33.レオノーラの妹とお子様ランチ
年頃は八、九歳といったところだろうか。藍色をしたセミロングの髪と、陶器人形を思わせる白い肌に愛らしい顔立ちが印象的だ。
清潔感のある若草色のワンピースは見るからに上質な生地で仕立てられていて、少女の身分が高いことがうかがえる。
その証拠に、執事服をまとった老人が手を差し伸べて、少女が馬車から降りるのを手伝っていたし。
で、降り立った少女がなにをしているかと言えば、物珍しげに店の外観とキョロキョロと眺めているわけだ。……お客さんにしては、なかなか店の中に入ろうとしないなあ。
「なんや、様子見とるみたいやし、迎えいったらどないや?」
栗の渋皮煮を行儀悪く指でつまんだクローディアは、それを口へ放り込みながら呟いてみせる。それもそうだなあと考えた俺は、ラテを呼び寄せると、少女の元へ足を運ぶのだった。
***
店の扉を開ける音に気付いたのか、外に出た俺たちを待っていたのは、観察するような眼差しの少女と、一歩下がった場所で佇立する老執事が頭を下げる様子だった。
「黒猫を連れた、これといって特徴のない、しいて言えば穏やかそうな黒髪の男性。……貴方がトオル・シラユキ様ですわね?」
非礼と丁寧が半々といった口調は、少女の可憐な容姿とは不釣り合いで、そのギャップにいささかの意表を突かれた俺が立ちすくんでいると、老執事が少女に声を掛けた。
「お嬢様。まずご自身から名乗りを上げて、お相手の名前を伺うのが、
「そうでしたわっ。私としたことが、お恥ずかしい」
少女はそう言うと、ワンピースの裾をちょこんとつまみ、優雅な動作で一礼してみせる。
「初めてお目に掛かりますわ、私、サラと申しますの。こちらは執事のセバスですわ」
「俺は白雪透、こちらの猫はラテ……って、どうして俺の名前を知っているんだ?」
「当然ですわっ。お姉様から、つねづねお話を伺っていますもの」
エヘンと胸を張るサラは自信満々といった様子で、俺はといえば、どこかで聞いたことのある少女の名前を脳内で繰り返した。
サラ? サラ、ねえ? ここ最近、誰かの口から聞いた名前だったんだけど、と、考えること数秒。やがて脳裏に現れたのは、藍色をしたポニーテールの女剣士の顔だった。
『そうか。エリーが聖女を辞めるのだったら、サラが寂しがるな』
「……もしかして、きみ、レオノーラの妹さんか!?」
「大正解ですわぁ!」
両手を合わせるサラの笑顔は、レオノーラとは似ても似つかぬといった面持ちである。
驚きを隠せないといった俺の様子もお構いなしに、老執事はつかつかとこちらへ歩み寄ると持参した小包を差し出した。
「レオノーラお嬢様がいつもお世話になっております。こちら、ほんの気持ちですが……」
「あ、これはどうもご丁寧に……」
「にゃあ」
小包を受け取ると、感謝を伝えているのかラテがひと鳴きしてみせる。礼儀正しい黒猫に感心の眼差しを向けるサラを見やりながら、俺は店を指し示した。
「立ち話もなんだし、店の中へどうぞ。レオノーラは仕事でいないけど、ゆっくりしていって……」
「いいえ、お気遣いは無用ですわっ!」
遮るように声を張り上げたサラは、両手を腰に当て、それから挑戦するような瞳でこう続けるのだった。
「なぜなら、私、貴方のことを見定めにきたのですからっ!」
***
店の中に戻ると、そこにクローディアの姿はなく、量の減った栗の甘露煮が残されているだけだった。
正体を明かすことを嫌ったか、面倒事に巻き込まれるのを回避したのか――おそらく後者だろうけれど――とにもかくにも無人となった店内の内装を見渡しながら、サラは呟くのだった。
「なかなかに立派ですのね。匠のこだわりを随所に感じますわ」
「腕利きの大工が建ててくれたんだ。お褒めの言葉をいただいたと、本人にも伝えておくよ」
もっともレンドのことだ。「てやんでぇ、褒められるために店を建てたわけじゃねえや」とか言いそうだけど。
キッチンへ足を運んだ俺が椅子を勧めると、近くにあった丸テーブルの一脚をセバスは音もなく後ろに引き、サラは腰を下ろした。
さりげない所作に家柄の良さを感じ取りながら、お茶の準備に取りかかった俺は、ティーポッドを用意しつつ、そもそもの疑問を呈したのだった。
「その、さっき言っていた『見定める』というのはいったい?」
カウンターテーブルの一角に腰を落ち貸せたラテを興味深げに眺めていたサラは、こちらの問いかけにはっとなったのか、コホンと小さく咳払いをしてから続けてみせる。
「お姉様が同居するに相応しい相手か、確かめるために伺ったのですわっ」
サラの話をまとめると、つまりはこういうことらしい。
***
ある日突然、家を出ると訴えたレオノーラは、自分の荷物をまとめると引っ越しをしてしまった。
前触れのない引っ越しに不安を感じた家族だったが、幼なじみであるエリーと一緒に暮らすことがわかると胸をなで下ろした。
急に家を飛びだしたとしても、聖女と共に生活を送るのであれば問題はないだろう。
しかしながら、真相を知った家族は愕然とする。どうやら娘は聖女だけでなく、見知らずの男とも同居生活を送っているらしい。
しかも男は異世界から誤って召喚されたという庶民。由緒正しい家柄の娘が、どこの馬の骨ともしれない輩と、一つ屋根の下で生活を営んでいるというのは、看過できない事実であった。
その上、男は奇怪な料理を振る舞う飲食店を営んでいるそうではないか? そんな素性もわからぬ男のそばに娘をおくことはできない。
両親は家に戻るようレオノーラを説得したが、本人は頑ななまでに首を横に振る。いわく、
「透なら問題ない。安心して欲しい」
と、言って聞かない。
直接言ってダメだと悟った両親は、エリーに相談を持ちかけた。幼なじみから説得して貰えないだろうかと考えたのだが、エリーの返答もレオノーラとまったく変わらない。
どうしたものかと頭を悩ませている最中、ひとつの事件が勃発した。エリーが聖女を辞めると言い出したのだ。
エリーがそんなことを言い出したのも、異世界からやってきた男の影響だろう。家族の不安は頂点に達する。この分なら、レオノーラが騎士団を辞めるとも言い出しかねない。
それならば直接、男のことを調べてみよう。サラはセバスを伴って馬車に飛び乗ると、森の中にある店へ向かったのだった……。
***
……なるほど、つまるところ、俺の素性がわからないから調べに来たと、そういう話なのかな?
紅茶を差し出しながら尋ねる俺に、少女はニッコリとほほえみ返した。
「そういうことですわあ」
軽くめまいを覚えそうになるのをぐっと堪え、俺はどう言葉を返そうかと思い悩んだ。
そもそも素性調査っていうのは、相手に悟られないよう注意を払いながら、相手のことを調べないと意味がないんじゃないのか……?
そこらへんのところをどう考えているのだろうか? 多少、疑問を抱かないでもなかったけれど、この子は、あのレオノーラの妹であるのだ。
こういうことは直接相手に尋ねることが一番早い、そう思ったんだろうなあ、きっと。不器用というか真っ直ぐというか、そういうところはそっくりなのだろう。
考えながら、俺は佇立する老執事に椅子を勧めるのだった。来客には変わりないし、お茶でもどうかと思ったのだけれど、白髪の執事は軽く頭を下げ、
「申し出はありがたく。ですが、執事としての務めがある故、饗応を受けるわけにはまいりませぬ」
と、断られてしまった。うーん、しっかりしてるなあ。
それはそうと、ここへ来ることをレオノーラは知っているのだろうか?
「ここへ来ることは、お姉様に伝えておりませんわ」
でしょうねえ? 妹が訪ねてくるのであれば、在宅していてもおかしくはないけど、普通に仕事へ出かけていったからなあ、あいつ。
とはいえ疑問は残る。なんでまた、黙ったままやってきたんだろうか?
「決まっているではありませんか。お姉様がいたら、見定める邪魔になるでしょう?」
「邪魔?」
「ええ、邪魔ですわ。ここのところ、お姉様が家に戻ってきたとしても、貴方のことしか話題にしませんもの」
透の料理は美味しい、家にいたら食べられないものばかり、透の料理は最高だ。あの家で暮らし始めて本当に良かった……などなど。
聞けばレオノーラのやつ、家に戻っては俺をべた褒めしているそうで……。あいつ、ウチではそんなことを一切口にしないのになあ?
気恥ずかしい思いを抱いたものの、見ず知らずの男をべた褒めする話を聞かされる家族の身になって考えると、なかなかに厳しいものがあるのもまた事実なわけで。
俺が家族だったとしても不安になるよなあ?
「そういったわけで!」
両手をパンと打ち合わせたサラは、話題を転じるように語をついだ。
「今日はお姉様の仰っていた料理の腕前を確かめに来たのですわっ」
今日は、と、前置きしたところを聞くに、今後、ちょくちょくとやって来るんだろうなあ、きっと。見定めとやらが、どの程度のものになるかはわからないけれど、面倒事はさっさと片付けてしまいたい。
ここは全力で美味しい料理を振る舞おうじゃないかと考えた俺は、内心のため息を隠しながら、真剣な表情を作って、サラに向きなおるのだった。
「わかった。ご期待に添えるよう、がんばるとするよ」
「ええ、ええ、そうしてくださいまし!」
「ちなみに、なにが食べたいとかリクエストはあるかい?」
「そうですわねえ……」
顎に手を当てたサラはしばらく考え込むと、やがて名案を思いついたように会心の笑みを浮かべるのだった。
「私も立派な
「淑女に相応しい料理……」
……どこからどう見えても小さな女の子にしか見えないけれど。口にしたら怒られるんだろうなあ。あと、そばにいるセバスが怖い。
そもそもの話、淑女に相応しい料理ってなんだろう? まったく想像がつかない。困ったなあと悩みながらも、とあるメニューを思い出した俺は、ひとつの賭けに出ることにした。
***
淑女に相応しい料理がなんなのかは謎だけれど、姉のレオノーラが気に入ってくれた料理であれば、妹も喜ぶのではないか。
そう考えた俺は、いわゆる“お子様ランチ”を作ることにした。大きめの丸皿を用意しておく。ここへいろいろな料理を少しずつ盛り付けていくのだ。
まずは小さなオムライスを作り、下半分に盛り付ける。横に添えるおかずはタルタルソースをたっぷりと乗せたエビフライと、一口にカットした川魚のソテーだ。
副菜にはポテトサラダを用意して、丸皿の左上に盛り付ける。彩り的に緑が足らないので、ブロッコリーで作ったマリネも添えることにしよう。
それと、小鉢に固めに作ったプリンを盛り付けておく。プリンの上に生クリームと栗の甘露煮を乗せたら丸皿の左上に置いておこう。
コンソメスープを別の器によそい、コップにオレンジジュースを注いだら、異世界風お子様ランチの完成だ!
***
「美しいですわあ~!」
お子様ランチを前にしたサラが、キラキラと瞳を輝かせている。首元に布ナプキンを巻き付けたハンスが一歩下がると、サラは早速とばかりにナイフとフォークを手にして、お子様ランチと対峙するのだった。
「これだけたくさんの料理が並ぶと、どれから食べていいか目移りしてしまいますわね!」
「どれから食べても自由なのが、この料理のいいところでね」
「なるほど。つまり、淑女としての判断力が問われますのね?」
……まったく違うけれど、まあ、そういうことにしておこう。ややこしいことになりそうだし。
とにもかくにも、お子様ランチをサラはたいそう気に入ったらしい。
「どれもこれも美味しいですわあ!」
頬を緩ませては、一口ごとに料理の感想を声に出す。どうやら上手くいったようだと安堵しながらも、ブロッコリーだけを残すサラの様子が気にかかった俺は、それとなく少女に尋ねるのだった。
「もしかしてブロッコリーは苦手?」
「ギクッ……! ににににに苦手なわけありませんわっ!」
「そう? それならいいんだけれど……」
そんなやりとりを眺めながら、老執事が静かに口を開く。
「お嬢様。好き嫌いなく野菜も食べなければ、立派な淑女になれませんぞ」
「わ、わかっていますわよっ」
……ああ、やっぱり苦手だったのか。ここらへんはなんだかんだ言っても子どもと変わらないな。
微笑ましく思いながら視線を向けた先では、覚悟を決めたのか、必要以上に大きな口を開けたサラが、目をつぶって、ブロッコリーを口へと運んでいる。
咀嚼もそこそこにコップを口に持っていったサラは、ブロッコリーごと流し込むように、勢いよくオレンジジュースを飲み干すのだった。
「と、とても美味しかったですわあ……」
取り繕ったような笑顔を見せながら、綺麗にお子様ランチを食べ終えたサラは、口元をナプキンで拭き終えると、ごちそうさまでしたと声に出すのだった。
***
「今日のところは、ひとまず合格ですわね」
食後の紅茶を用意する俺を前にして、サラは満足そうに呟いた。
「それはどうも」
「ですが、あくまで今日だけの話ですわ。私の試験は続くのですから、覚悟してくださいませ」
うへえ、やっぱり続くのかと辟易しながらも顔には出さず。今度は気軽に遊びに来てくれないかなあと考えていると、サラは好奇心を瞳に宿しながら、こんなことを口にするのだった。
「ところで……。本日いただいた料理ですが、私、大変に気に入りましたの。できたら料理名を教えていただければ幸いですわ」
……どうしよう? まさかお子様ランチですと伝えるわけにもいかないよなあ……。
で、苦し紛れに俺は伝えたわけだ。
「料理名は“
はい、ゴメンナサイ、嘘つきました……。いやだって、子ども扱いされるの嫌がりそうなんだもん。
結果、どうなったかと言えば、サラから話を聞いたらしいレオノーラが、
「聞いたぞ、透。“淑女のための一皿”という料理があるそうじゃないか! ぜひ作ってくれ!」
とか言い出して、大量のお子様ランチを作ることになったのだった。食べる量が増えたらそれはもう、“おとな様ランチ”なんだよなあ……。
今後のサラがやって来ることを考えると、“淑女のための一皿”を真剣に考える必要があるかもしれない。
ぼんやりとそんなことを考えこんでいた俺は、まだ知るよしもなかったのだ。
サラの訪問によって、とある騒動が引き起こされることを。
……ともあれ、それはまた、別の話。
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