけていた。
「────っ!」
それを見て思い出す。これは、かつて自分が実際に体験したことだ。
彼らの虫の居所が悪い時、今のように酷い言葉をぶつけられたことが何度あっただろう。
それだけではない。彼らが一度姿を消したかと思うと、次はさらに幼い姿の紬が現れる。
同時に、それまで真っ暗だった景色が、みるみるうちに変わっていく。気がつけば、紬は蔵の中にいた。月城家にある、常貞たちに躾と称され何度も閉じ込められた場所だ。
そんな蔵の戸を、幼い紬は泣きながら何度も叩いていた。出してと叫びながら、何度も何度も。
それからまた辺りの景色が変わり、かつての自分の姿をいくつも見せられる。そのほとんどが月城家での地獄のような日々であり、見る度に胸の奥がズキズキと痛む。
もうこんなもの見たくない。そう思い、目をそらそうとした時だった。
「紬────紬────」
「紬────紬────」
どこからか、自分を呼ぶ声が聞こえてくる。ひとつは、幼い男の子の声。もうひとつは、優しい雰囲気の女性の声だ。
そしてまたも景色が変わる。今度は、月城の家でもその周辺でもない。のどかな田舎の風景だった。
「ここって……」
ここもまた、今までと同じように紬の記憶にある場所だ。
ただしその記憶は、今まで見てきたどれよりも古い。ここは、紬が月城の家で暮ら前に過ごしていた場所だった。
離れて以来、訪れたことは一度もない。だがこうして目にすると、当時の記憶が蘇ってくる。
ここでの思い出も、全てが良いものだったわけではない。
だが月城の家とここでは、決定的に違うものがあった。ここには大切な人が、大好きな人がいた。
「紬────紬────」
「紬────紬────」
また、さっきの声が聞こえてくる。
男の子の声は、誰のものなのかわからない。ずっと昔に聞いたことがあるような気がするが、頭にモヤがかかったみたいになって、思い出せない。
だが女性の方は、誰だかわかった。いや、本当は、最初に聞こえた時からわかっていた。
そんな紬の心に反応するように、目の前に新たな人影が現れる。
それは、一人の女性。さっきから聞こえていた声の主だった。彼女は目に涙を浮かべていて、だが同時に笑っていた。紬に向かって、これ以上ないくらいの笑顔を向けていた。
「紬、会いたかった。あなたとまた会える日を、ずっと待っていたのよ」
対して紬は、目を白黒させながら、一言発するのがやっとだ。
「お、お母さん──?」
離れ離れになって、どれくらい経つだろう。月城家に引き取られてから今まで、一度も会ったことはない。もう二度と会えないと思っていた。
そんな母が、目の前にいる。
どうしてここに?
そんな疑問を抱いたその時、彼女は紬を抱きしめた。
「ごめんなさい。本当は、ずっとあなたを迎えに行きたかった。一緒に暮らしたかった」
そんな言葉とともに、抱きしめる力が強くなる。
その瞬間、どうしてここにいるのかという疑問が、紬の中から消えた。
それよりも、また会えたことが、母が会えたのを喜んでくれていることが、どうしようもなく嬉しかった。
「お母さん────お母さん────」
それ以外の言葉を忘れたみたいに、ひたすらに呼び続けた。
目から涙が溢れ、顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、紬もまた抱きしめる。まるで子どもに戻ったように甘える。
父親の顔も知らない紬にとって、彼女はたった一人の家族だった。
楽しいことがあった時は一緒に笑い、怖い目にあった時は慰めてくれる。そんな、単純で当たり前の幸せをくれた、紬にとって誰よりも大切で大好きな人だった。
「ずっと会えなくてごめんね。でも、これからはずっと一緒だから」
「ずっと、一緒?」
「ええ、そうよ。この世界なら、ずっと一緒にいられるわ。紬、大好きよ」
自分たちのいるこの世界がなんなのか、紬にはわからない。
だが、そんなものはどうでもいいと思った。
ここなら、大好きな人と一緒にいられるのだ。なら、永遠にここにいた方がいいに決まっている。
母の腕に包まれた紬は、間違いなく幸せだった。
ズキリと、胸に大きな痛みが走る、その時までは。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
自らの腕の中で眠る紬を、古空は満足気に笑いながら見つめていた。
きっと今頃、幸せな夢を見ていることだろう。記憶と感情をを探り、そこから本人の願っている理想の光景を夢として見せる。そんな幻術をかけたのだから。
抜け出すとしたら、自分が術を解くか、これは夢や幻なのだと、心から思うしかない。
だがそんなことは不可能だ。自分が術を解くなど有り得ないし、夢で見ている光景がどんなにおかしなものであったとしても、目の前に幸せがあるのなら、人はそれを疑うのを恐れる。この幸福が嘘であると、認めたい者などこにもいない。
故に、彼女は永遠に夢の世界に囚われ続けることになる。自分に連れさらわれても、霊力を吸い取られても、心は夢の中にあり、何が起きているかもわからない。
霊力を吸われ続けるだけの、人形の完成だ。
「君も満足だろつ。永遠に幸せを感じていられるのだから」
それから、そばにやって来た、自らの配下であるアヤカシたちを見渡す。
いつの間にか、先ほど紬の行く手を塞いだ者たち以外にも、かなりの数が集まってきていた。
「さて。見ての通り、月城の花嫁を手に入れた。これだけのことをしたら、ご当主も黙ってないだろう。当初の予定通り、これより我々は玉藻の家を出奔し、野に下る。しかし嘆くことはない。これは、我らの悲願を果たすための大きな一歩となるだろう」
その言葉に、配下のアヤカシたちが一斉に頷く。
今ここで紬の霊力を吸い尽くしても、詩や当主である沙希をしのぐだけの力を得られるかはわからない。
だが、身を隠した先でゆっくり時間をかけて吸い取り続ければ、いずれそんな力を手に入れることができる。
ここに戻ってきて当主の座を奪うのは、それからでいい。
紬を抱えたまま、そっと城の外へと抜け出す。
この城には多数の警備がいて、本来なら簡単に抜け出せるものではないのだが、その警備の大元を任されているのが、他ならぬ古空だった。
誰かに咎められることもなく、簡単に外に出ていく。
上手くいく保証などどこにもない計画だった。無理と思えばすぐにやめ、また次の機会を伺うつもりでいたのだが、運良く全てが上手くいっていた。そのことにほくそ笑む。
しかし、その時だった。どこからか、激しい足音が聞こえてきた。
「ちっ。そう、全てが思い通りにはいかないか」
小さく舌打ちをすると、足音のする方に向き直る。最初は小さかった足音が、だんだんと大きくなり、すごい勢いで近づいてきているのがわかる。
そして、思っていた通りの相手が現れた。
「来たか。このまま気づかれずに出ていけたら、楽だったのだけどね」
古空はもう一度舌打ちをすると、やって来た相手を、怒りの形相で自分を見る詩を、冷ややかな目目で睨み返した。
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