9.再びの儀式と牛カツサンド
パルドラ王国において、それは力の象徴である。十三人で構成される騎士たちは文武両道に優れた人物が任命され、それぞれに国の要職を担っているのだ。
軍事面だけではなく政治面にもおいて絶大な権力を握る騎士たちは、派閥争いを繰り広げつつ、絶妙なパワーバランスを保ちながらも、国政にあたっていたのだが……。
話は二ヶ月前まで遡る。
鷲獅子の騎士のうち、親大聖堂派と呼ばれていた人物が、何者かによって暗殺されたのである。
事態はそれだけに留まらない。およそひと月前、今度は教会と親しい親衛隊副隊長が殺害されたのだ。
そして、亡くなった人物の後継を任されたのは大臣の身内や親族であった。露骨な人事は、事件の黒幕が大臣ではないかという憶測を呼んだのだが、肝心の証拠がない。
心ある人たちが、事情を探ろうと努力をしたものの、様々な妨害に遭い捜査は難航。やがて大臣がそれらの人物に直接接触して脅迫をはじめると、一人また一人と、調査から離れていくのだった。
……いきさつを聞いていた俺は、憤然とした。
「そんなの、百パーセント、大臣が裏で糸を引いているに決まっているじゃないか」
「私たちもそう思います。ですが……」
「弾劾しようにも、物的証拠が見つからない」
二人の話に耳を傾けながら、俺は考えた。もしかして、次に執り行う『魂の晩餐』が大きな鍵を握っているのではないだろうか?
「……魂から証言を引き出そうとしている?」
「その通りです。私たちは、あえて殺された者の魂だけを集い、大臣が行った悪事を突き止めようと考えています」
「大丈夫なのか? 大臣が邪魔をしてくるんじゃ……?」
「問題ない。魂の晩餐は神聖な儀式。大臣といえど、口は挟めない」
そういえば、大聖堂の儀式だから影響がないって前にも聞いていたっけ? そんなことを思い出していると、エリーは苦笑いを浮かべて続けた。
「それに、私は大臣に煙たがられていますから。いまさら邪魔が入ろうと、たいした問題ではないのですよ」
……エリーが煙たがれているって? 聖女なんだろ?
「私が言うのも変な話なのですが、聖女は神聖な存在、ですから。権威に縛られないといいますか……」
「大臣は命令に従わない人たちが嫌いなんだ」
補足するようにレオノーラが呟く。なるほど、権力にこだわる人間ほど、自分に従わない人物を嫌悪するってやつだな。
「その話題はひとまず置いておくとして」
話題を転じるように両手を合わせたエリーは、表情をあらためてから語をついだ。
「透さんにご承諾いただけるのであれば、儀式に向けての準備を進めようと思うのですが、いかがですか?」
「もちろん。ウチの店でよければ好きに使ってくれ」
あの大臣には俺も痛い目に遭わされているのだ。なにより、非道を見過ごすわけにはいかない。
手がかりを得られる保証はないけれど、それでも無念を晴らせるのであれば、喜んで協力させてもらおう。
良かったとエリーは安堵の声を漏らし、前回と同じく料理の準備をお願いしますと前置きした上で、さらに付け加えるのだった。
「儀式当日ですが、私は午前中にこちらへうかがいますね」
その一言に、俺は小首をかしげる。儀式は夜に執り行うんじゃなかったっけ?
「はい。ですが、今回は特殊ケースなので、前もっての準備が必要なのです」
そうか、殺された人たちの魂だけを呼び寄せるんだもんな。特別な支度をする必要があるのだろう。
ひとり納得を覚えていると、エリーはラテを抱き上げてから俺に預け、それからこんなことを言い出した。
「ひとつ、お願いがあるのですが」
「お願い?」
「当日の朝、ラテと一緒にお風呂に入っておいてもらえませんか?」
***
あっという間に時は過ぎ、迎えた儀式当日。
朝市から帰宅した俺は入浴を済ませると、不満げな面持ちのまま表情を変えない黒猫の身体を拭いてやるのだった。
「わかってるよ。猫がお風呂苦手だっていうのはさ」
「なぁぁぁぁ」
「恨めしそうな声出すなって。エリーに言われたんだし、仕方ないだろう?」
そうなのだ。エリーの話によれば、今回の儀式は特殊なケースにあたるため、あらかじめ結界やら防壁の魔法をかけておかなくてはならないそうで、身を清めるためにもお風呂を済ませておいて欲しいと、そういうことなのである。
一応、入浴しなくてもいいらしいのだが、その分、魔法の効きがかなり悪くなるとのことで、俺は渋る同居猫とともに朝風呂を済ませたのだった。
とにかく、入浴中にラテが暴れなくて良かった。引っかかれたりしたらどうしようかと思っていたんだけど、諦めの雰囲気を漂わせ、されるがまま受け入れていたのは、さすがの判断応力と褒めておきたい。
で、身を清めた俺はといえば、『魂の晩餐』に使う料理の下準備に取りかかるのだった。
今回もアヒージョを五十人前用意しなければいけないのだが、お風呂浴びた後に油を使った料理を作るのは、果たして入浴の意味があるのだろうかと、ささやかな疑問を抱いてしまう。
せめて調理へ取りかかる前にエリーが来てくれたらなあとか考えていると、見計らったようなタイミングで、祭礼服に身を包んだエリーが店に現れたのだった。
「朝早くから、ごめんなさい。支度でお忙しいというのに」
「いやいや、これも儀式を円滑に進めるためだから。問題ないよ」
応じる俺に、エリーは胸に手を当ててから、軽くため息を漏らした。彼女なりに気を遣ってくれているのだろうけれど、申し出た手前、協力は惜しまないと決めているのだ。
やがてエリーは小瓶を取り出してから、中に入っていた透明な液体を指に付けると、ゆっくりとこちらに近づいて、俺の額に当てるのだった。
「聖水です。さっそく、清めの魔法を掛けていきますね」
エリーは、さらになにかを呟きながら聖水を指に付け、肩と背中、それからつま先へと当てていく。
同じようなことをラテにも繰り返した聖女は、そのまま店内のあちこちに聖水を振りかけていき、静かに祈り始めるのだった。
「……はい。これで結界を作れました」
しばらく経ってから顔を上げたエリーは振り返ると、特に変化のない店内を指し示して続ける。
「店内は神の使いである精霊たちが守ってくれます。どうかご安心を」
「わかった、ありがとな、エリー」
「いえいえ、聖女の務めを果たしたまでです」
にっこりと微笑んだエリーは、今日の儀式の流れについて説明してくれた。……とはいっても、前回と変化はなく、唯一の変化があるとすれば、神官の数が倍になるそうだ。
「なにかあっては大変ですからね」
正直な話、全幅の信頼を寄せているので、特に心配はしていないんだけど……。まあ、用心に越したことはないという話なのだろう。
前回と変わりなければ、今日の『魂の晩餐』も特に問題なく終わるはずだ。……そんな風に高をくくっていたのだが。
待っていたのは、過酷な現実だった。
***
「そっち、抑えて!」
「制御魔法の手が足りない! 応援を頼む!」
「くそっ! 手強いぞ!」
儀式が始まって十数分、カフェ『妖精の止まり木』で繰り広げられていたのは、悪しき魂と神官たちによる闘いであった。
赤紫色をした球体が集まって巨大化し、店内を暴れ回り始めたのだ。現世への未練か、それとも殺されたことへの憤怒か、前回の穏やかな光とは異なる魂の激しい輝きに呆然としつつ、俺は眼前で剣を構えるレオノーラへ囁いた。
「苦戦してるけど、大丈夫なのか?」
「問題ない。大丈夫だ」
『魂の晩餐』開始早々、騒々しさに気付いた女剣士は、用心のため護衛に付いてくれたのである。
「万が一、魔物に変貌したとしても、私が切り捨てる。透とラテさんの身に危険は及ばない」
いや、神官たちが大丈夫かってことを聞きたかったんだけど……。って、言ってるそばから、神官が弾き飛ばされちゃってるけど、本当に大丈夫なのかな?
しかしまあ、どれだけ魂が暴れ回っていても、店内の装飾に傷ひとつ付かないのは不思議だな。どんなに強い衝撃が加わったところでびくともしない。
それもこれもエリーが結界を張っていてくれたおかげだろうと、俺は万全の準備をしてくれた聖女に感謝を覚えるのだった。
肝心のエリーはといえば、少し離れた場所で人の形状をした魂になにやら話しかけている。事件の被害者かどうかはわからないが、熱心に頷き、そして時々悲しそうな表情を浮かべ、魂の手を取ってみせた。
進展が図れることを願っていると、神官たちもようやく事態を収束できたようで、荒ぶる魂の気を静め、席へと誘導しはじめる。
さて、こうなったら出番だなと、俺はテーブルを注視した。料理がなくなったら、おかわりを準備しなければならないのだ。
(どうか、再び暴れ回ることがありませんように!)
心の底から願いつつ、儀式は続いていくのだった。
***
明けて翌日の夕方。
珍しく疲れた様子で店にやってきたエリーとレオノーラは、言葉も少なくカウンターに腰掛けた。儀式のハードワークを考えれば無理もない。
「悪しき魂があれだけ多く集まるのは予想外でした……」
自分のうかつさを呪うかのように、聖女が呟く。
「まったくだ。もう少しまともな儀式になると思っていたのだがな……」
同意するように応じたレオノーラはテーブルに突っ伏した。心配するようにラテが近寄り、女剣士の手のひらをペロペロと舐めている。
「ざらざらする……。ラテさん、ざらざらするぞ……」
「慰めてくれているんだ、感謝するんだな。……ところで」
うなだれる二人を見やって、俺は切り出した。
「肝心の証言は掴めたのか?」
「いくつか話は聞き出せましたが、決定的なものは掴めずといった感じです……」
ガックリと肩を落とすエリーは見ていて気の毒になるほどで、俺は二人を励ます意味も込めて、元気が出る食事を振る舞おうと、密かに研究を進めていた調味料を使っての料理を調理し始めた。
***
密かに研究していた調味料。それはウスターソースである。こちらの世界では取り扱いがなく自作するしかなかったのだが、試行錯誤の末、ようやく納得のいくものができあがったのだ。
たまねぎ、にんじん、りんご、セロリ、にんにく、しょうが、トマト……とにかくありとあらゆる野菜をカットして鍋に投入する。
そこに胡椒をはじめとする香辛料とハーブ類、塩・砂糖・お酢を加えてひたすら煮込むのである。
ソース作りは材料の配合が大切だ。錬金術師になった気分で調合していくのはなかなかに楽しい。……失敗すると目も当てられないけれど。
ともあれ、煮込んだものはザルでこす。とろみが付くまで、再び火に掛けたら、待望のウスターソースの完成である。
贅沢を言えば、醤油で味を引き締めたかったんだけど……。こちらの世界にないものはしょうがない。
さてさて、気を取り直して料理に戻ろう。今度は牛カツを作るぞ。
牛肩ロースを厚めに切り、筋切りなどの処理を施しておく。軽く、塩胡椒で下味を付け、小麦粉を軽くふるい、溶き卵、パン粉の順で衣を付ける。
きつね色になるまで油で揚げたら、網に乗せ、余分な油を切っておくのだ。
油を切った牛カツを、たっぷりのウスターソースにくぐらせる。トーストしたパンにバターを塗っておき、牛カツを挟んだら完成だ!
「どうぞ、食べれば元気百倍! 牛カツサンドだよ!」
お皿を差し出すと、香ばしい匂いにつられたのか、二人は顔を上げ、おもむろに牛カツサンドへ手を伸ばした。
そして一口かぶりつく。牛カツの肉汁とウスターソースが、じゅわぁっと唇の辺りににじむと、エリーとレオノーラは姿勢を正し、目を見開いてカツサンドが盛り付けられたお皿を見やった。
「おいっしい!!! 透さん、なんです、これ!? 食べたことないですけど」
「牛肉!? 牛肉なのか!? それにしたって味わったことのない美味さだが……!」
ふっふっふ……。フライにソースの合わせ技は初めての経験だったみたいだな。そうなんだよ、揚げ物にソースってめちゃくちゃ合うんだよね。言ってる俺も食べたくなってきたもん。
トンカツじゃなくて、牛カツにしたのもちょっとしたこだわりポイントだ。単純に、牛肉を食べると元気が出るよなと、そんな思いから、あえて牛カツサンドにしてみたんだけど、二人の顔から察するにどうやら正解だったらしい。
……まあ、びっくりするぐらい高かったけどね、牛肉。しかしまあ、二人の喜ぶ顔が見られるのなら安いもんだよ。
そんなことを考えていると、ふたりはペロリと牛カツサンドを平らげてしまった。おかわりを期待するレオノーラの眼差しは予想していたけれど、
「透さん……」
と、瞳を潤ませながらお願いしてくるエリーは予想外だった。くそう、カワイイじゃないか……!
そんなこんなで、おかわりの牛カツサンドを用意しながら、すっかり元気の戻った二人を眺めやって、俺はほっと胸をなで下ろすのだった。疲れた顔は似合わないよ、うん。
「そういえば」
牛カツを揚げながら、俺はとあることを思い出した。
「昨日の儀式、魂が暴れ回っていても、店内の装飾に傷一つつかなかったけど、あれも結界のおかげなのか?」
「そうですね。結界内では悪いことができないよう、私が清めておきましたので」
「エリーの力はすごいんだぞ。この店はいわば聖域になっているといってもいい」
聖域、ですか。俺の店は、いつの間にそんなすごいことになっていたのか……?
「とはいえ、ずっと続くわけではありませんよ。一週間も経てば、結界の効力は切れてしまうでしょうし」
そりゃそうか。長い間持続するようなものじゃないよな、と、俺は納得していたのだが。
この結界が、予想だにしない出来事のきっかけになるとは、この時の俺は考えもしなかったのである。
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