10.妖精のキキと果物たっぷりフルーツポンチ

 ある日の夜。


 夢の世界の住民となっていた俺は、突如として鳴き声を上げ始めた同居猫によって、半ば強制的に現実へと意識を引き戻された。


 気付けば、にゃあにゃあと声を出しながら、ラテは前足で俺の顔をつついている。普段であれば、眠っている時にそんな真似をしない愛猫なのだ。


「なぁぁ。なぁぁぁ」

「……どうしたんだ、ラテ。なにかあったのか?」


 眠い目をこすりながら身体を起こす。すると、ラテは「こっちに来てくれ」と言わんばかりにベッドから飛び降り、そのまま窓辺へと飛び移った。


 外? 外がどうかしたのだろうかとカーテンを開ける。……って、わかっていたけど真夜中じゃないか。今夜も星空が綺麗なことで。


「にゃああああ」


 そっちじゃないとひと鳴きし、ラテはちょいちょいと器用に窓の下のほうを叩いてみせた。つられて視線を下げた先には、弱々しく光るなにかがあって、俺は眠い頭でぼんやりと「流れ星でも落ちてきたのかな?」とか錯覚を抱くのだった。


 もっとも、そこにあったのは流れ星より、もっと特徴的なものだったのだが。


 背中に四本の羽を生やした人のような物体が、窓辺にもたれかかっていたのである。背丈は人形ぐらいだろうか。


(もしかして、これは妖精という存在では……?)


 とっさに窓を開けた俺は、両手で妖精を抱きかかえると、屋内へと招き入れた。そして、そっと机の片隅に腰を下ろさせてから、とにかく身体を休ませようと簡易的なマットレスを作るため、適当なタオルを折りたたみ、サイズを調整するのだった。


「お、お水を……」


 弱々しい声を耳に捉えたのはその時である。


 妖精は力を振り絞るように口を開き、「お、お水をいただけませんか……?」と、繰り返し続けている。


 その場をラテに任せた俺は一階まで駆け下りると、小皿で水をすくい取ってから、再び妖精の元へと戻り、口元へそれを近づけた。


「飲めるか?」


 妖精のサイズに対して、小皿は大きく、水を飲ませるのも一苦労だ。それでもようやくといった様子で水を口に含んだ妖精を見守ると、俺は小皿を一旦避けておき、折り畳んだタオルの上へ妖精を横たえたのだった。


 第一発見者であるラテは心配そうに妖精の顔を覗き込み、それからこちらを見やって「にゃあ」と鳴き声を上げてみせる。


「ラテが見つけてくれたんだ、きっと大丈夫だよ」


 そう言って、功労者の頭を撫でてやった。


 しかし、妖精か……。実際に見るのは初めてだなあ……。


 ……店名を『妖精の止まり木』にしているのに、見るのは初めてかよというツッコミが入りそうなんだけど。カフェの名前を決めるにあたっては、異世界っぽい雰囲気がいいだろうと、このネーミングを思いついたのである。


 それがまさか、本当に『妖精の止まり木』になる日が来るなんてなあ……。


 とはいえ、呑気に構えている場合ではない。容態から察するに、妖精は衰弱しきっていると言ってもいいだろう。悪化する可能性も捨てきれない。


 そう考えた俺はベッドには戻らず、そのまま妖精の様子を看ることに決めたのだった。


***


 妖精が目を覚ましたのは、それから小一時間が過ぎたころである。


 ゆっくりとまぶたを開けた妖精は、俺の姿を瞳に捉えると状況を把握したのか、ひたすら恐縮したように口を開くのだった。


「あああああああ、あのあのあのっ。こ、この度は、ご、ご迷惑をおかけしてしまったようで……!」


 愛らしい容姿には不釣り合いな、おどおどとした様子を見て、もしかしたら怖がっているのではないかと察した俺は、これ以上おびえさせることのないよう、努めて優しく口を開いた。


「具合はどうだい?」

「はぃぃぃぃぃ!!! そ、そそそそそ、それはもう! おかげさまで、も、問題はありません!!!!」


 ……うん、ダメだな。どうやっても怖がらせてしまうようだ。同居猫であるラテも、落ち着かせようとしていたようで、なるべく甘えた声で「なぁ」と鳴いてみせたけれど、


「ひぃぃぃぃ!! ねこぉぉぉぉ!」


 と、まったくの逆効果に終わってしまった。ああ、そんなつもりがなかっただけに、すねちゃったよ、ラテ。一応フォローはしておくか。


「君を見つけてくれたのは、あの子なんだ。猫が怖いのかもしれないけれど、うちの子に限っては大丈夫だから、安心してくれると嬉しいな」


 尻尾をぴょこんと動かして、ラテが同意する。すると、妖精はようやく冷静さを取り戻したのか、反省したように頭を下げ、それからあらたまったように続けるのだった。


「ご、ごめんなさい……。あの、わたし、ちょっと混乱していたみたいで……」

「うん、倒れていたんだ、しょうがないよ。俺は透、白雪透。で、あっちの黒猫はラテって言うんだ。良かったら名前を教えてくれないかな」

「も、申し遅れました……。私は森の妖精でキキと言います」


 薄緑色のショートヘアをした妖精はそう名乗り、行き倒れた経緯について話してくれた。


 キキは森林の奥深くで仲間たちと暮らしていて、普段は外に出ない生活を送っているそうだ。


 そんな事情もあって、下町といえども初めて王都にやってきたキキは、物珍しげにあちこちを眺めていたらしい。気がつけば、一緒にやってきた仲間たちとはぐれてしまった。


 一生懸命仲間を探すべく空を舞い飛んでいたのだが、次第に魔力は尽きていく。生命の危険を察し取ったキキは、安心して身体を休める場所を探そうと、“聖なる力が宿る”一角を見つけ、ようやくといった具合に辿り着いた。


 ……ん? ちょっと待て、聖なる力が宿る……?


「ウチの店が?」

「は、はい。聖域に近しい力を感じ取ったのですが……」


 そこまで言われて、俺ははっとなった。そう言えば聖女であるエリーが結界を張ってくれていたんだっけな? そうか、その効力が続いていたのか。


 レオノーラも一種の聖域に近いと話していたし、なるほど、妖精たちにとっては心地よい場所なのだなとあらためて納得。


 しかしながら、疑問に思うことも出てくるわけで。


「普段は森で暮らしているのに、どうしてまた王都までやってきたんだ?」

「そ、それは、ですね……」


 キキが口を開きかけた瞬間、くぅぅと可愛らしい音がお腹の辺りから響き渡った。途端に赤面するキキ。安心して、お腹が空いてしまったのかな?


「ごごごごごご、ゴメンナサイ! わ、私ってば、お、おおおおお、お恥ずかしい!」

「いや、いいよいいよ。こちらこそ、気がつかなくて悪かった。いま食事を用意するから」

「そ、そんな悪いです!」

「ここは飲食店でね。お客様をもてなすための料理ぐらいすぐに用意できるさ」


 気がつけば、窓の外も明るくなっている。朝市も始まる時間だし、材料の買い出しに行くのにもちょうどいい。


 それでもなお、遠慮するそぶりを見せるキキだったが、俺はあえてそれに気付かないふりをして、食べたいものはないかと尋ねるのだった。


「食べたいもの、ですか?」

「というより、普段なにを食べているんだ? 妖精の食事って想像できなくてさ」


 小説やマンガであれば、自然の中から魔力を摂取するみたいなシーンが描かれているけれど、現実はそうではないかもしれないし。


 やがて申し出を受けることに決めたらしい妖精は、言葉少なに呟くのだった。


「そ、その、普段は木の実や果物、あとは花の蜜とかを……」

「よしわかった」


 花の蜜はさすがに用意できないけれど、木の実や果物であれば朝市でも入手できる。俺は席を立つと、ラテに留守番を任せ、材料を仕入れるべく朝市へ向かうのだった。


***


 それからさらに小一時間。


 自宅兼カフェに戻ってきた俺は、キッチンへ買ってきた材料を並べると、妖精の食事を用意するべく準備を進めるのだった。


 今回、使う食材のメインは果物だ。なにを気に入ってくれるかはわからないので、とにかく多くの種類を買ってきた。


 リンゴ、オレンジ、ぶどう、キウイフルーツ、ラズベリー、カシス、バナナ。とにかくありとあらゆる果物を一口サイズにカットしておく。


 次に砂糖水を作る。果物を引き立てる程度、ほんのり甘い程度に留めておくのがポイントである。


 カットした果物を器によそい、そこになみなみと砂糖水を浸したら……果物たっぷりフルーツポンチの完成だ!


 ちなみに、さらに細かく果物をカットした特別サイズも用意した。紅茶用の小さなミルクピッチャーに注いだら妖精用フルーツポンチの完成だ。


 それと朝市へでかけるついでに、食器店を営む露天商に頼みこんで、人形サイズのスプーンを作ってもらった。


「こんな小さなスプーン、なんに使うんだ?」


 いぶかしむ露天商は呟きながらも、その場で木のスプーンをこしらえてくれた。俺はといえば、「いやあ、店に飾りたくって」とごまかすのがせいぜいで、露天商の不審な眼差しを最後まで解消できなかったのだが。まあ、どうとでもなるだろう。


 ともあれ。


 二階に上がった俺は、座り込む妖精へフルーツポンチを差し出した。特注のスプーンは小さな手によく馴染んでいるようで、キキは興味深げにスプーンとフルーツポンチを交互に見やっている。


「こ、これは……?」

「フルーツポンチっていう料理、というよりデザートかな。食べられる果物があればいいんだけど」

「い、いえ! と、とっても美味しそうで……! あ、あの、いただいてもよろしいですか?」


 もちろんと頷いて応じると、キキは器用にスプーンを使ってカシスをすくい上げた。そしてゆっくりとそれを口へ運び、瞳を輝かせて歓喜の声を上げてみせる。


「ん~~~~~~~!!」


 それから砂糖水を喉へ流し込む、こくこくと喉を鳴らしながら、今度はオレンジをすく取り、無我夢中といった様子でキキは忙しく口を動かすのだった。


「気に入ってくれたかな?」

「は、はい!!! こ、こんなに美味しいものは初めて食べました!!!!」


 すっかりと警戒心をほどいた妖精は、満面の笑みを浮かべ、フルーツポンチに向き直った。美味しい料理を前にすれば、人も妖精も関係なく素直になれるもんだなと考えながら、俺は留守番の大役を務めていたラテを抱きかかえた。


「花の蜜が用意できなかったから、砂糖水を使ったんだけど。大丈夫かな?」

「ぜ、全然! も、問題ないです! お、美味しいです!」

「それならよかった。本当はお酒を使うデザートなんだけど、さすがに酔っちゃうかなと思って止めておいたんだよね」


 何気なく口にすると、キキはスプーンの手を止め、それから真剣な表情と眼差しでこちらを見つめた。


「……ど、どうしたんだ?」

「あ、あの、危ないところを救っていただいた上に、こんなお願いをするのは勝手なのですが……」


 そこまで言って、一旦呼吸を整えたキキは、決意したように続けるのだった。


「どうか、私たちを助けていただけませんか?」

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