15.移転計画と石臼コーヒー

 翌日、チーズケーキを携えて湖へ向かった俺は、ほとりに腰を下ろす女神クローディアと、その周りを妖精たちが舞い飛んでいるという幻想的な光景を視界に捉えるのだった。


 もっとも、それは背後から見た場合に限る。


「こんにちは、クローディア」


 振り向いた女神は酒瓶を握りしめており、顔は赤らんでいて、特徴的な糸目はとろんとしていたからだ。うん、いつも通りで安心するね。


「おー、透かぁ。自分、ええところにきたな。どや、一杯やってくか?」


 酒瓶を掲げた女神は上機嫌に呟いて、左右へ身体を揺り動かした。すっかりできあがってるなと思いつつ「遠慮しておきます」と断ると、女神は口をとがらせ、俺の足元にいた黒猫を手招き始める。


「ラテぇ、こっちにおいでやぁ。つれないご主人様は放っておいて、二人で楽しもうやあ」

「なぁ」


 とことこと女神の元へ歩いて行くラテの後ろ姿を眺めながら、俺は肩をすくめた。


「間違っても、ラテにお酒を飲ませないでくださいよ?」

「わかっとるわかっとる。ほれ、ラテ、ここに座りぃ」


 みゃあとひと鳴きし、ラテは素直に女神の膝へと腰を下ろす。満足げに黒猫の頭を撫でながら、酒瓶を口へ運ぶクローディアを眺めやっていた最中、ふわふわと妖精がこちらに近づいてくるのだった。


「と、透さん、ご、ごきげんよう」

「やあ、キキ。お食事中だったかな」


 少し離れた場所では、キキだけではなく、他の妖精たちも赤い実を手にしていて、はしゃぎながらそれに頬張る姿が見て取れる。


 慌てたように赤い実を背後に隠したキキは、頬を赤らめながら「ご、ごめんなさい」と口にするのだった。


「いや、こっちこそ食事中に邪魔して悪いな。オレたちのことは気にしなくていいから」


 そ、そうですか? と、遠慮がちにキキは仲間の元へと戻っていく。


「で? 透はなんの用できたん?」

「お菓子を多く作りましてね、それのお裾分けに」

「なんや、甘味かいな……。酒のアテにはならへんなあ」


 クローディアはそう言いつつも、チーズケーキを口に運んでは、酒でそれを流し込んだ。


「……意外とイケるやん」


 満足げに呟いて、女神は再びチーズケーキにかぶりつく。世の中には、甘いものをつまみにお酒を嗜む人もいるもんなと思いながら、俺はクローディアの横に腰を下ろした。


「まあ、お裾分けは口実に過ぎないんですけどね。本題は別にあって」

「ほ~ん」

「前にご相談したこと、覚えていらっしゃいますか?」


 チーズケーキの欠片を取り除くように指を舐めた女神は、うんうんと何度も頷いてみせる。


「覚えとるよ。なんや、『店を移転させたい』いう話やったな」


 ……そうなのだ。実を言うと、大臣のオッサンから妨害工作にあうだろうと予想していた俺は、前もって女神クローディアに店の移転について相談を持ちかけていたのだった。


 おそらく、あのオッサンは自分の目が届くうちに邪魔者がいるのを許せないタイプなのだろう。であれば、危うきに近寄らずのスタンスでいたほうが得策である。


 悲しいかな、エリーとレオノーラ以外の来客は未だにゼロという現状においては、他の場所へ移転したところで、営業面におけるマイナスの影響はない。


 むしろ、新天地で新たなスタートを切ったほうが新規顧客を獲得できる可能性があり、自分としてはあくまでポジティブに移転を検討したのだった。


 ……常連客になってくれた二人には申し訳ないと思っているけれど。今生の別れになるわけではないしな……。


 心にわずかばかりの痛みを伴いながらも、俺は女神に事情を打ち明け、めぼしい移転先がないか探してもらっていたのだ。


 湖の近辺には人間の村だけではなく、ドワーフやエルフ、コボルトといった様々な種族の村がある。共通しているのは女神クローディアを崇めているということだ。女神に直接口利きしてもらえば、移転もしやすいだろう。


 そのような事情から、話を進めるためにクローディアのもとを訪れたのだが……。


 女神はといえば、のらりくらりとした様子でとんでもないことを言い出したのだった。


「透、ウチ思うたんやけどな。自分ら、ここに引っ越してきたらええんやないの?」


 ……はい? ここって、湖と森林しかありませんけど……。


「せやで。ここやったら、いろんな種族が訪ねてくるし、店を開くには都合がええやろ」

「簡単に言いますけどね、店をやるにしたって、土地の権利とかあるでしょう? 一帯を管理する人に話を通さないことには……」

「そんなん問題なしや。ここら辺、ぜーんぶウチの土地やもん」


 疑わしげな眼差しを向ける俺に、クローディアは説明してくれた。パルドラ王国にあるとはいえ、湖の周辺一帯は“神域”と呼ばれ、女神に属した、いわば不可侵の土地と定義されているらしい。……本当かなあ?


「ホンマホンマ。透は知らんかもしれんけどな、ウチ、女神の中では、めっちゃ偉いねんで?」


 なおも訝しげな表情を続けていたことに、クローディアは不満げな面持ちを浮かべると、ラテを膝からおろし、よっこらせと呟きながら立ち上がった。


「そこまで疑うんやったら、証拠見せたるわ」


 ついてき、と、続けながら、女神は千鳥足で森へと進んでいく。足取りを危なっかしく思いながら、俺とラテはその背中を追いかけるのだった。


***


 湖畔から歩くこと、二十分。


 やがて見えたのは森の中にある拓けた平原で、その中心部には、これ以上ないほどに立派な二階建てのログハウスがそびえ立っている。


 こんなところに誰が住んでいるのだろうか? 疑問に思うよりも早く、クローディアはログハウスの扉を開けて、その中へと足を踏み入れるのだった。


「いやいや、勝手に入るのはまずいでしょう?」

「勝手もなにも、ウチの家やで。遠慮せずに入りや」


 ……女神の家? クローディアはここで生活を送っているのか?


 問い尋ねようと口を開きかけると、女神は内装を指し示しながら、この家の役割について話してくれた。


「ウチの家言うても、実際に暮らしているわけやないねん。ほれ、日用品やら装飾品とかあるやろ? あれ全部、お供え品としてもろうてんよ」


 つまりはこういうことらしい。女神クローディアの元には、様々の種族からのお供え物が捧げられる。


 飲み食いできるものなら消費できるから良いのだが、そうでなかった場合はどうするか。放置するわけにもいかないと考えたクローディアは、それらを保管する場所を設けようという結論に至ったそうだ。


 森を切り開き、大工にログハウスを建ててもらうと、女神はお供えとしてもらった品々を押し込んだ。


「……そんなわけでな」


 女神は備え付けの椅子へ腰を下ろし、胸を張るように続けてみせる。


「家具やら雑貨やら、気付けば生活を送るのに困らんぐらいの物がたまりにたまってもうてんよ」

「それにしたって充実しすぎじゃないですかね」


 自宅の三倍はあるだろう広々とした空間は、これ以上ないほどに整っていて、思わず感心のため息を漏らしてしまうほどだ。


 キッチンには調理器具一式が揃っているし、リビングは新品の椅子とテーブルが整然と並んでいる。


「二階もあるで。ベッドも家具も一通り揃ってるわ」


 その上、トイレと風呂場も整備されている。単なる物置として使うには贅沢すぎる空間を眺めやっていると、クローディアは何気なく呟いた。


「この家、透にあげるわ。自分の好きに使つこうたらええ」


 ……うえええええええ!? いやいやいやいや! 冗談にしては笑えないですよ!?


「冗談やないもん。ウチ、本気やもん」


 どことなくすねた口調で、女神は語をついだ。


「どのみち物置としてしか、使うてないしね。誰かの役に立つなら、そのほうがええやろ」


 頭の中を戸惑いと困惑が支配し、忙しく動き回っている。ただただ立ち尽くしていると、俺の足元から離れたラテが女神の膝へ飛び移り、ひときわ元気な鳴き声を上げた。


「にゃあ!」

「ほれほれ、ラテは気に入ったみたいやで~。引っ越してきたらええやん、な?」


 はい、そうします。……なんて、言えるわけないだろう? 見返りになにかできるわけでもないし……。


 そんな思いを察したのか、女神クローディアは「もちろん、タダっちうワケにはいかんけどな」と続けるのだった。そりゃそうでしょうよ、これだけ立派なら家賃だって馬鹿にならないでしょうし。


「お金はいらんねん。その代わりな、酒とアテ用意してくれへん? 二日、いや、三日に一度でええから!」


 この通りやと両手を合わせるクローディア。


「頼むわ、透の作った料理、メッチャ美味いんやもん! ウチ、あれが忘れられなくてなあ」


 ……どうやら大真面目なお願いらしい。拍子抜けした思いを抱きつつも、俺はなんだかおかしくなって、微笑みながら頷いたのだった。


「もちろん、喜んで。ここで作れば、できたてを振る舞えるでしょうし」

「ヨシ、決まりや!」


 ラテを持ち上げた女神は、黒猫の顔を眺めながら満足げに口を開く。


「よかったよかった、これからはここが透とラテの家になるんやで」

「にゃあ」


 当事者である俺よりも嬉しそうな表情を浮かべ、クローディアはウインクしてみせた。


「なにはともあれ、これからよろしゅう頼むわあ」


***


 それから俺は、ログハウスの内部を見て回ることにした。お言葉に甘えて引っ越すのはいいとして、なにか不足しているものがあれば揃えておかなければと考えたのである。


 ……しかしまあ、それも杞憂に終わってしまった。家具・寝具・日用品どれをとっても充実していて、いますぐ暮らしても問題ないほどだ。


 外には少なくとも二、三年は持つであろう薪も蓄えられているし、冬場の心配もない。至れり尽くせりだなと思いつつ入り口へ戻ってきた俺は、脇に積まれた麻袋の存在に気づき、なんとなしにその中を見てみるのだった。


「ああ、それな。ドワーフに頼まれて残してたんやけど……」


 麻袋を覗き込んでいた俺に気付いたクローディアは、気恥ずかしそうに口を開いた。


「ほら、さっき妖精の子らが赤い実食べてたやろ? その中に入ってる種やねん。つまり、食べかすやね」


 なるほど、白い楕円形をした種は乾燥していて、それなりの時間が経っているようだ。


「その種がドワーフたちの薬になるとかで残してるんよ。もっとも、ドワーフたちもそんなに使わへんから、溜まっていく一方なんやけど」


 引っ越してきたら捨ててええで? そんな女神の声を耳にしながら、俺は頭を左右に振った。


「捨ててしまうなんて、とんでもない」

「……は?」

「これ、あるだけ全部もらっていいですか?」


 女神の困惑をよそに、麻袋を抱えた俺は、ログハウスのキッチンへと足を運ぶのだった。


***


 白い楕円形。種と呼ぶにはサイズが大きく、その中心部には白い筋が一本通っている。ドワーフたちが薬として用いるという話から推測するに、これは間違いなくコーヒーの生豆だろう。


 そう考えた俺は、備え付けのフライパンへそれらをすくい入れると、火にかけながら、木べらで混ぜ続けた。いわゆる焙煎作業である。


 とはいえ、焙煎は初めての経験だ。火加減も時間もわからない。とにかく焦がさないように気を配りながら、ひたすらに混ぜ続ける。


 やがて豆は白色から深い褐色へと色合いを変化させ、室内にはコーヒー特有の香ばしい匂いが漂い始めた。


「ええ香りやねえ……」

「そうでしょう? もう少し待っていてくださいね」


 クローディアへ応じながら、俺はコーヒー豆を火から下ろした。粗熱を取っている間に裁縫作業へ移る。


 台形にカットした麻布を重ね合わせ、コーヒーフィルターになるよう縫っていくのだ。慣れない作業なので完成までに時間が掛かってしまったが、そのおかげでコーヒー豆の粗熱を取り除くことができた。


 焙煎したコーヒー豆は、ミルの代わりに石臼を使って挽いていく。上手くいくか不安だったが、これがなかなかどうして上質な粉に仕上がった。ひょっとすると、石臼とコーヒー豆の相性は良いのだろうか?


 ともあれ、ここまでくれば後は淹れるだけである。フィルターに挽いた粉を入れ、少しだけお湯を注いで蒸らしておく。


 それから『の』の字を書くように時間を掛けてお湯を注ぎ、香りと深みを抽出したら……、石臼コーヒーの完成だ!


***


 この色、この香り、まごうことなきコーヒーですよ……! いやあ、こちらの世界でコーヒーが飲める日がくるとは思わなかったなあ。いくら探しても見つからなかったんだよねえ。


 その上、味もいい! 果実味があって、後味はスッキリとしている。風味も抜群だ。これはとんでもない掘り出し物が見つかったのかもしれない。


 久しぶりの味を堪能している俺をよそに、女神クローディアといえば、不審の眼差しをこちらに向けている。


「確かに香りはええよ? でも、考えてみ。もともとは妖精の食べ残しやで?」


 よく飲めるなと言いたげな面持ちを見つめながら、俺はコーヒーを口に含んだ。妖精が食べ残したものかもしれないけれど、それがどうしたという心境である。


 元の世界には、ジャコウネコが排泄した未消化のコーヒー豆ですら、コピルアックという高級品に生まれ変わっていたのだ。


「それを考えたら、妖精の食べ残しなどかわいいものですよ」

「ええ……?」


 明らかにドン引きした様子の女神だったが、やがて意を決したのか、恐る恐るといった感じでカップを口へと運んでみせた。


 そして音を立ててすすっては、コーヒーを口に含み、ゆっくりと喉へ流し込む。


「……イケるやん」

「でしょう?」


 クローディアは再びカップを口に運び、今度は余韻を楽しむように瞼を閉じた。


「香りだけやなくて、味もええね……。ほどよい渋みもあって、ワインに近いものを感じるわ」


 すっかりと専門家の口ぶりで石臼コーヒーを論評しつつ、クローディアはコーヒーを堪能している。


 新たな名物に満足を覚えつつ、俺は移転後について想像の羽を広げていた。この分であれば、こちらの世界の人たちにもコーヒーは受け入れられることだろう。


 とはいえ、移転するにあたっては、この後も波乱が続くのだが……。それはまた別の話。

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