14.ベイクドチーズケーキと不穏な動き

 バザーから二日後。


 この日の俺は、朝からベイクドチーズケーキ作りに勤しんでいた。バザーで買ってきた孤児院特製のライ麦ビスケットが二百枚ほどあって、それをどうしようか頭を悩ませた結果、チーズケーキの土台として使うのがいいだろうという結論に至ったのである。


 ……そもそも、なんで二百枚もビスケット買ってきたんだって話なんだけど。ここだけの話、クレープが売れすぎてしまったんだよねえ……。


 いや、一人で二個も三個もクレープ食べるお客さんがいるとは想定していなかったのだ。レモネードは水分を欲したお客さんが買っていってくれたみたいなんだけど、お腹が満たされたからか、ビスケットまでは食指が動かなかったらしい。


 大量の在庫を前にして途方に暮れるシスターたちを前に、俺は残ったすべてのビスケットの購入を申し出た。もともと知名度向上のために出店したのであって、収益は度外視していたのである。


 それになにより、これは慈善活動の一環であるのだ。クレープの売り上げが、そのまま孤児院の運営費に使われるのであればなによりじゃないか。


 神の思い召しに感謝を捧げつつ、何度も頭を下げるシスターと、子どもたちの嬉しそうな表情を眺めながら、俺は大量のライ麦ビスケットを持ち帰ったのだ。


 まあ、そこまではヨシとしよう。


 問題は、ライ麦ビスケットの味でね、これがお世辞にもあまり褒められたものではなく……。


 材料費を抑えるためにバターと砂糖を少なめにしているというのは聞いていたけど、それにしたって素朴すぎやしませんかねという味なのだ。パサパサしていて、口の中の水分を一気に持っていかれる感じと言えばいいだろうか。


 砂糖を抑えているからには、長期間の保存も望めない。スクエア型のビスケットを手に、なにかしら一気に大量消費できるレシピはないだろうかと考え抜いた末、チーズケーキ作りを思いついたのだ。


 チーズケーキならウチの店でも提供できるし、アレンジレシピが好評なら、次回以降、孤児院のビスケットも売れるかもしれない。


 クレープがあれだけ好評だったのだ。お客さんだって来てくれるだろう。大量に作っても、在庫は残らないはず、と、俺はエプロンを巻き付け、早速、調理に取りかかるのだった。


***


 ボウルに常温に戻したクリームチーズ、生クリームに砂糖、それとレモン汁を加え、なめらかになるまでよく混ぜ合わせる。そこへ卵、振るった小麦粉を加え、さらによく混ぜ合わせるのだ。


 四角形をした焼き型にビスケットを隙間なく敷き詰めていき、混ぜ合わせた生地を流し込んだら、石窯で焼き上げる。


 こんがりときつね色に焼き上がったら取り出し、粗熱を取れば、ベイクドチーズケーキの完成である。


 よーしよし、一台のチーズケーキで十四枚のビスケットを消費できたぞ。……全部で十四台作らないと、ビスケットなくならないけれどさ。うーん、気の遠くなるような話だな。


 まあ、多めに作ったら作ったで、普段お世話になっている人たちにお裾分けしにいけばいいか。最初から、お店でさばききれるとは考えてなかったしね。


 店で提供する分は三台ぐらいでいいとして、残りはエリーやレオノーラへプレゼントしたり、それに露天商でお世話になっているところなどへ持って行こう。


 ……そうだ、酒場の親父さんに渡してもいいかもしれない。酒場ならたくさんのお客さんがくるし、チーズケーキだったら見た目も味も敬遠されにくいはずだ。


 そう考えた俺は、ひたすらにチーズケーキを焼き続け、そのうちの数台を抱えて酒場に足を運ぶのだった。


***


 大通りに面した『エドガーの酒場』は、宿屋を兼ねた酒場でもあり、昼夜を問わず多くの人であふれかえっている。


 卸しも兼ねているので、店で使うワイン類などは、この酒場から仕入れているのだ。


 ここ最近は『魂の晩餐』だけでなく、女神クローディアの一件で仕入れ量を大幅に増やしたこともあり、 “ご贔屓価格”で酒類を譲ってもらっている。


「おう、誰かと思えば透じゃねえか! なんだ、今日は飲みに来たのか?」


 店内に足を踏み入れると、こちらに気付いたのか、店の主人であるエドガーが声を上げた。銀色の頭髪を持つ長身の人物で、隆々とした身体を表すかのように性格は豪放そのものである。


「それともなんだ? 妙ちくりんな料理を作るのを止めて、ついにオレの店で働く気になったか? ウチはいつでも大歓迎だぜ!」


 この手の発言について基本的に悪意がないのは、下町の人々の共通点らしい。挨拶代わりみたいなものなので、さらりと受け流しておくのが正解である。


「お誘いはありがたいんですが、もう少しがんばろうかなと思ってましてね。今日はお菓子のお裾分けにきたんですよ」


 そう言って、持ってきたチーズケーキを差し出す。チーズを使った焼き菓子という説明を耳にしたエドガーは、ふぅんと声に出し、それから鼻を近づけて、匂いを嗅いだ。


「チーズを使った菓子ならウチでも出せるな。ありがたくもらっておくぜ。……そんなことより」


 カウンターにチーズケーキを置いたエドガーは、俺の首に腕を回してから顔を近づけ、それから囁くように続けるのだった。


「……お前さん、いったい、なにしでかした?」

「悪いことはなにもしていないと思いますが……」


 どうして? と、逆に聞き返すと、エドガーは眉間にしわを寄せる。


「この数日、ここら一帯に文官やら兵士の姿が目立つようになった。見間違いがなけりゃ、ありゃ大臣お抱えの連中だな」


 大臣の息が掛かった、ねえ? それはそれは、俺にとって厄介な事態になりそうだな。


「で、連中に声を掛けられた奴らの話を聞いたんだけどな、一様に、お前さんの店に関わるなと、そう言われたらしい」

「露骨な営業妨害をしてくるなあ」

「まったくだ。そんなわけなんでな、お前さんがなにかやったんじゃねえかと、そう思ったわけよ」


 俺自身、なにもしていないんだけど。こちらの世界へ召喚されて以来、あの大臣には嫌われているからな。


 ……まあ、例の殺害事件については、大臣の関与を明るみに出させたけどね。妖精の力を借りて、だけど。嫌われたとしたら、むしろそちらの影響が大きいだろう。


 あれ、ちょっと待て。


「俺の店に関わるなって、親父さんは大丈夫なんです?」

「ん? オレか?」


 きょとんとした眼差しをこちらに向けたエドガーは、ガッハッハと笑い声を立てると、俺の頭を軽く叩いた。


「そんな命令に従って、商売なんぞできるわけねえだろ? そもそもだな、命令がなくたって、お前さんの店はいつだって閑古鳥が鳴いてるじゃねえか」

「酷い言われようだなあ」

「あ、でも、ここ最近、えらい美人が出入りしてるって聞いたぞ、おい!? 誰だ、オレにも紹介しろって!」


 一人は聖女で、もう一人は由緒正しき騎士団の女剣士なんですが……。話したところで信じて貰えないだろうなあ。


 そのうちね、と、曖昧にごまかした俺は、エドガーに別れを告げ、家路につくのだった。


***


「お客さん、来ないですね……」


 いつものカウンター席に腰を掛けたエリーは、ラテを抱きかかえながら店の扉を見つめている。バザーで提供したクレープが大反響を呼んでいただけに、たくさんの来客があるものだと期待していたらしい。


 店主である俺よりも落胆の色をにじませた聖女は、どうしてかしらと独り言のように呟きながら、ラテの顔へと視線を移した。


「ラテも不思議に思うわよねえ? あれだけ大勢の人が来てくれたのに……」

「にゃあ」

「バザーから二日しか経っていない。結論を出すのは時期尚早じゃないか?」


 二十個目のチーズケーキを平らげたレオノーラはそう応じ、こちらへ空の皿を差し出して「おかわり」と続けてみせる。


「もう、レオノーラってば! ひとりでそんなに食べちゃったら、他のお客さんの分が無くなるでしょう?」

「いや、たくさん作ったから大丈夫だよ。遠慮せずに食べてくれ」


 微笑んで応じ、俺は二人の顔を交互に眺めた。この様子では、この店に関わるなと広めて回っている奴らのことは知らないらしい。


 納得した俺は、それとなく話題を転じ、例の殺害事件がどうなったか、顛末を尋ねることにした。


「有力な証言者と証拠が集まった。大臣派の後任騎士は失脚するはず」

「はい。新たに着任するのは大聖堂および新教会派の人物になります。それもこれも、透さんのお力があってこそです。感謝してもしきれません」


 笑顔を見せる二人だが、俺の心境としては複雑である。自分の手で自分の首を絞めたというのが、これで確実になったからだ。


 妖精が俺の名前を出してエリーたちに情報を提供した。それは大臣の耳にも伝わったことだろう。露骨な嫌がらせが始まったのが、なによりの証拠だ。


 以前、エリーは大聖堂と聖女の権限で俺と店を守ると約束してくれた。しかし、来客がなければ、カフェとしての存在価値がなくなる。


 大臣のオッサンとしては、直接的に手を下さなくとも、間接的な命令を下せば、立ちゆかなくなると考えたのだ。なるほど、よく考えたものだよ。まったくもって効果てきめんだ、恐れ入ったね。


 ……なんて具合に、俺が泣きっ面をかいているとでも思っているんだろうな、あのオッサン。


 いやあ、悪いけど、想定の範囲内なんだよね。この程度の嫌がらせ、安易に想像ができてしまうというか、むしろ想像通り過ぎてガッカリしたというか。


 これが大聖堂も聖女も関係ないと、力尽くで潰しに来られたらひとたまりもなかったんだけど、どうにも大臣のオッサンは小悪党タイプのようだ。いくらでも手の打ちようがある。


 しかしながら、計画の実行にあたっては、二人を巻き込むわけにいかない。しばらくは慎重に行動する必要があるだろうなと考えながら、俺は女神クローディアを訪ねようと心に決めたのだった。

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