16.スコーンとお別れティーパーティ

「ちょいとちょいと、なによアンタ、引っ越すんだって?」


 朝市へ出かけた俺とラテは、他の露天商を訪ねる間もなく、ミーナに引っ張られると開口一番に問いただされた。


 恰幅の良い女将いわく、酒場へ一杯引っかけにいったところ、エドガーから話を聞いたらしい。うーん、下町の情報網恐ろしいな。まあ、隠そうとするつもりはなかったけどさ。


 遅かれ早かれ、話そうとは思っていたのだ。朝市へ仕入れに来るのも難しくなるだろうしね。


 かいつまんで事情を打ち明けると、ミーナは「なるほどねえ」と納得したように頷き、それから思い出したように付け加えた。


「あそこらへんだったら、放っておいても行商人が訪ねてくるだろうさ。エルフやらドワーフの村も近いしね。どんなものを取り扱ってるかまでは、アタシもわからないけれど」

「なんとかなるでしょう。……たぶん」

「たぶんって……。いちいち不安になることを言うねえ、この子は」


 大きなため息を漏らし、頭を左右に振りながら、やがてミーナは瞳に決意の色をにじませて切り出した。


「決めたよ、透。アタシもアンタの店へ商品を卸しに行こうじゃないか!」

「えぇ? 遠いですよ? わざわざ野菜と果物を持ってきてくれるんですか?」


 恐縮の面持ちで聞き返すと、ミーナは俺の背中を力強く叩き、それから豪放に言い放った。


「アンタみたいにぼーっとしてるのがいなくなると、かえって心配になるんだよっ。一人前になるまで見届けないと、アタシの気が済まないのさっ」


 ラテの面倒だって見なきゃいけないだろう? と、ミーナは黒猫を抱きかかえ、嫌がるラテを無視するように頬ずりをしてみせる。ラテの面倒は俺が見てるのですが……。


「いいから、おとなしく甘えておきなっ。朝市があるから、週に一回ぐらいになると思うけど、それでいいね?」


 ぶっきらぼうに言っているけれど、これがミーナなりの気遣いだということはよくわかっている。義理と人情に厚いのは、下町の人の特性なのだ。


「……ありがとう。助かります」

「お礼を言われるいわれはないねっ、常連客を手放すのが惜しいだけさ。いいかい? アタシが行って、なにも買いませんでしたなんてことがないよう、しっかり稼いでおくんだよ?」


 どう考えても照れ隠しとしか取れない、不器用で暖かな声を耳にしながら、俺は心からミーナに感謝をするのだった。


 引っ越し先に顔を出すと申し出てくれたのはミーナだけではない。酒場の親父さんであるエドガーも、「移転先まで酒を届けてやる」と息巻いている。


「お前さんの店の酒は、オレの店の商品なんだ。いまさら仕入れ先を変えるとかはナシだぜ?」

「でも、遠いですよ?」

「馬車を使えばあっという間じゃねえか。……それにだな」


 肘で小突きながら、エドガーはニヤリと意味ありげな笑みを浮かべた。


「お前さんの店に行けば、噂の美人二人に会えるかもしれねえだろ? だったら、なおのこと、顔を出すしかないってなあ」


 厚意をごまかすにしてはわざとらしい口調だったが、それを無下にしては申し訳がない。


「移転した途端に二人が来なくなっても、恨まないでくださいよ?」


 あえて軽口に乗りながらも、俺はエドガーへ頭を下げた。ミーナにせよ、エドガーにせよ、その心遣いが本当にありがたい。おかげで仕入れについては、移転後もなんとかなりそうだ。


 問題はエリーとレオノーラへどう説明したらいいかということで……。


「落ち着いた雰囲気の中で話したほうがいいかもな」


 そう考えた俺は、店に戻るなり、二人をもてなすためのお茶会を開くべく準備を始めるのだった。


***


 小麦粉、塩、砂糖をボウルにふるい入れる。そこへダイス状に切ったバターを加えて、細かくカットしながら粉類と混ぜ合わせていくのだ。


 牛乳と卵を混ぜ合わせたものをボウルに加え、さらに混ぜ合わせる。生地がまとまってきたらふたつに切り分けて、それを重ねよう。


 重ねた生地を軽くのばし、再びふたつに切り分けたら、再度重ねる。この工程をあと二回ほど繰り返したら、二センチほどの厚みになるまで生地をのばしていくのだ。


 円形に型抜きし、卵黄と牛乳を混ぜ合わせたものを生地の表面に塗ったら、じっくりと石窯で焼き上げる。


 生地の真ん中が割れ、全体がこんがりと色づいたら、スコーンの完成だ!


***


 スコーンとジャム、一口大にカットしたサンドイッチ、チーズ、生ハム、ピクルスをお皿へ盛り付ける。ティースタンドがないので、簡単なアフタヌーンティーの準備しかできなかったけれど、これはこれでなかなかに見栄えがいいものだ。


 もう少し野菜があったほうが良かったかなと思わなくもないけれど、それは次回以降に活かそうじゃないか。


 そんなことを考えていると、店の扉が勢いよく開かれた。入り口には息を切らして立ちすくんでいるエリーがいて、戸惑いの微粒子を漂わせる聖女を見ながら、俺は口を開いた。


「いらっしゃい。そろそろ来る頃だと思ったよ」

「どうして……」


 悲しげに呟いたエリーは、呼吸を整えるように間を置き、それからあらためて切り出すのだった。


「引っ越すことを、どうして教えてくれなかったのですか!?」


 言葉の端々に怒りをにじませて、エリーはこちらをまっすぐに見つめる。聖女の背後には、藍色のポニーテールをした女騎士が立っていて、聖女の肩越しに抗議の声を上げている。


「そうだ、そうだ。水くさいぞ、透」


 ……まあねえ、こういう反応をされるとは想像していたけれど、実際に目にするとなかなかどうして、どう対処していいのかわかんなくなっちゃうね。


 やがてカウンターから飛び降りたラテが、二人の足元へトコトコ歩いて行き、落ち着くようにと言わんばかりに「にゃあ」とひと鳴きしてみせる。


 俺は後頭部に軽く手をやり、ごまかすように髪をかき回しながら、


「とにかく、こちらへどうぞ。お茶淹れるからさ」


 と、努めて明るく二人に席を促したのだった。


***


 ……それから俺は紅茶を注ぎながら、二人へ事情を打ち明けた。妖精キキと女神クローディアのこと、例の殺害事件の一件、それと大臣による妨害工作――。


 店舗移転に至った経緯を話し終えると、二人はそれぞれに異なる表情を浮かべてみせた。


 黙って耳を傾けていたのはエリーで、終始、悲しげな瞳でティーカップへと視線を落としている。レオノーラはスコーンを口に運んでは、紅茶をすすり、時々頷いては納得しているといった面持ちだ。時々、おかわりを要求してくるので、スコーンは気に入ってくれているみたいだけど。


 ともあれ、重苦しい空気には変わりないわけで……。


 たまらず助けを求めるようにラテを抱きかかえた俺は、わざとらしく陽気な声で続けるのだった。


「ま、いまの状態が続いても、二人以外にお客さんはこないしね。心機一転、新天地でがんばろうと、そう思ったわけさ。新しいお店も見つかったし、結果的にも良かったかなって」

「よくありません!」


 遮るように声を荒らげたエリーは、席を立ち、思い詰めた表情を浮かべている。


「私がこのお店に足を運んだから! 私が透さんにご迷惑をおかけしたから……! 透さんがこの町を離れなければならなくなった、そういうことじゃないですか……!」

「…………」

「それは……、とても……申し訳なく……」

「それは違うよ、エリー。エリーが来てくれなかったら、このお店はとっくの昔に閉店していたんだ」


 首を左右に振って、俺は続ける。


「エリーが来てくれたから、だから俺は店を続けられたんだ。それにレオノーラも足繁く通ってくれた。二人には感謝しかないよ」

「でも、でも……。あまりにも……私は、ふがいなく」

「ふがいない、なんて言わないでくれよ。『魂の晩餐』を催すことも提案してくれただろう? あれで店は、結構、儲かったんだからな」


 笑い声を立てて、俺は応じ返す。実際、掛かった費用に上乗せした金額を、大聖堂や教会に支払ってもらっていたのである。感謝こそすれど、恨む理由はどこにも見当たらないのだ。


「透の決意はわかった」


 間に割って入るかのように、レオノーラが呟いた。


「いまさら私たちがなにを言ったところで、どうしようもないのだろう」

「新店舗も決まってるからなあ。向こうの承諾も取ってあるし」

「それで、いつ引っ越すんだ?」

「一週間後、かな。店を引き払う準備も進めているけど、意外と早く終わりそうだし」

「……一週間後」


 独り言のように声を漏らしたエリーは、静かに腰を下ろし、両手でティーカップを握りしめる。


 レオノーラはレオノーラで、同じく「一週間後」と声に出したのだが、こちらは深刻さを感じることができない。


 やがて見上げるように天井へと視線を動かした女剣士は、物足りないといった様子で話を続ける。


「透のご飯を食べられるのも、あと一週間だけか」

「いや、新店舗にも来てくれよ。湖には釣りにいくんだろ? 足を伸ばせばすぐじゃないか」

「昼休みも時間制限がある。行って食べて戻ってくるのは至難の業」

「毎日来てくれって言ってるわけじゃないんだって。たまにでいいんだって」

「透、明日はオムライスを作ってくれ」

「人の話を聞けよ、頼むから。……っていうか、この店の営業は今日で終わりだぞ?」


 付け加えると、レオノーラはショックを隠しきれないといった様相で背もたれにもたれかかった。


「引っ越しは一週間後じゃなかったのか……?」

「一週間後だけど、その前に、いろいろ準備が必要だろう?」


 荷造りなどまったくの手つかずの状況なのだ。至れり尽くせりの新店舗が待っているとはいえ、使い慣れた調理道具を手放すつもりもないし。


 いまのうちから集中して少しずつ進めておかないと、いつまで経っても終わらないだろう。であれば、営業にあてる時間を使い、荷物を運んだりしておいたほうが得策だ。


 そう説明したのだが、レオノーラは完全に放心しきっており、


「明日の昼ご飯……オムライスが……」


 と、うわごとのように繰り返している。大丈夫だろうか……?


 もっと不安になるのはエリーで、こちらはいまにも泣き出しそうな表情のまま、一言も声を発する気配がない。……まいったな、明るいティーパーティにするつもりだったんだけど。


 とにもかくにも。


 残ったスコーンなどをお土産として包み、なんとか二人を送り出した俺は、肺が空になるぐらいに大きなため息を漏らすと、そばに寄りそうラテの頭を撫でるのだった。


「寂しいお別れになりそうだなあ?」

「……みゃあ」


 確かに町からは遠いけれど、それでも通えない距離ではないはずなのだ。あんなに悲しそうな顔をされるなんて、思ってもいなかったのである。


 しかし、移転は決定事項なのだ。今さら取りやめるわけにもいかない。せめて気持ちは前向きに、引っ越しの準備を進めようじゃないか。


***


 そんなこんなで、あっという間に迎えた一週間後。


 自宅兼店舗を引き払うのに際し、なにか忘れ物はないかと店内を見回していた最中、店の扉の開く音を耳にした俺は、思わず呟いたのだった。


「すいません。店はもうやっていなくて」


 考えてみれば妙な話である。それまでエリーとレオノーラ以外の来客がなかったのに、なぜそんなことを口にしたのだろうか。


 振り返った先に捉えたのは、もちろん来客の姿などではなく、まばゆいばかりに美しい女性の笑顔で……。


 プラチナブロンドのロングヘアを揺らしながら現れたエリーの顔を見つめながら、俺は呆然と口を開いた。


「エリー、なにかあったのか? その大荷物は……」


 エリーの足元には、巨大なバッグが二つ、存在を主張するように鎮座している。こちらの戸惑いをよそに、エリーはとびきりの笑みを浮かべて、はっきりと口にするのだった。


「私も引っ越ししようと思って、支度を整えたのです」

「それはまた急な話じゃないか。どこに引っ越すんだ?」

「決まっています。透さんの新居ですよ」


 ……はい? ……なんか、聞き間違えたかもしれないので、もう一度言ってもらえませんかね?


「ですから、透さんとラテと一緒に暮らそうと思って!」

「…………」


 呆気にとられるこちらをお構いなしに、エリーはこれ以上ないほど、うやうやしく頭を下げた。


「ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします!」

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