20.梅酒作りとあんバターコッペパン

 翌日。


 妖精のキキに導かれるように、俺とラテとエリーは森の奥へと歩いて行った。時折聞こえる鳥たちのさえずりは心地よく、エリーはキラキラとした眼差しで木々を眺めやりながら、自然を楽しんでいる。


「ここまで来るのは初めて?」


 湖へピクニックをしにいくと話していたので、足を運んでいてもおかしくはないと思うのだが、エリーは軽く頭を振って応じるのだった。


「奥深くに来たのは初めてです。いつもは湖畔までしか行きませんから」


 そして思い出したようにクスクスと笑い声を立ててみせる。


「だから、透さんのお店を見た時にもビックリしたんですよ? こんなところに立派な建物があるなんて、って」

「もしかして、店がある場所って人通りがあまりないのかな?」

「知る人ぞ知るって感じだと思います。狩りに来る人とか」


 聞けば、新店舗のある場所は他の村や町へ行く道から外れているらしい。なるほど、ミーナが「へんぴなところ」と断言するはずだよ。誰も知らないんじゃ無理もないよなあ。


 宣伝したところで、場所がわからないんじゃ話にならない。クローディアに相談して看板でも立てようかな? ……とか、そんなことを考えていると、ふわふわと宙を漂っていたキキがくるりと振り返った。


「こ、ここから道が細くなりますので、気をつけてくださいね?」

「にゃあ」


 元気よくひと鳴きするラテはさておき、俺とエリーは顔を見合わせた。キキが指し示したのはどう考えても獣道というやつで、人が通るにはなかなかに厳しいものだったからだ。


「私、先に行きましょうか?」


 尋ねるエリーに俺は首を左右に振ってみせる。


「とんでもない、俺が先に行くよ」


 華奢な女の子に先を行かせるなんて紳士としてあるまじき行為だ。ここは俺が先導して、少しでも道を切り開くことでエリーの負担を減らそうじゃないかっ。


 意気込んだ俺は、いつの間にかラテの背中に腰を下ろしたキキの案内のもと、鬱蒼とした小道を進んでいったのだが……。


(ヤバイ……。想像していた以上に木の枝が引っかかるっ)


 これは後ろを付いてくるエリーも大変だろう。店に引き返してもらったほうがいいかもなと振り返ってみると、エリーは小枝も降りかかる葉もものともしないといった様子で、足取りも軽く俺の後ろをぴったりと付いてきている。


 いや、先を進んでいる分、多少は木々をかき分けているんだよ。それでも限界はあってだね、進むには苦労しそうなんだよなあ。


「生まれ育った村では、子どもの頃、レオノーラと一緒によく森へ出かけていましたから」


 こちらの視線に気付いたのか、エリーはにっこりと微笑んでみせる。……そうだった、湖へ片道二時間歩いても平然としている体力と健脚の持ち主だったな、この人は。


 聖女って肩書きが付いているから、体力的に厳しいイメージがあるけど、思っていた以上にたくましいなとかそんなことを考えていた矢先、エリーはためらいがちに口を開いた。


「あのう、やっぱり私、先に行きましょうか?」

「いや、大丈夫っ! 俺が先に行くからっ!」


 せめて格好だけはつけたいと笑顔を作った俺は視線を戻すと、途端に険しい顔つきを浮かべ、鬱蒼とした小道と格闘を再開するのだった。


***


 それから歩くこと二十分。


 ようやく辿り着いた場所を言い表すならば、そこはまさしく『楽園』だった。


 それまでの獣道がウソだったかのように広がる一面の花畑。奥には果実がたわわに実った豊かな樹木がそびえ立っていて、別世界に来たのかという錯覚すら抱くほどだ。


「これはすごいな……」

「本当に素敵ですね……」


 思わず声を漏らすと、キキはラテから飛び立って、こちらへ向き直った。


「ふ、普段は妖精以外入れない場所なのです。め、女神様が結界を張っているので」

「なるほど。ここはクローディア様が作られた聖域なのね?」


 エリーの言葉に、キキはこくりと頷いた。


「め、女神様のお力によって、変化する場所なのです。い、いまは透さんのおかげで女神様のお力も強くなっていますから、その分、土地も豊かになっているんですよ」


 ……そういえば。女神の力をエネルギーに変えて土地を豊かにするとか、前にクローディア本人から聞いたことがあるな。その時はあんまりピンとこなかったけど、こう、実際に目の当たりにすると、あの女神がただの酒好きじゃないってことを痛感させられるね。


「わ、私がお持ちした果実はあちらのほうになっています。ご、ご案内しましょうか?」


 指し示すキキを見やりながら、俺は口を開いた。


「いや、せっかくだから、いろいろ見て回りたいな。付き合わせても疲れさせちゃうだけだし、みんなはここで休んでいて」

「で、でも……」

「透さんがそうおっしゃっているのだし、私たちは一旦休憩しましょ、ね、キキ」


 エリーはそう言うと、花畑に座り込みラテとキキを呼び寄せた。


「花冠を作ってあげる。とびっきりに可愛いわよ」

「え、エヘヘヘ、そ、そうですかあ?」

「にゃああああ」


 やがて聖女のもとに猫と妖精が集うという微笑ましい光景が繰り広げられる。うーん、またしてもエリーに気を遣わせてしまった。


 なにを隠そう、梅の実以外にも、この一帯にはいろいろな果実がなっているのが目に見えてわかるのだ。まさに食材の宝庫といってもいい。そんな中をいちいち案内させては申し訳ないし、一人で見て回ったほうがかえって気軽だからな。


 獣道で疲れた身体もなんのその、俺は足早に果樹のあるほうへと足を運ぶのだった。


***


 ……で、女神クローディアが作ったという聖域をしばらく歩き回った結論。


 この場所、チート過ぎるっ……!


 より正確に表現するなら、でたらめが過ぎるのだ。コーヒー豆、梅の実、カシューナッツ、ナツメ、キウイフルーツ、木イチゴ、ブルーベリーにその他諸々。


 これらが一堂に実っている光景など見たことがない。っていうか、あり得ないだろう、普通。


(女神の力、すごすぎないか……?)


 とにもかくにも、この言葉に尽きる。想像の斜め上を行く状況に理解が追いつけないまま花畑に戻ってみると、そこにはお揃いの花冠を頭にかぶったエリーたちがいて、楽しそうに笑顔の花を咲かせている。


「あ、お帰りなさい、透さん。どうでしたか?」

「ただいま。いやはや、目移りしたねえ」


 輪に加わるように腰を下ろした俺はラテの背中を撫でるのだった。うっとりと目を細める黒猫を見つめながら、さらに続ける。


「女神の力恐るべしだね。これだけ豊かな自然の恵みがあると、食べるのにも困らないんじゃないかなあ」

「は、はい! ま、毎日美味しいものが食べられて、私たち、とっても幸せなんですよ」


 ポワポワと嬉しそうな表情を見せながら、キキは語をついだ。


「せ、せっかくですし、透さんもいろいろ持ち帰られてはいかがですか? め、女神様からお許しもいただいていますし、お店で使う材料にしてもよいのでは?」

「うーん、考えなくもなかったんだけど……」


 正直に言ってしまおう。この場にある食材があれば、お店で提供できるメニューの幅が広がること間違いなしだ。


 でもそれは、この環境に依存してしまうという事実の裏返しでもある。妖精たちが食べる物が無くなるのも困るし、女神の力によって成立している以上、欲しい食材がいつでも手に入るとは限らない。


 それに、青果に関して言えば、ミーナという頼もしい取引相手がいるのだ。野菜や果物はあの恰幅のいい女将から仕入れるとして、ここは聖域として、引き続き妖精の憩いの場所にしておくのがベストじゃないかな。


「もちろん、梅の実はありがたくいただくけどね。それ以外は遠慮しておくよ」

「そ、そうですか……」


 心持ち残念そうにキキは呟く。彼女なりに役に立てると思っていたのかもしれない。その気持ちは十分にありがたいし、梅の実が手に入っただけでも十分過ぎる収穫だよ。


 ……と、こんなことを言っていた俺だったのだが。次の瞬間、百八十度方針を転換させることとなった。


 ふと視線を横に向けた先に、細い木に筒状をした実がなっていて、すでに枯れてしまったのか、割れたその実から豆状の物体が見えたのだ。


 声もなく立ち上がった俺は、慌てて細い木へと向かった。そして割れた実から覗く赤紫色の物体を手に取り、確信したのである。


「さっきはああ言ったけど、やっぱり、これももらっていいかな?」


 そしてそれをキキに見せて問い尋ねる。キキはキキで、もちろんと声に出しつつも、そんなものをどう使うのかと聞きたげな面持ちでこちらを見やるのだった。


「どこにでもある普通の豆に見えるだろうけど、これが違うんだなあ」


 興奮を抑えながら、俺は努めて冷静に呟いた。


「まさか小豆が手に入るなんて、思いもしなかった!」


***


 大量の梅と小豆を抱えて店に戻った俺は、休む間もなく、調理に取りかかった。


 まずはあんこを炊いていこう。


 小豆を水洗いし、鍋に移す。大量に水を入れてしばらく煮たら、ざるに移して水気を切ろう。いわゆる“渋きり”という作業だ。


 水気を切った小豆を鍋に戻し、水を加え、今度はじっくりと煮込んでいく。小豆が柔らかくなってきたら砂糖とひとつまみの塩を加え、煮汁がなくなるまでかき混ぜながら炊いていくのだ。


 少し柔らかいかなあぐらいまでのなめらかさになったら、あんこが炊き上がった合図である。粗熱を取って、冷ましておこう。


 粗熱を取っている間に、梅酒作りに取りかかる。


 煮沸消毒した大瓶に、よく洗って水気を拭き取った梅の実を投入する。入れる前に、へたを取るのを忘れないように。


 梅の実、砂糖を交互に入れて、最後にミーナからもらった無色透明の蒸留酒を注ぎ入れる。もらったときにホワイトリカーの代わりになると考えたのだ。美味しい梅酒ができあがるといいのだが。


 で、それでもまだ蒸留酒が大量に残っているので、コーヒー豆を使ったコーヒー酒も作ることにした。作り方は梅酒と変わらず、材料が梅からコーヒー豆に変わったぐらいである。


 飲んだことはないので、実験的な意味合いが強いけれど、これも美味しくできればいいなあ。


 そうこうしている間にあんこが冷めたので仕上げに移ろう。


 明日の朝食にと用意しておいたコッペパンの出番である。コッペパンを横半分に切ったら、常温に戻したバターをたっぷりと塗り、その上にこれでもかと言わんばかりに大量のあんこを敷き詰める。


 切り分けたコッペパンの上部分で挟んだら、あんバターコッペパンの完成だ!


***


「……お豆を甘く煮たのですか?」


 あんこに抵抗感を抱いたのはエリーだった。いままで出してきた料理を美味しい美味しいと食べてくれたエリーも、あんこには面食らったらしい。


 まあ、外国の人もあんこに違和感を覚える人がいるって聞いたことあるからなあ。最近は減ってきたみたいだけど、それでも豆を甘く煮た料理はなかなかに厳しいものがあるか。


 無理せず、嫌だったら食べなくてもいいから、と、俺が口を開きかけたその矢先、隣から感動を抑えきれないといった具合に歓声があがった。


「お、おいしい!!! おいしいです、これ!!!!」


 一口大に切り分けたコッペパンを両手に抱えたキキは、見たことのないぐらいに瞳を輝かせ、ものすごい勢いであんバターコッペパンを頬張っている。


「こ、こんなに美味しいお豆の料理は初めて食べました! あ、あんこって言うんですか?」

「そうそう。生まれ故郷の料理でね、お菓子とかによく使うんだけど」

「わ、私、これ大好きです!」

「それは良かった」


 すると、やりとりを見ていたのか、エリーはためらいがちに口を開き、それからほんのわずかだけ、あんバターコッペパンにかじりついた。


 訝しげな表情が、意表を突かれたものへと変わったのは、それから数秒も経たないうちで、エリーは口元を抑えると、意外そうな口調で呟くのだった。


「……美味しい」

「本当? 無理してない?」

「いえ、無理なんかしてませんっ。本当に美味しくてビックリしているというか……」


 そから今度は大きな口を開けてコッペパンにかぶりつく。口の中で広がるあんこの甘さとバターの塩気を楽しむように、目を閉じたエリーは不思議そうに感想を漏らした。


「甘いお豆の料理がこんなに美味しいだなんて……」

「新発見ってやつだ」

「ええ、嬉しい発見です」


 先ほどまで抵抗感を抱いていたのが気恥ずかしいのか、頬を赤らめたエリーは、遠慮がちにコッペパンを口に運んでいる。気にする必要なんてないのになあ。


「なぁ~」


 鳴き声に目をやると、おやつを促すように、ラテが俺を見つめている。そうだったな、お前だけ仲間はずれはダメだよなと、再びキッチンへ戻った俺は愛猫のための料理を作り始めるのだった。


「そういえば」


 思い出したようにエリーが声を上げる。


「さっき作っていた、梅酒でしたっけ? いつ頃、飲めるようになるのですか?」

「うーん。半年ぐらい先かなあ」

「半年も?」

「普通は大体そのぐらいだけど……。どうして?」

「いえ、クローディア様がそこまで待てるかなと、そんなことを考えてしまって」


 そ、そうですね、と、賛同の声を上げたのはキキである。……作ったことを話さなければ大丈夫なんじゃないかな?


「ば、バレてしまうと思います」

「そうだよなあ、俺もそう思う」


 酒に関しては異常な執着心があるからな、クローディア。まあ、半年間は他のお酒でなんとか耐えてもらおうと思いながら、俺はラテのための料理作りを再開させた。


 やがて、この梅酒とコーヒー酒が、とある奇跡を起こすのだが――。


 それはまた、別の話。

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