19.ミーナの来訪とニョッキのトマトソースがけ
荷馬車を伴ってミーナが現れたのは、賑やかな妖精たちが帰路につき、しばらく経ってのことである。
恰幅のいい青果店の女主人は感心したように外観を眺めた後、「引越祝いを持ってきたよ」と荷台の一角を指し示した。
視線を向けた先には、大きな木樽がひとつ。なんですか? と、尋ねるよりも早く、ミーナは片目をつぶってみせる。
「酒だよ。とっておきの蒸留酒さ」
聞けば、酒場のエドガーが「せっかくなら、いい酒を持って行ってやれ」と、大樽を持たせてくれたらしい。
「本当だったらアタシが飲みたいぐらいだよ」
付け加えてミーナは肩をすくめる。半分は本音なのだろう。ありがとうございますと礼を述べつつ、木樽の栓を開けて中を覗くも、意外なことにアルコール臭は感じられない。
色は透明で、水と勘違いしそうな見た目をしていて、酒と言われなければ、間違って口にしてしまいそうなほどだ。
「本当に蒸留酒なんですか?」
「信じられないんだったら飲んでみるといいさね。飲み慣れてないヤツが手を出したら、一口で天国行きだよ」
アッハッハと笑い声を立てながら、ミーナは俺の背中をバシバシと叩いた。種類で言えば、ウォッカとかに近いのかなあと思いつつ、こんな真っ昼間から酔っ払うわけにはいかないので栓を閉じる。
酒、といえば、女神クローディアは外せない。あとでお裾分けにでもいこうかなと考えていた矢先、ミーナはあらたまったように口を開いた。
「しかし、アンタ、いい場所に店を持ったね。女神様のお住まいの近くなんて、御利益があるに違いないよ」
「女神のことを知っているんですか?」
「様を付けないか、罰があたるよ? アタシの家はじいさんばあさんだけじゃなく、その前からずっと、一家揃って女神様を崇めていたのさ」
「へえ~」
「なんだね、こうなるとアンタがここに店を構えるのも、アタシがアンタの店に商品を届けるのも、運命めいたものを感じるよ」
女神様のお導きだね、そう結んでミーナはうんうんと首を縦に振ってみせる。なんでも、俺の店に来る途中、湖にお供え物を捧げてきたそうで、女神クローディアはわざわざ姿を現しては、その労をねぎらったらしい。
「泣きそうになったね、アタシは。滅多にお姿を見せない女神様がお声まで掛けてくださったんだ。あの気品、あの気高さ、そしてお優しいお声……。さすがは女神様だよ」
「……ちなみに、なにをお供えしたんですか?」
「ん? アンタにやった酒だよ。さっきの蒸留酒さ」
なるほど、そりゃあ、クローディアも喜ぶだろうさ。あの女神、酒が飲めるんだったら、いくらでも外面を取り繕うだろうしな。
「透さん、お掃除終わりましたよ……あら?」
そう言って中から姿を現したのはエプロン姿のエリーで、足元には護衛を任されたとばかりに黒猫のラテが付き従っている。
聖女にしては可愛らしい格好だなあと、プラチナブロンドのロングヘアをした美しい女性に見とれていると、隣から震えるような声が漏れ聞こえた。
「せ、聖女、様? ど、どうしてこんなところに!?」
驚愕の面持ちのミーナはいまにも腰を抜かしそうな様子で、パクパクと口を開閉させている。それから俺の肩をつかんで激しく揺らし、問いただすように声を荒らげるのだった。
「ア、アンタ!! まさか聖女様をたぶらかしたんじゃないだろうね!? こんな場所に連れ込むなんて!!」
「人聞きの悪いっ。違いますよっ、そんなんじゃないですって」
「だったら、なんで聖女様がこんなへんぴなところにいるんだい!?」
あなた、さっきまで近くに女神様がいるから御利益があるとか言ってませんでしたか? 見事な手のひら返しじゃないですか。
「違いますよ。私がお願いして、透さんのお店を手伝わせていただいているのです」
割って入るように、穏やかな口調でエリーは呟く。同意するように「みゃあ」とラテはひと鳴きすると、だっこをせがむようにエリーの胸元に飛び上がった。
エリーの穏やかさとラテの懐きっぷりに、ようやく冷静さを取り戻したのか、ミーナは俺から手を離すと、ごほんと咳払いをしてから続けるのだった。
「いやあ……、アタシはまさか、こんな場所で聖女様にご拝顔できるとは思ってみなかったよ……。ありがたやありがたや……」
「……? 女神を崇めているとか言ってませんでしたか?」
「それはそれ、これはこれさ。聖女様もお慕いしているんだよ、アタシはっ」
はあ、そうですか。まあ、深くは突っ込みませんがと思っていると、ミーナはエリーに聞こえないよう俺の耳元へ囁いた。
「いったいどうして、聖女様がアンタの店を手伝うことになったんだい?」
「いや、もう、話せば長くなるといいますか……」
どこから説明したらいいのか、俺にも判断ができかねるといいますかね。話したところで信じて貰えるかも微妙なところで……。
そもそも新店舗を女神から譲って貰ったっていうところからして怪しいからなあ。
すると、そんな俺たちの様子を察したのか、エリーはさりげない口調で話題を転じてみせたのだった。
「あのう……。ところで、今日はどのようなご用件でお見えになったのですか?」
「ああ、そうそう。そうだった、ミーナさん、仕入れの話をしましょうよ」
野菜とか果物を持ってきてくれたんですよね? と、尋ねる俺を見て、はっとしたようにミーナは荷台に振り返った。
「そうだ、本題がまだだったね。ご覧のとおりさ。店で使うだろう野菜をちゃんと持ってきてやったよ。保存しやすくて、日持ちするものがいいだろう?」
恰幅のいい女将は木箱のひとつを持ち出して、中身を披露してみせる。そこには隙間がないほどに埋め尽くされたジャガイモがあって、確かに日持ちはするよなと納得しながら、俺はミーナに尋ねるのだった。
「ジャガイモのほかにはなにを持ってきてくれたんですか?」
「ジャガイモだけだよ」
「いやいや、冗談はいいですから」
「アタシが冗談を言うと思っているかい?」
……え? マジで言っているんですか? ちょっと待ってくださいよ、だって荷台にある木箱、十数個あるじゃないですか。もしかして、あれ全部がジャガイモなの?
ミーナは頷き、俺は軽くめまいを覚えた。いったい、どこの世界にジャガイモ料理だけを振る舞うカフェがあるというのだろうか……。いや、探せばあるかもしれないけど。そういうことを言いたいんじゃなくて!
「本当に、ほかになにもないんですか? 果物とか、葉物とか」
「そんなこと言われてもねえ? あとは売れ残って処分しようとしていた野菜がちょっとだけ」
「それでかまわないので、それも全部くださいっ!」
商品として売るのはどうかねえと、なおも渋るミーナを説得しつつ、俺は次回以降の仕入れについて希望を事細かに伝えた上で、大量のジャガイモを確保することに成功したのだった……。
***
「なるほどなあ。珍しく途方に暮れとるからどないしたんかと思うたら、そんな事情があったんかいな」
カウンターに突っ伏していると、背後から陽気な声が上がった。女神クローディアはミーナからお供えしてもらった蒸留酒で、すでにできあがっており、ふらふらとおぼつかない足取りで店に現れたかと思いきや、椅子に腰掛けたのだった。
「ウチは割とジャガイモ好きやけどなあ。揚げたジャガイモとか、めっちゃ酒進むやん」
「揚げたジャガイモ……。チキンアンドチップスもいいな」
賛同の声を上げるのは、仕事から戻ってきたレオノーラである。やがてお腹の音を鳴らした女剣士はこちらを見やり、そして一点の曇りもない瞳で呟いた。
「透。チキンアンドチップスを思い出したらお腹が空いたぞ。ご飯を作ってくれ」
「おぉ、せやせや。透、ジャガイモでええから、酒のアテ作ってくれやあ」
「もう、二人ともっ。透さんは真剣に悩んでいるのだから、茶化しては良くないわよ」
いさめるようなエリーの声が耳に届き、ラテは慰めるように俺の顔を舐め始めた。ありがたいけど、猫の舌って微妙に痛いんだよね。いや、嬉しいんだけどさ。
ようやくといった感じに起き上がった俺は、大きなため息を漏らし、それから誰に言うまでもなく声に出した。
「ジャガイモだけじゃ、カフェの営業できないよなあ……。開店は次の仕入れまで先送りか」
「ええやん、どうせ明日明後日、店開いたところで客なんて来うへんで? その間、あちこち宣伝回ればええやない」
「まあ、それも一理あるんですが……」
「そうだぞ、透。宣伝なら私も協力できる。だからご飯を作ってくれないか」
応じるレオノーラのブレなさったら見事なものだね。いや、確かに、いくら保存が利くといっても、大量のジャガイモは消費したほうがいいわけで。
「参考までに聞くけど、普段、ジャガイモってどんな風にして食べているんだ?」
「そうですねえ……。教会だとふかしたり、すりおろしたものを焼いたりとかですかね」
「揚げたものは酒場の定番だな。塩を掛けて食べると美味いぞ」
なるほどねえ? やはりというか、調理法が少ないんだな。食材としては万能なだけに、食に対して保守的なのは実にもったいない。
とりあえず、カフェでも出せそうな料理を作って、みんなの意見を聞いてみようじゃないか。そう思い立った俺は、エプロンを手に取るとキッチンへと足を運んだ。
***
ジャガイモはよく洗っておき、火が通るまで茹でておく。粗熱が取れたら皮をむき、ザルで裏ごししておこう。
そこへ小麦粉、塩、卵を加えよく混ぜ合わせる。ひとまとまりになったら棒状に伸ばし、一口大に切り分けてから、水気を飛ばしておくのだ。
その間にソースを作ろう。
フライパンでオリーブオイルを熱し、ニンニクで香りを出す。
売り物にならないという完熟したトマトを加え、ペースト状になるよう潰したら、適当な大きさにカットしたきのこ類をあわせてよく炒める。
香草と塩、コショウで味を整えたらソースはできあがりだ。
一口大にカットした生地を、塩を入れたお湯で茹でる。沸騰した鍋に浮き上がってきたら、茹で上がった合図だ。
皿に盛り付け、ソースをたっぷりとかける。仕上げにバジルを添えたら、ニョッキのトマトソースがけの完成だ!
***
「モチモチしとる! モチモチしとるやないの!」
「透さん、これ面白い食感ですね! トマトの酸味もちょうど良くて」
「食べ応えもある。実に素晴らしい料理だな、透」
好意的な三人の反応を見て、俺は胸をなで下ろした。もちろん変なものは入っていないんだけど、見た目的にジャガイモの要素がなくなってしまう分、受け入れられるかどうか心配だったのだ。
「パスタみたいで美味しいですよ? 問題ないと思いますけど」
エリーが瞳を輝かせて感想を述べると、レオノーラも同意した。
「うん。噛めば噛むほどに味わい深い。透、おかわりをくれ」
「はいはい、持ってくるよ」
本当はなあ、ニョッキの表面にフォークの背の部分で飾りを付けたかったんだけど。大量に食べる人がいるから止めちゃったんだよな、地味に大変だし。
ま、量を消費するのが目的だし、今回はよしとしておこう。店のメニューとして加える際には、再考が必要だろうけど。
あるいは、レオノーラに魚を釣ってきてもらって、フィッシュアンドチップスを提供してもいいかもしれない。
(ますます酒場に近づいていくなあ……)
ニョッキを赤ワインで流し込む女神をチラリと見やりつつ、俺は苦笑した。ま、カフェを兼ねたバルもあるし、いまさら気にすることでもないか。
「にゃ」
ふと、ラテが立ち上がって窓辺に近づいていく。そこには妖精のキキがふわふわと浮かんでいて、俺は窓を開けるとキキを店内へ迎え入れた。
「ちょうどよかった。キキも夕飯食べていくかい?」
「い、いえ。わ、私は大丈夫です。と、透さんにお渡ししたい物があって」
そういうと、キキは薄緑色をした果実を差し出した。朝食とおやつのお礼らしい。すると、それに気付いたのか、女神クローディアは果実を取り上げ、「これはアカンで?」とキキに声を掛けるのだった。
「キキなあ? これ、妖精は食べられても、人は食べられへんのよぉ。熟してへんから毒があってなあ」
「そ、そうなんですかっ?」
「うん、キキの大好物やし、気持ちはわかるけどなあ」
女神の声に、しょんぼりと肩を落とすキキ。俺は女神から果実を受け取って、まじまじとそれを見やると、興奮を抑えるようにキキへ問いかけた。
「キキさえ良かったら、これありがたくもらってもいいかな?」
「え、え? で、でも食べられないんじゃ?」
「いやいや、これが食べられるんだな、しかも美味しくね」
妖精に優しく微笑んで、俺は続ける。
「よかったら、これ、もっと譲ってくれないかな」
「そ、それはもちろん、かまいません。森の奥に行けば、いくらでもなっていますし」
自分たちでは食べきれないほどあるので、持って行ってもかまわないという返事に、俺は心から感謝した。
キキが持ってきてくれた果実、それは間違いなく梅の実そのものだったのだ。
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